正篇は
朝方に見た夢:「バイロイト祝祭劇場で、『さまよえるオランダ人』題名役を歌っている」
何で女のアタシが、何百年彷徨ってる辛気臭い幽霊船長歌うねん?w
夢、さまよえるオランダ人で連想ゲームすると
Der fliegende Holländer - Anfang - Film 1964
他に、映像見つからないが、40年くらい前のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場演出
MET版を手掛けたのは
Liebestod (Tristan und Isolde)
Wagner - Tristan und Isolde (Barenboim, Ponnelle, 1983) (complet - ST de-fr-eng-esp)
『トリスタンとイゾルデ』第三幕途中から、死にゆくトリスタンの夢想に変えた、ジャン=ピエール・ポネル
オランダ人では、物語全てをノルウェー船の若き舵取りが仮眠中に見る夢に変えた
1964年旧東ドイツ映画と1978年初演のバイロイト演出、こちらは、少女ゼンタの夢想である
映画が解放願望みたいなもの抱く少女の純粋な夢想で、最後は窓を開けて外の世界に出たと記憶する
映画の基になったヨアヒム・ヘルツ演出にヒント得た、同じ旧東ドイツ出身ハリー・クプファー演出は、夢想少女劇を通り越した妄想少女劇
「全編、ゼンタの妄想」と解釈可能だけど
「ゼンタがオランダ人伝説に憑りつかれた少女に変わりないが、オランダ人は実際に登場しない現実世界に設定した舞台
ゼンタの偏執狂じみた言動が、乳母や周囲の女性たち、彼氏から不安に思われている
最後、『ゼンタにだけ見える世界』が現実と結びついた結果、精神の破綻をきたし
乙女が命を投げ打ってまでの純愛によるオランダ人救済=自宅2階の窓から飛び降り自殺を果たしてしまう」
上記の演出全部、21世紀現在もう骨董品扱いだけど
どんな最先端も必ずや骨董品となる
古典となれるだけの成果収められないと後世から老害扱いされたり忘れられたりする
好評を博そうと普遍性を持たない物事の栄枯盛衰はアッという間も無く訪れるだろね
バイロイト音楽祭は女が主権握る時代に盛り上がる伝統も終わりかね
てか、自信持ってるなら、親父のヴォルフガングみたいに古典的な舞台作ってみろ
ヴォルフガングは凡才だったが最悪まで行かなかったし、ちょっとした冒険くらい出来た
誤魔化し利かない古典的手法を備える者こそが、抽斗が多くて臨機応変なの
糞カタリーナ及び演劇畑の自己陶酔型にゃ普遍性が認められないと比較したら
1960年代が萌芽期で、1970年代から1980年代に隆盛した形の「読み換え演出」が新鮮味失わず清々しく思える
"Zurück vom Ring!" from Götterdämmerung
“Best production ever in the history of the world.”
“Exactly ! ”
英語コメントに同意しといて
1976年初演のパトリス・シェロー演出『ニーベルングの指環』幕切れ
『神々の黄昏』幕切れであり、これ言うなれば「上級国民の自殺を黙って見送る下級国民」w
それでいて、神話の世界じゃなく19世紀末や20世紀初頭の装いながら、ワーグナーの意図から大きく乖離していない演出だ
普遍性を備えているので古臭~と感じる部分あっても飽きないの
例えばの話、21世紀現在の千葉なのに何で東京黒鼠園を舞台に設定するとしよう
ワーグナーの意図が伝わる必然性持つ演出なら構わんけど、そうで無けりゃイタイだけ
一回こっきりハッタリ系演出なんて、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー『悪魔のような女』と違って二度と観たくないわ
従って
第二次世界大戦後に再開された1951年以来、延々と続いているバイロイト音楽祭
今年は祝祭劇場無けりゃただの田舎町であるバイエルン州オーバーフランケン行政管区の郡独立市の夏となる
作曲家の曾孫娘カタリーナ踏んだり蹴ったり
「なお、今年予定されていた《ニーベルングの指環》新制作は、リハーサルの都合により2022年に延期される。」
オペラ舞台を筆頭に、音楽界の行く末が見世物級に思える今日この頃でやんす
本当なら今週末開幕とあって、ぶっちゃけ、「ワーグナーの馬鹿曾孫娘ザマミロ」w
コロナさんの性質上、極論を書くと、「オペラ舞台は瀕死の芸術」
大声張り上げる点がまずNGじゃん
何処の歌劇場も期間未定の開店休業っぽい現状、生身が楽器である歌手にとって深刻な話では?
レッスンは怠らず続けていたって、本舞台で歌うによって楽器の調整する面大きいんじゃないの
年単位でブランク生まれると、産休育休だのが影響する女声歌手がとりわけ、経年劣化進みそうだ
そもそも、コロナさんを完全御臨終に追い込んで完全に以前の世界に戻らない限り
ソーシャルディスタンスとかいう新型優生思想じゃかましい状況が少しでも残る間は
あっちもこっちも密な環境だらけの歌劇場再開出来ないと思うけど?
バイロイト祝祭劇場を例に挙げると
・客席はもしも真ん中辺の席だったら、左右どちらにしろ30人くらいを立たせて出入りする
・オケピットは座席より低い位置に押し込められる
・あと、今は変わってるかもだけど、合唱の一部が舞台より高い一画にギュウ詰めで簀子みたいな床に立って歌う
三密どころじゃない阿鼻叫喚空間で、どーやってソーシャルディスタンスを?w
一般構造の歌劇場、そしてコンサートホールとて、バイロイトと大差無いでしょね
歌劇場再開出来た場合もな、一度根付いた「人を見たらコロナと疑え」意識までそう簡単にリセット出来るか?
新型優生思想に基づく「新しい生活様式」コロナ戦争後版生まれる可能性だってある
再開後の歌劇場って恐らく、それなら無観客試合続けとけと言いたい中途半端なサッカー環境同様ギスギスした空間の悪寒働く
少なくとも音楽界は
朱鷺の墓予備軍の感触受けるわ
それなり生き残る道は…
YouTubeに「何でそんな映像残ってるねん」っちゅうオペラの映像や音源が少なくないね
2009年6月11日Yahoo!記事以来、何度目のペタリかしらんw
これはマァTV番組用収録、でもそういう映像を含め、放送局にオペラ映像わんさか残されてると考える
権利関係面倒なのでソフト化難しい割に、YouTubeにゃゾロゾロ現れるって?
大昔にTV録画した個人所有のモノを提供の他、放送局員がズルして持ち出しとか??
ま、何でもエエわ、そのおかげ様で↓↓↓
Walküre (Th. Shippers Osaka 1967)
1歳2ヶ月じゃ観てるわけね~『ワルキューレ』日本初演を54歳現在拝めて有難い♪☆彡
上のワルキューレはな
TRISTAN UND ISOLDE, FULL VIDEO - Nilsson, Windgassen, Topper, Hotter - Osaka, 1967
↑と併せて、世界遺産級の価値の意味わかるかい
カタリーナの伯父さん、ヴィーラント・ワーグナー演出で、数少ない映像なの
Wagner: "Lohengrin" - Maazel; Craig, Lorengar, Hesse, Günter Nöcker - Osaka, 1970
コレの映像も残ってりゃNHK褒めたる級にプライスレスなの
Was Geist und echt !(純粋なる精神と真実) - 歌の翼に
最低限の簡素なセットに照明を巧みに当てて、暗示的に舞台背景を表現するという、新機軸の舞台を考案した「新バイロイト様式」
ヴィーラントは他劇場で祖父さん作品以外も手掛け、そこでも基本は「新バイロイト様式」
ヴィーラント芸術の神髄が不完全な形であろうと確認出来るに意義があるの
んで思ったコト
「既にライブストリーミングが定着し、コロナ禍では過去遺産配信も行われている
歌劇場再開後には、ライブの上演と配信、過去の遺産映像の三形態による『新オペラ様式』が常識となる」
それしか、400年の歴史を誇るオペラが今後も存続する道は無いとの結論ね
温故知新、白黒映画を軽視するような小娘青二才への啓蒙にも役立ち、馬鹿リーナの鼻っ柱もヘシ折ってやれるでしょしw
(ウィーンやMETが余程進化した舞台観られたりするのに、ホント時代遅れの上級国民だけで右手挙げてる的劇場ね~)