mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

女と男の危機に瀕した結果、乾杯(融和)と完敗(訣別)、どっちに?

アタシゃ心は独逸人ですが、映画は仏蘭西が一番好き
伊太利亜人ほどじゃないものの、口開けたらベラベラ、好いたハレタを喋りまくりが面白い





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https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=la+crise+film+1992&aq=-1&ai=KkzRSaqRQG6mWFBILNEq5A&ts=1591&ei=UTF-8
女と男の危機 La Crise (1992年)

日常の中のさまざまな“危機”にほんろうされる現代人の姿を、ユーモアとエスプリ豊かに描いたコメディ。監督・脚本は「ロミュアルドとジュリエット」の女流監督コリーヌ・セロー。製作は「田舎の日曜日」のアラン・サルド。撮影はロベール・アラズラキ。オリジナル・スコアはソニア・ヴィーダー・アテルトンで、彼を含む三人の奏者が演奏するベートーヴェンの「ピアノ三重奏曲第三番・ハ短調」を使用。主演は「ベティ・ブルー 愛と激情の日々」のヴァンサン・ランドン。共演はフランスの人気コメディアン、パトリック・ティムシット、「ラ・ブーム2」のザブー、「わんぱく戦争」などで知られる映画監督のイヴ・ロベールら。

ヴィクトル(ヴァンサン・ランドン)は妻と二人の子供に囲まれ、幸福な家庭生活を送っている敏腕な企業弁護士。ある朝、目覚めた彼を待っていたのは、妻マリー(カトリーヌ・ヴィルクニング)の突然の家出だった。「彼と一緒に行くわ」、彼女はそう言って電話を切った。妻が駆け落ち? 混乱の中で事務所に出社してみると、突然の解雇通知。なぜだ? 怒り、いらだつヴィクトルは友人たちを訪ねて自分の窮地を訴え、慰めを得ようとするが、誰もが彼以上に深刻な危機感にさいなまれていた。彼はやけ酒を飲んだ酒場で、さえない感じの中年男ミシュー(パトリック・ティムシット)と知り合い、意気投合する。一方、上司のローラン(ジル・プリヴァ)とフランソワーズ(イザベル・プティジャック)の夫妻も離婚の危機に見舞われていた。フランソワーズは誠実なミシューと急接近する。ミシューを連れて故郷に帰ったヴィクトルを待ち受けていたのは、母(マリア・パコーム)が父(イヴ・ロベール)と別れて家を出るという意外な事実だった。ミシューや妹とこの地方の代議士を訪ねたヴィクトルは、彼との対話の中で環境問題や労働問題について大きな疑問を感じる。ヴィクトルとミシューは新しい法律事務所を始めたことになった。離婚したフランソワーズはミシューと恋人同士の関係になるが、ヴィクトルの心の虚しさを埋めるものはまだなかった。彼は、自分の都合でしか妻を理解していなかったことに気づいて愕然とした。失ったものは大きい。その時、妻のマリーが現れた。駆け落ちは狂言だった。妻からも信頼されていなかったのだ。ヴィクトルはもう一度始めからやりなおすつもりだった。

http://movie.walkerplus.com/mv16558/ )




何が笑えるって、ヴィクトル実家の場面よ
60歳過ぎたBBA母が、老亭主じゃ満足しないのさと、40男とデキおった
彼氏の方も家庭持つが、若い女にゃ無い魅力がサイコーと大絶賛する
ヴィクトルとその妹の目前で、車飛ばして何処へかと去るんだけど
兄妹が家を振り返ると、おやおや、捨てられた同士が慰め合ってる
子供たちにすれば、ボケ親父の世話しなくて済むし、「もお、好きにしてくれ」




BBA母といえば、嫁母が娘トンズラに加担していた
サンドウィッチがきっかけとなり、ヴィクトルは、マリーが自宅に居た事を知る
マリーは特別何もしないで、まったり過ごしていたと言い
自分の都合でしか妻を理解していなかった事に気づいて愕然とした夫を赦した




子供たちがママン消えたを聞いて、「アラ、男と逃げたの~」と達観してる
元夫婦がそれぞれ何回も離婚と再婚繰り返した結果、意味不明なまでに入り組んだ家族関係が現れる
一見無茶苦茶ながら
大人にも「成長する余地」と自分を変える意志が持てる国いう事かいね
個人主義責任能力高いを意味するからね
自前TB記事に登場する‘ロミュアルドとジュリエット’もそうだったでしょ




コリーヌ・セロー監督では


をも思い起こすべし




独身貴族のジャック、ピエール、そして漫画家のミシェルはパリでアパートをシェアし
たくさんのガールフレンドと付き合う優雅な独身生活を謳歌していた
しかしピエールとミシェルはある日、マンションのドアの前に赤ん坊が置き去りにされているのを発見する
赤ん坊と共に置かれていた手紙はジャックの元恋人からの物だった
そこから優雅な独身生活から一変し、男3人の子育て奮戦が始まる




マリーが来た事で、3人ともそれまでの友人関係を失ったが、父性愛というよか母性愛に目覚める
18年後に、おっさんトリオが相変わらずマリーと暮らしてる続編が作られた
人間変わろうと思えば、コペルニクス的転回を迎えられる
女性監督だから、男性監督には思い浮かばない視点で描いたと思う




なお、セローは、‘赤ちゃんに乾杯!’が合衆国でも高評価受けた2年後
‘スリーメン&ベビー’のメガホン取るに招聘された
ハリウッドと意見合わず降りたが、滞米時の経験が、ロミュアルドとジュリエットに活かされたとの事
‘スリーメン&ベビー’、監督誰だっけ、男だからあまり面白くなかったが
ジャックが彼の母親にマリーの面倒見させようと、アパートに連れて来る場面は、いまどき親に見せたい
自分の蒔いた種(赤ん坊も、その後も)、自分で刈り取れと大説教するじゃん
個人的には
「ジャックがマリーを連れて実家へ飛ぶと、『ちょいと、孫誕生を黙ってるなんてッ』
シメシメと思ったのも束の間、明日からBBA友と旅行でダメ~と断られた」
オリジナル版の方がツボにはまるけどね




上段が
子供は彼や彼女らの子供を産むのであって、孫を産むは第二義以降であり
ジジババにとっては、親の責任果たした者にのみ許される、あくまでオマケである
人間の性は、オタマジャクシ、男の染色体が決める
子供は「女が産む」というより、「男が産ませる」と言えるのに
男梅!だの、女腹だの、知性と教養の無さを発揮する某国に呆れ果てる所以の一つよ




呆れ果てる理由説明は、17分後登場の次記事に示す