『イスラエルの良心的文化人として・パレスチナ問題』
バレンボイムは、イスラエルによるヨルダン川西岸地区やガザ地区の占領に批判の声を上げ続け(つまり、アラブ諸国とパレスチナの主張する、西岸とガザでの主権を放棄し「パレスチナ国家」を樹立するという主張に沿う発言をしている)、今やイスラエルが「ある民族のアイデンティティと戦うことによって、倫理的な柱を失いつつある」と述べた。2003年には、イギリスの音楽評論家ノーマン・レブレクトによる取材に応じて、イスラエル政府の動向を、「倫理的におぞましく、戦略的に誤っていて」、「イスラエル国家のまさに存在を危機に陥れる」姿勢であると糾弾した。
バレンボイムは、パレスチナ人(アラブ人)との連帯の意思表示として、イスラエル人の入植地区、とりわけヨルダン川西岸地区において演奏活動を行なってきた。
1999年には、親しい友人でパレスチナ系アメリカ人学者のエドワード・サイードに共鳴し、ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団の創設に加わった。これは毎年、イスラエルとアラブ諸国の才能あるクラシック音楽の演奏家を集めて結成されるオーケストラである。同管弦楽団が結成された際、指揮者選びをめぐって楽団員が糾合した時、アラブ側を納得させるために担ぎ出されたのが、ほかならぬバレンボイムであった。これはバレンボイムが、たびたびイギリスやアメリカにおいてパレスチナ寄りの発言をしてきた過去や、歯に衣着せないイスラエル政治批判、エドワード・サイードとの交友関係、イスラエル本土での演奏よりもイスラエル占領地区での積極的な慰問演奏がアラブ側に評価されてのことであった。バレンボイムとサイードの2人は、この活動に対して、「諸国民の相互理解の向上」に寄与したとして、2002年にスペイン王室より「アストゥリアス公褒章 Premios Pr??ncipe de Asturias 」を授与された。
バレンボイムとサイードの共著 Parallels and Paradoxes は、ニューヨークのカーネギー・ホールで催された連続公開討論に基づいている。
2005年9月、イスラエル陸軍ラジオの記者に対し、軍服を着た者とは話したくないとインタビューを拒否したところ、イスラエルの教育大臣はバレンボイムを「本物の反ユダヤ主義者」だと非難した。
2008年1月、パレスチナ自治政府から名誉市民権を与えられた。
2009年1月、まさにイスラエルの2008年~2009年ガザ侵攻のさなかに行われた、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートにおいて、指揮者バレンボイムは「2009年が世界平和の年になるように、中東で人間の正義が行われるように、私たちは期待します」と英語でスピーチした。これに先立ってバレンボイムは声明を発表し「私たちユダヤ人は、無辜の民の虐殺がどれほど非道で許せないものかを、他の誰よりも痛感しているはずだ」とし、イスラエルに対して「より賢明な行動を」と、パレスチナとの共存を訴えた。イギリスのガーディアン誌は「勝利の幻想」と題してその声明の全文を掲載した。
(大賢者様の『ダニエル・バレンボイム』より)
1970年代半ば、鉤十字時代の日和見系音楽家にイケズしたこと思えば、人間出来ました
ジーコがどっかの代表監督時代、どっか国内でパレスチナvs.イスラエル少年サッカー試合
どちらも継続は骨折る仕事ながら、何もしないよりはいい
どっか代表サッカーに関しては
今後、日本がワールドカップで優勝するための秘策 。慈善活動をせが、第一歩
一般市民の場合、どっかの国に向かって言えば
「ドロドロ格差社会といっても、独り飢死などは国全体的にはごく一握り
世界的視点で見たら、裕福な金満国家
普通に飲み食い・学校・仕事・サッカー出来る環境に感謝せよ
それもしないでエラソーな口を外国に向かって利くな、ボケ」
…いまや、オメデタイ戦後育ちが年金貰おうという時代だけに
自分の足2本とボール1個に一族郎党の命運賭ける南米であっても
南米視点で見たら、「運に恵まれとるやんけ」みたいであるかもしれず
…それを考えてみろ。どっかの国では、神々が酒池肉林やっとるようなものだっての
2011年は何事につけ滅びと復活の年になりますかね?
地デジは、確実にジワジワTVを殺すけど
双方向時代=バカでもメディアに意見だけでなく仕切り出来る時代ですからな