あ”~、FC2の拍手ボタンは一度に大量押せない代わり、一人一日一回押されるのが大量押しと大差無しと嘆いて
昨夜ちょっとWOWOWにチャンネル合わせたら
淀川長治先生の珍解説『ドラゴン危機一髪(危機一発)』1978年1月1日放送『日曜洋画劇場』
1978年の元日と大晦日は日曜日であり、世界名作劇場『ペリーヌ物語』の初回と最終回が放送されたと備忘録して
「WOWOWの映画枠って地上波と違って、『一つの作品を短期間に何回やりゃ気ィ済むのぉ』」w
アタシがBS観られるようになったのは1992年春で、およそ1年後にWOWOWと契約した
BSで初めて黒澤映画特集の時だ
WOWOWは一定期間中に再放送繰り返すのが日本放送協会より便利と感じたものよ
BSも30年近く経つと、過去映画の数は有限であるため、複数の放送局で「あ、また」が増える
ブルース・リー特集もWOWOWで、ワーグナー師匠格に泣きつかれ録画したわなと肩揉んで
実験放送当時のWOWOW最大のウリモノ、↓だっけ?
すぐ真犯人わかるw『ツイン・ピークス』
つまりNHKと同じく総合BSであり、映画専門チャンネルじゃない
Rossini il viaggio a Reims Ruggero Raimondi Samuel Ramey
1974 10 30 キンシャサの奇跡 モハメド・アリ vs ジョージ・フォアマン
これまたワーグナー師匠格に泣きつかれて録画した一つだ
ウィンブルドン以外のテニストーナメントも持ってるし、サッカーでは
【伝説ゴール】高原直泰 オリバー・カーンの無失点記録を止めた男
アタシゃ、カーンに同情したじゃなくて生中継で観た
余談ながら
アタシゃ「ボルシア・ドルトムントvsバイエルン・ミュンヘンを一部救った女である」
バルサと白組のEl Clásicoに相当するDer Klassikerが、上のバイエルンvsハンブルガーSVからしばらく後に行われたが
同日にHSVの試合があり、土日1試合ずつのブンデス枠のうち一つを高原に取られるため
ブンデスファンで海外組無関係には迷惑千万!とばかり、WOWOWに何とかならんかと電話したのよね
今思えばDer Klassiker契約無かったんだろけど、WOWOWよく頑張った証拠として
「Der Klassiker得点場面がほぼリアルタイムで、HSVの試合邪魔したった」
電話したアタシのおかげ様だよねw
ジジィを施設に放り込んだ頃にJ:COMの契約を見直す数年前まで、WOWOWはJ:COMとでなく個別に契約していた
CSで観られるサッカー、WOWOWで観られるリーガエスパニョーラと分かれていた理由よ
チューナーが別々だったら、複数の試合時間が重なっても片方を録画してアッチ行ったりコッチ帰ったり出来たのね
中途半端にしか観られないものの、観られないバルサの心配しながら観られるけど無関係なアーセナルの心配とか嫌やんw
BSやCSはネット配信みたいなフリーズまず起きない点がイイしね
安定した視聴環境で多様な番組というのがBSやCSの利点と考えれば、複数契約は決して損じゃないよ
ところで
manager-life.netnews.yahoo.co.jp
Netflixも もう終わりだね!下手すると世界中メーガンが発信してるから解約されたりして………
下手するとメーガンに付いてるハリウッド メーガン上げしてる人やメーガン贔屓の芸能人 ファンが離れて行かなきゃ良いけどね️
メーガンは王室を傷付けたし攻撃したりして 近い内 王室から全てを剥奪し完全永久追放されなきゃ良いけど️
女王は早く全てを剥奪し完全永久追放するべきです️
MEGFLIXとユーチューブ動画に書かれていました。
最近契約者数を落としているので、さらに拍車がかかるかもしれません。
日本のネトフリはまだ見るものがあるけど、
UKやアメリカはネトフリのオリジナルがほとんどで、映画を見たいのに、オリジナルばかりの低予算テレビ映画やドラマばかり。
値段も最近また上がりました。
アメリカのケーブルテレビ並みで安い予算で大量生産の番組だらけ。
<女王は早く全てを剥奪し完全永久追放するべきです️>
私も同感です。
配信てなんであの地域縛りあるんでしょう?オプションで良いから見られるようにして欲しいですね。
「ネトフリ、商売下手ね」思うのアタシだけ?
HMは、永久追放され完全な一般人でも、逆に英国が再び引き取るにしても、「期間限定品」じゃん
王子だが実質中卒程度&学歴詐称Z級女優上がりの超バカップルとあって、何の有益がもたらされるってのさ
ネトフリ興味ねーからどおでもイイけど、先行き暗い気がしてしゃ~ないわ
プレスリーは世界的なスーパースターとなったが、終生アメリカ、カナダ以外でコンサートを行っていない。
海外での公演ができなかった理由は、移民であるパーカー大佐がアメリカの永住権を所持しておらず、
カナダを例外としてアメリカ国外へいったん出国すると再入国を許されない事態を恐れた為だったと言われている。
ちなみに、パーカー大佐が出身国に残してきた家族が、大佐がプレスリーに付き添う姿をテレビで見て仰天したという逸話が残されている。
これに対して、パーカー大佐は世界の公演希望に応えるため、衛星中継という方法で、ナマのプレスリーを世界へ送った。
来日公演の要請に対しては、日本のゴールデンタイムに衛星生中継で視聴してもらえるよう、
1973年1月14日に、ハワイ時間深夜1時からコンサート『アロハ・フロム・ハワイ』を開催する形で応えた。
これは日本のゴールデン・タイム(午後7時)にあわせたものである。放送は約2時間続いた。
ブラウン管テレビで宇宙中継の時代がむしろ最新鋭だった気がする今日この頃だしw
つか、何ヶ月前のサッカー1試合を前半と後半で2週に分けた悠長な時代がギズギスせず平和だったってか~