mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

喜びも悲しみも幾歳月の四季を巡って迎える、死期の歌


アタシゃ秋と冬を愛するため、僕の恋人にして母親?
…男子が冬どーのと聞くと、「TBSドラマの冬彦さん」、野際陽子みたいに刺される気分に陥ったと嘆いて





ストーリー

1932年(昭和7年)、新婚早々の灯台守・有沢四郎と妻・有沢きよ子は、四郎の勤務先の観音埼灯台で暮らし始める。北海道の石狩灯台で雪野・光太郎の2人の子を授かり、九州の五島列島の先の女島灯台では夫婦別居も経験する。その後、弾崎灯台で日米開戦を迎え、戦争で多くの同僚を失うなど苦しい時期もあったが、後輩の野津と野津の妻・真砂子に励まされながら勤務を続ける。また、空襲を逃れて東京から疎開してきた一家と親しくなるなど、新たな出会いもあった。

戦後、男木島灯台勤務の時、息子の光太郎が不良とのケンカで刺殺される。が、そうした悲しみを乗り越えた先には喜びも待っていた。御前埼灯台の台長として赴任する途中、戦時中に知り合った疎開一家の長男・進吾と娘の雪野との結婚話がまとまったのだ。御前埼灯台から四郎ときよ子の2人は灯台の灯をともして、新婚の雪野と進吾がエジプトのカイロに向かうために乗り込んだ船を見守る。遠ざかる船を見ながら、四郎ときよ子は「娘を立派に育てあげて本当によかった。灯台職員を続けていて本当によかった」と、感慨深く涙ぐむのだった。

Wikipedia喜びも悲しみも幾歳月より引用 )

娘が立派に成長したのは良い
「娘夫婦が海難事故に遭い、息子に続いて逆縁の憂き目を見たら?
灯台職員現役続けながら老老介護に四苦八苦の末にの共倒れ最期かね」
どーしても気になる理由が、本題よ




先月初旬

この間2階で物片付けてる時に


ジジィ&鬼婆の結婚式当日に撮影された白黒写真が現われ出た

1965年春とあって、新郎新婦両家関係者の大半、もお草葉の陰で昼寝三昧の身分
「これ、誰やねん?」という顔も見られるが、この中で最年長と思しきジジババの、ババに目が留まった
2列目の左から2人目に、立ってるババよ
今度特養行く折に写真持参し、鬼婆に聞いてみよっと
「これが、曾祖母さんかえ?」

孫嫁によれば
「みっちゃん、このウドン、穴開いてるんか~」
マカロニを知らなかった明治の女か~とね

ジジィによれば
写真撮られたら魂抜かれる型ジジババのため
1966年1月15日に昇天したため
1966年2月1日生まれのアタシゃ、曾祖母さんの顔は知らない
エイさんといい、曾祖父さんの後妻さんで、ウチと何らかの繋がり持ってる高知県のON家から嫁入りした
ON家が、養子であったジジィの生家なので、ジジィと曾祖母さんには血縁があった
ジジィ曰く、アタシの顔が似てたとの事
…写真のババがエイさんとすれば、確かに
分家は別にして初の曾孫誕生予定日が、1966年1月15日
その日になっても、出て来なかったんで、待ちくたびれて逝ったよう

男子期待しとったいうから、どっちみち御期待に添えなかったけどさ





証人である鬼婆に聞くタイミングを何度か逃し、昨日ようやっと聞けた
52年も前の話とあって、曖昧な部分見られるのは許す

新婦の左肩の所に立つ子が、姪(次姉の長女)
それをだね、姪の背後に立つ白い服の女性と間違えたの(女性が誰かは不明)
写真の向かって右側、姪の左側が、新婦の妹→姪の妹→姪姉妹の母親である
白い服の女性は確かに従姉と似てるけど、自分より遥かに年下の姪やんけ、年齢考えろ~であった
肝心要のエイさんに関しては、「そうかもしれん」
…特養ディナーにマカサラ登場して、マカロニを喉に詰めてと、軽く呪いを掛けてやった
写真のババがエイさんだとすれば、「熱烈歓迎したのに、みっちゃんヒドイ(泣)」、大姑が夢枕に立つ
ついでに、姑姉妹が、「ワテらの遺産、みっちゃん相続分を晶ちゃんに全部と一筆残せ」、抜かりなく




写真のババが誰かの件ともかく
エイさんについて考察すると、「80何歳にして、ボケず、寝たきりでもなく、ポックリとは、何と幸運な事よ」
写真には何故かいない、入り婿だから仲間外れにされた?祖父さん
こちらは、2年ほど寝込んだだけで、家事一切×の祖母さんに代わって世話するみっちゃんも楽に済んだ
みっちゃん留守中に迎えた最期の真相、それは恐ろし過ぎる…と逃げて




昨日、特養おやつタイムに、職員がフルーツ杏仁を配っていた
介護施設に於ける日常生活の様子を眺めていて、「入所者の何人が、文句無しの幸運なんだ?」




介護施設には、ボケ組、頭ダイジョブ組、その両方が居住する
ボケ組は、ジジババを入所先へ連行したい親族等に任意同行としたって、強制連行としたって
自宅から連れ出されて、見知らぬ場所に住めとなれば
素直に従う場合でも、「ワシ、ここに住んでいいのかい」「アテクシ、いつまでも住んでもいいのかしら」
何らか不安を覚えるものと見る
帰宅願望など強くなかったら、脳内お花畑満開へと進むに従い、アハハハ♪過ごすと思われる
頭ダイジョブ組も、何故収容されるかの事情をよく理解していたら、「仕方ねーか」と折り合いつけられよう
ただね
ボケとダイジョブいずれにせよ、波乱万丈の刺激は受けない、規則正しいけどマッタリした時間が流れる日々
週末に息子夫婦と孫ちゃんが顔見せようものなら、パラダイスへ誘われる嬉しさに違いない
家族に愛されるアテクシ自慢したい者が、幸運を面会者無しの者に見せびらかすもある
「ボケと一緒くたにしやがってッ」
自慢するのが頭ダイジョブ組で、施設放り込まれる事を内心では納得していなかったらの憂さ晴らしなんかもね
本当は嫌だが逃げられない環境、そこが、施設の厄介な点じゃないのかい




本当は嫌だが逃げられない環境で思い出したのよ↓

祖国ベトナムでの友だちを失い、継父の国で作った友だちが唯一無二の友だち
娘は自分の世界守るべく、父親のバンコク赴任に大抵抗し、東京のリセ・フランセ寄宿舎に入った
しかし本当は寄宿舎なんか嫌で、バンコクへの手紙にも滲み出ていた
もっとも、落第を機にバンコクへ移り、また、寄宿中には外泊出来たミーユンは、まだまだ幸運と言える
寄宿舎に暮らすのは、フランス人及び旧植民地といったフランス語圏出身者のうち
香港など日本の近隣諸国に勤務、あるいは、日本国内だが首都圏外に勤務する親を持つ生徒である
そのうち、両親がスケジュール都合ついて訪れる生徒、第三者でも受け入れ先を持つ生徒が、外泊出来た
ミーユン含む少なくない数の寄宿生が週末、お迎えに来た両親と楽しそうに校門を出て行く姿を
寄宿舎に残らざるを得ない寄宿生たちは、寄宿舎の窓から羨ましそうに眺めていたという
そりゃそーでしょ
友だちはパパンママンと豪勢な食事の時間に、自分たちは舎監や先生に囲まれての無愛想な給食モソモソ
自分の希望で進学した大学の寮と違って、親の都合だけで入る羽目になった寄宿舎
家族揃って本国帰還が叶う、もしくは、異国でも同居可能な環境に移れるのが一番であるが
ま~落第と留年を20歳過ぎても繰り返さない限り、卒業か退学で終わるとはいえ、面白くないよね




…面白くないよねと嘆いた所で、卒業式を迎えてシャバに出られないのが、介護施設というわけ
超弱って病院移送され、そのまま天国と地獄どちらかに進学するは別にして
たまに中退して自宅に戻るケースあるが、大抵、施設環境悪く、見かねた家族が連れ帰ってくれるがオチだ
見かねたからといって、施設へは、自宅で面倒見るのが困難故にを考えてみましょ
万全な世話して貰えると決まっておらず、むしろ悪くなり、入所前と同じく、介護者と共倒れリスク抱える
前と正反対に良い施設見つかれば、また放り込まれるだってあり得る
どう転んだって、100%安住の地に到達出来ないというか




自宅、施設、病院の窓から見える四季の変化を眺めながら、死期を迎える
短期間でポックリ逝ける幸運と、記事題名の意味の説明、終わり!