mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

ラーメン大統領選があれば:「老獪の技が新参の砦を崩壊させ、歴史的大勝」

月曜日の夜、突如、肩から腰にかけてイタタタとなった
どの姿勢取っても、一晩中寝られなかった
火曜日の夕方頃だいぶ楽になったものの、違和感は木曜日の現在も続く




月曜日のスーパー10%割引にて買った物をば

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ペヤング ヌードル」が1973年の発売当時と同じ味付けで復活!
2016年09月23日 11時38分 BIGLOBEニュース

まるか食品は、昔ながらの素朴な味わいを楽しめるカップ麺ペヤング ヌードル」を10月10日に発売する。希望小売価格は税別160円となる。

ペヤング ヌードル」は、野菜や牛肉の旨味を効かせた醤油スープのカップ麺。1973年の発売当時から変わらない、どこか懐かしく心温まる味わいで復活する。スープは、あっさりながらも味付け麺の旨味が出るためコクが深く、隠し味のごま油によって香り高い仕上がりになる。かまぼこ、たまご、味付け鶏ひき肉、えび、ねぎといった具材がカップの中に広がり、色鮮やかな見た目も楽しめる。


https://news.nifty.com/article/item/neta/12112-7739569381/




ペヤングいうたら、最近まで、焼きそばしか知らなかった
まるか食品群馬県伊勢崎市に本社を置き
関西地区では、2008年5月、大阪市城東区に「まるか商事株式会社」大阪営業所を開設と
関東地区ソウルフードの印象強いせいかしらね




歴史長いカップ麺をちょっくら調べてみた

日清カップヌードル:1971年発売
翌年のあさま山荘事件で一躍知名度上がるという、喜ぶべきか?悲しむべきか??どっち???)

徳島製粉金ちゃんヌードル:1972年
販売エリアが西日本限定なのは、そもそも徳島製粉には、2016年現在すら、営業マンが3名しかおらず
かつては東京営業所も存在したが、オイルショック時に閉鎖し、営業所も静岡より東には存在しない
最近は静岡県以外の東日本でも試験的に発売、関東など東日本の一部大手100円ショップに置かれるが
徳島出身のTOKYO主婦が「食べたい~買えない~」と嘆く記事あるほど、まだまだ知名度は低いよう
他方、沖縄県では、日清カップヌードルよりも先に進出した事もあり、金ちゃんヌードルカップ麺定番となり
現在でも月に3万~4万ケースが沖縄県に出荷されており、他都道府県の1・5倍近い売り上げだという
沖縄食材の販売店等にも置かれていたり、沖縄土産として持ち帰る、といったケースもある

サッポロ一番カップスター:1975年
1973年に同社で初めて発売されたカップ麺「サッポロ一番スナック」が前身ともいわれる





上に挙げた3ヌードル、個人的には
カップスター金ちゃんヌードルカップヌードルの順で、カップ麺あまり好まない胃袋が受けつける
カップスターは、アッサリ感に安心するんだわ
ペヤングも、ちょっとチキンラーメンに近いと思うけど、チキンラーメンほどシツコサ無い
具材ゴチャゴチャ入ってないので、小腹減った時にいい
インスタント、暖簾掲げたラーメン屋のいずれにせよ、THE昭和人種向きでないかい




昨日、ママチャリ修理に出かけた
鬼婆が20年以上前に買った自転車で
二度行方不明となり二度とも無事戻って来た悪運強さなんだけど
「物持ちエエね。ま~古い物ほど、丁寧に作られてるけどね」
そー言う爺さん、アンタも後期高齢者なのに、ボケずに仕事出来るとは物持ちエエねは置き
現代基準で見ると素朴な物でも、エエもんはエエのよ




北海道は確か、マルちゃんがサッポロ一番より勢力誇る
日清は、北海道限定の、道とドルを引っ掛けた「カップヌードウ」を発売した
どん兵衛などは毎年いまの時期、北の大地仕様を、他地域で見かけるし
また、関東と関西では、それぞれ向きの味が売られてるよね
明星うまかっちゃんも、九州地区限定の何とか味を、たまに見かける
他には


販売エリアが限られてるので残念無念(アタシが食べたのは、福岡県であった)
これ、普通のしょうゆ味より、日清出前一丁より、絶対美味いよ




ご当地物インスタント麺って一般に知られてないだけで、日本列島津々浦々、色とりどりかも
業務スーパー、関西限定ながらSMAPで一躍名の知れたスーパー玉出に行ってみ
岩手県とか茨城県とか地方に本社を置く地味なメーカーの、5袋パック100何十円が売られており
シンプル・イズ・ベストな、結構美味なラーメンがリーズナブルに食べられる




値段は少々高めでもいい
流通を盛んにして、未知のラーメンを手軽に食べられるように出来ないものやら




なお、ペヤングの隣にいるイトメン

創業者の伊藤哲郎が、戦後間もない1945年(昭和20年)に龍野で製粉業を起こす。元々はそうめん・ひやむぎなどの乾麺を製造していたが、1950年代に「トンボラーメン」(現在は製造されていない)を発売してからは、インスタントラーメンの製造が中心となる。中でも1963年(昭和38年)に発売されたチャンポンめんは、発売から50年以上経った現在でも売れ続けているロングセラーであり、特に富山県以西の九州をのぞく西日本地域では一定の知名度を持つ。

Wikipediaイトメンより引用 )

インスタント麺界のイケメンよ