mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

地上に繰り広げられる友情を、ガラスの天井が静観する

J-COMとの設定一部が朝一番に備え、寝られず、眠気覚ましに頭の体操をば
布団の中でのタブレット検索による世界史おさらいネタよ




【慟哭と恩讐の彼方に想いを馳せて】(2011年11月9日)を基にしたのが
【ボールは慟哭と恩讐の彼方に想いを馳せて飛ぶ】(2012年6月23日独話別館)
これらの再編集と補足してみた








EUROサッカー欧州選手権1992年大会
本大会出場が決定していたユーゴスラビアが内戦による国際試合参加禁止の制裁により出場権を剥奪され
予選同組2位の、休暇先でボーッとしていたデンマークが呼び出され
夢見心地のままプレーしたのかは知らんが、よりによって極悪ドイツに勝っちゃって欧州制覇
統一後初のタイトル逃がしてガックリの反対側では、開催国スウェーデンの皆様も沸き上がる北欧勢
何でもスタンドからはドイツに対して、「Auf Wiedersehen!(さよ~なら~。再見)」
考えるまでもなく、ドイツにはハプスブルク帝国に負けず劣らずの、全欧州を二度目の大戦へと招いた歴史ある
フットボールは戦争だという奴は、本当の戦争を知らん」
クロアチア出身のズボニミール・ボバンが主張説教したって
人間やっぱ大なり小なり代理戦争やっちゃう性みたいねぇ…




アタクシの見る所、「あららら、北欧勢はおよそ半世紀経っても、『第二次大戦中の連帯』やってんのね~」




デンマークは鉤十字ドイツに占領された欧州諸国の中で唯一、ほぼ全員のユダヤ人が助かっている
デンマークは昔からユダヤ人に寛容で、社会に受け入れ、尊敬し、平等な扱いを与えていて
国王は公然とユダヤ人移送の反対を表明、ユダヤ人との連帯を示すなど
デンマーク人は、ユダヤ人問題を孤立した少数民族の問題でなく、デンマーク国民全体の問題として考えていた
強制収容所が解放され、最初に国に戻れたのは、デンマーク国籍のユダヤ人であり
移送された464人のうち、死亡したのは51人だけだった(移送者、生存者、死亡者いずれも奇蹟的数字)
漁師から政府高官に至るまでデンマーク人全体が、あの手でこの手でユダヤ人救出を行い
自力で行動出来ない障害者や老人たち、自分を守る財力持たない貧しい人々以外
実に90%以上のデンマークユダヤ人が強制収容所移送を逃れた
ユダヤ人に避難場所を与えたのは、中立国スウェーデン政府
ドイツの敗北は時間の問題だと見て、ドイツ政府を怒らせるを熟知した上での判断だった




人物

民主主義の成長期にあって、王家の威厳と権力の重要性を強調する権威主義者・統治者的傾向があったために、クリスチャン10世は必ずしも大衆の人気を得ていたわけではなかったようである。しかしながら、2つの世界大戦にわたる治世と、デンマーク民族主義およびナチス・ドイツ支配へのレジスタンス運動の英雄的象徴として果たした役割により、近代以降のデンマーク君主の中でも最も敬愛される国王の一人となった。

また、身長199cmの長身であり、歴代の国王のうち身長が計られた者では最も背が高い。

Wikipediaクリスチャン10世 [デンマーク王]

155cm切るアタクシと身長交換しても、仰ぎ見たくなる素晴らしい王様だわ




他の占領国、同じくドイツから手痛い目に遭わされた国と比べてみましょ




ポーランドは昔からカトリック国で、反ユダヤ主義が根強かった
同じポーランド人でありながら、アーリア系とユダヤ系は戦争中も、一線を画し対立していた
アーリア系による密告行為も当然あったでしょ




密告といえば、アンネ・フランクたちの潜伏自体は、何年来の友人たちから手厚くと幸運だった
オランダの多くの潜伏者は、見ず知らずの人に頼るしかなく、全員が恵まれていたわけではなかった
最初は手助けしてくれる素振りを見せても、急に不安になり、潜伏者と手を切ろうとしたり
ユダヤ人の窮状を支援する振りして、儲けの種にする輩いたり
支援しても、かなり劣悪な環境でのボッタクリが多かった




ウクライナなんて…第14SS武装擲弾兵師団
これ、ウクライナ系移民多いカナダ辺りでは、いまだに黒い疑惑だ

 


旧ソ連といえば




第二次世界大戦中、リトアニアカウナス領事館に赴任していた杉原千畝
鉤十字ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れて来た難民たちの窮状に同情し
外務省からの訓命に反して、大量のヴィザ(通過査証)を発給し、およそ6000人に上る避難民を救った
その避難民の多くが、ユダヤ系であり、戦後イスラエル政府から表彰されたが
国賓扱いで迎えられた空港に待っていた政府高官の多くが、『命のヴィザ』に救われた人たちであった
「一人の命を救う者は全世界を救う」(ユダヤ教タルムードの教えより)
それじゃぁ、何十何百何千人もの命を助けた者は?神さんかい?
いーえ、やはり人間である
「私に頼って来る人々を見捨てるわけには行かない。でなければ私は神に背く」(杉原語録より)
ほんの少しの勇気と深い人間愛を持っていれば、誰でも可能なのよ




杉原語録には他に、「大した事をしたわけではない。当然の事をしただけです」
デンマーク人も、「特別な事は何もしていないよ」
ユダヤ人に触発されたからこそ、デンマークの抵抗運動はあのような強さを持ったのかもしれない
ユダヤ人は我々に何も恩義を感じる必要は無い。デンマーク人は友人として当然の事をしただけなのだから」




デンマークといえば、発音記号か何かがメンドクサイ難解な言語を話す
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東松島市を慰問し、企業からの義援金を贈ったフレゼリク王太子
その父君、マルグレーテ女王様の旦那さんヘンリック殿下(フランス出身のモンペザ伯爵)など
結婚後比較的早くにデンマーク語を習得するも、いまだ国民のジョークのネタにされるほど訛り強いんですとさ
(中国語とベトナム語が話せるからネタにされちゃってるのも???)
長男の嫁モンペザ伯爵夫人は、タスマニア出身のメアリー・エリザベス・ドナルドソン
次男坊ヨアキム王子と離婚したフレゼリクスボー伯爵夫人は、香港出身のアレクサンドラ・マンリー
何とも国際色豊かにして出身成分クソ食らえな家庭環境ですな~も置き
フレゼリクスボー伯爵夫人は、結婚後1年足らずでデンマーク語完全マスターする才色兼備
デンマーク国民には、フランス流儀抜けないヘンリック殿下より人気高く、『アレックス』と親しまれた
…『アレックス』と親しまれた?過去完了形かい?
現在も人気はあるみたいよ
ただし

デンマーク王室では1846年(王太子時代のフレデリク7世とカロリーネ王太子妃の離婚)以来の離婚となった。離婚後女王は、アレクサンドラにふたりの王孫の養育権を認め、新たに彼女をフレゼリクスボー伯爵(Grevinde af Frederiksborg)に叙爵した。またデンマーク議会は彼女に対して、将来の再婚の有無にかかわらず生涯にわたって王室費(2007年当時で年190万DKK)を支給することを可決した。離婚の原因としてさまざまな臆測が流れたが、まだ幼いふたりの王子のためにヨアキム王子とは離婚後も友好関係を保っている。

アレクサンドラには離婚後も「殿下」の敬称と「プリンセス」の称号を公式に用いることが認められていたが、2007年3月3日に王室カメラマンで14才年下のマーティン・ヨアンセン (Martin Jørgensen) と再婚したことによりこれを喪失した他、王族としての免税特権を失った。現在は自身の爵位であるフレゼリクスボー伯爵として、デンマーク貴族の一員である。2015年9月、アレクサンドラとヨアンセンの離婚が公表された。

Wikipediaアレクサンドラ・マンリーより引用 )

もはや王族でなく、あくまで一貴族の身分なのよ
単なる貴族だろうと、アジア人の身に余る栄誉じゃん?
確かにね
しかしながら、「欧州王室初のアジア人プリンセス」、この点にふと疑問を抱いたの
寝つけず、ロマノフ王朝の現在過去未来を検索したのがきっかけだった
何で、ロシアが登場する?




17分後に登場する後半へと続く