mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

白い妖精が10点満点なら、追っかけは減点人間

寝ても寝足りん。暑い~。ウラの布団バカ叩きボケ主婦、ジジィと一緒に地獄に落ちろぉ

 

なのに、さらに暑苦しくなるモノ見てどーするか

 

 

1989年12月、チャウシェスク最後の演説。どーしよと困った顔が印象的

ま、大賢者様がダラダラ講義したくなるだけのご無体列伝の持ち主、抗議却下当然の最期

クリスマスに嫁と仲良く処刑された写真、新聞第一面が寒々しかった

 

独裁者から夜の付き合いと愛人強要されたコマネチさんの悲劇

2011年05月19日16時00分
提供:NEWSポストセブン

 

 カダフィリビア)やムバラク(エジプト)といった独裁者たちが、長期にわたる腐敗と失政の報いを受けようとしている。権力の椅子にしがみつこうとする孤独な男たちには、様々な共通項が見出せるが、その権力を引き継がせようとする「息子」たちが何の資質も持ち合わせていない放蕩息子ばかりだという共通点は興味深い。落合信彦氏が解説する。

 

 * * *


 カダフィの放蕩息子たちの見るに堪えない振る舞いは、独裁者の息子としては、決して例外的なものではない。

 

 私がまず思い出すのは、冷戦下の東欧で秘密警察「セキュアリターテ」を使って国民生活を逐一監視し、飢餓に苦しむ一般市民を差し置いて自分と家族にだけは豪奢な生活を許していたルーマニアの独裁者ニコライ・チャウシェスクとその息子のことである。

 

 1989年12月24日に起きたルーマニア革命により、チャウシェスク夫妻は銃殺処刑された。私が首都・ブカレストに取材に入ったのはその直後のことだったが、市内の光景は異様だった。

 

 日々のパンも手に入れられないような国民が暮らしているというのに、中心部にはチャウシェスクが建設させていた地上10階建て、3000以上の部屋を誇る宮殿がそびえ立つ。その正面の通りは、チャウシェスクが出した「パリの大通りよりも広い通りを!」という指示に基づき、シャンゼリゼ通りよりも1m広い幅で作られた。地下道は戦車も通れる。

 

 財政破綻寸前だったルーマニアで、この道を真っ赤なフェラーリで疾走していた男がいた。それが、チャウシェスクの次男・ニクであった。

 

 ニクが車を乗り回す時はセキュリティが張り付き、大通りには10mおきに警察官が配備された。一般市民の生活水準など無視したチャウシェスク一族の象徴であったと言えよう。

 

 ニクは、未成年のうちから酒を飲んではお気に入りの車を運転し、あげくに交通事故を起こし、またある時はレイプなどの犯罪行為に走っていたという。

 

 もちろん、彼が罪を問われることなどない。「俺を一体、誰だと思っているんだ」その一言で、ルーマニアの全ての警察官は独裁者の息子にひれ伏すのである。

 

 そんな男でも、父親の威光があれば、国や党の要職が与えられる。32歳の若さでルーマニア共産党中央委員に選出された。これでは本人が行ないを改めるはずはない。

 

 そんなニクの毒牙にかかり、人生を狂わされた女性がいる。

 

 1976年のモントリオール五輪の体操で史上初めて10点満点を叩き出し、金メダルを獲得した「ルーマニアの白い妖精」ことナディア・コマネチであった。

 

 国民的ヒロインは、独裁者の息子から毎晩のように夜の街へ付き合うように求められ、愛人関係となることを強いられた。もちろん、当時のルーマニア国民に、チャウシェスク家に逆らえる人間など一人もいない。身も心もボロボロになったコマネチは、命からがらオーストリア経由でアメリカへと亡命する。革命の1か月前のことであった。

 

 ルーマニア革命が起きた時、ニクは別の愛人と車で逃走しようとし、逮捕された。連行されるニクの愚かで哀れな姿は国営放送で生中継され、視聴した国民は大いに溜飲を下げた。

 

 その後、横領罪などに問われた裁判中に、ニクは肝硬変でこの世を去った。ストレスや深い思考、自省の念などと無縁のまま40年近く生きた男にとって、「本当の世界」はあまりに苛酷だったのだろう。

 

※SAPIO2011年5月25日号

livedoorスポーツより)

 

米国に到着した際には厚化粧と安っぽい服装で登場したコマネチに対して

ネガティヴな報道出たのは、同伴男性との不倫疑惑に「So What?(だから何なのよ?)」

保守大国の米国なのに無防備すぎましたねは置き

 

このニクも憎ったらしいヤツながら

 

ヴァレンティン・チャウシェスク(1948年2月17日 - ) - 長男。ただし実子ではなく、チャウシェスク夫妻が孤児院から引き取った養子。核物理学者となり、政治には関わっていなかったことから、革命の際にも身柄拘束はされなかった。その後、横領などの容疑で逮捕されたものの不起訴処分となり釈放。現在は核物理学者として復帰している。革命時に新政権によって没収された財産の返還を求める裁判を起こした。

 (大賢者様)

 

長男は、ステアウア・ブカレストの独裁者

そのおかげ様で、1986年欧州覇者チームがトヨタカップ出場のため軍用機で飛んで東京

 

ヴァレンティン自身か、ニクがご相伴に与かろうとしたのか

トヨタカップは黒星だから、チャンピオンズカップ優勝関連だっけ?

記憶が曖昧ですが

 

ステアウアGKが、外国の称賛者から豪華な自動車(言うまでもなく、外車)を贈呈された

独裁者お坊っちゃまから、自分の車と交換だか一方的によこせだか要求来た

実力で頂戴した物をやれるか、無論言葉では丁重に、シッカリお断りした

結果、後日、夜中に秘密警察が来襲して、GKの商売道具である手を潰された

 

庶民が子供を甘やかしても、中坊が無灯火チャリ二人乗りと危険なのに

権力者やカネ持ちが甘やかそうものなら、どんだけの人命と人生を危険にさらすやら