mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

現代のおとぎ話:『存在の耐えられない軽さ』

英司法界揺さぶる実名ツイート 報道禁止命令も…マンUギグス不倫騒動
2011.5.26 07:41

 サッカーのマンチェスター・ユナイテッドイングランド)で活躍するライアン・ギグス選手(37)が不倫問題で裁判所から報道禁止命令を勝ち取りながら、短文投稿サイト「ツイッター」で名前が拡散。新聞も命令を無視して報道を始める事態になった。(SANKEI EXPRESS

国会で暴露→「解禁」

 ギグス選手は、英リアリティー番組出身のモデル、イモージェン・トーマスさん(28)と不倫関係にあるとされ、英高等法院に報道禁止を申し立て、認められていた。

 ところが、ツイッターで「トーマスさんの相手はギグス選手だ」というつぶやきが相次いだ。5月23日には、不逮捕特権で守られているジョン・ヘミング下院議員が国会で「7万5000人がギグス選手だと書き込んでいる。全員を捕まえることなんてできっこない」と発言した。

 このため、英各紙は報道禁止は無意味になったとして、5月24日付から一斉に大きく報道。デーリー・ミラー紙の1面には、ギグス選手の名前と米映画をもじって「プライベート・ライアンの名が挙がる」との見出しが躍った。

違反なら法廷侮辱罪

 英国の裁判所の報道禁止命令はプライバシーの保護を目的としており、その事実の報道禁止だけでなく、命令が出ていること自体の報道も禁ずるもので、super-injunction(超差し止め命令)と呼ばれている。

 ロイター通信によると、ここ数年で、報道禁止命令を勝ち取った芸能人やスポーツ選手、会社の数は200件に上るとの推計もある。命令に違反した場合、法廷侮辱罪に問われ、罰金や禁錮2年の刑が科される可能性がある。

 サッカー選手をめぐっては昨年、チェルシーFCのジョン・テリー選手(30)が不倫が発覚しそうになって報道禁止命令を申し立てたが、棄却されたためかえって広まり、イングランド代表主将を解任されるという出来事もあった。

首相、新法制定を検討

 ロイター通信は、ロンドンを拠点とするコンサルタント会社コントロール・リスクスのアナリスト、ジョナサン・ウッド氏の「グローバル化した今の社会では、法律で情報をコントロールするのはますます困難になってきている」との指摘を紹介した。

 デービッド・キャメロン首相は英国の現在の状況について、誰もが話題にしていることをメディアが報道できない「継続不能な」状況にあると評し、新たなプライバシー法制定を検討する意向を示した。

 「ギグス問題」は有名人のプライバシーと報道の自由の関係をめぐる議論に火をつけるとともに、ネット社会では隠し事はできないという現実をあらためて浮き彫りにした。

 マンチェスター・ユナイテッドは欧州チャンピオンズリーグの決勝を28日に控えているが、騒動が広がったギグス選手は24日の練習に姿を見せなかった。

( 出典先:MSN産経ニュース
 
 
日本では、某スポーツメーカー女性社員がやらかしました
来店したJリーガーを新婚さんいらっしゃ~い♪どころかボロカスに書いて炎上
原文を読み彼女の背景を調べた時点で、「企業倫理以前に、こりゃ社会性ゼロの家庭育ちやわ」
と思っていたら、彼女は「書き換えられた」と、恐れ多くも2ちゃんねるに責任転嫁したらしく
ブチ切れた2ちゃんねらー各位より、超恥ずかしい過去暴露・自宅外観写真撮られちゃうなどなど
これはこれで問題ある気がしつつも、結局、ねーちゃんの自業自得じゃん?
TwitterMixi両方を退会したって、プロフィール公開した上で今回の暴言じゃ…
 
 
行き着く所、ネット利用者の自覚と品性、ここに尽きるんじゃないですかね
TwitterMixiFacebook、ブログ何でも同じだと思います
各コミュニケーションツール栄枯盛衰の過渡期に差しかかっているのではないでしょうか
 
 
ちなみに、アタクシは、ブログの可能性と未来性恒久性を信じております
ネット歴長い人の中にも、皆がブログ放置してTwitterに走っている時代だからこそ、ブログの価値が見えると
TwitterFacebookの特性を、その気になれば、ブログでも展開出来ますからね
世界に冠たる個人主義者であり、テメエの都合第一で動きたいタイプとくりゃ
Yahoo!・FC2・アメブロ・ウェブリを気分と内容次第で独り好き勝手に使い回す道を大事にしますってば
 
 
 
 
 
 
 
1968年の『プラハの春(チェコ事件)』直後、国外へ逃げるも
「アタシにとって世界はとても重いのに、アナタにはごく軽いのね。アタシ、その存在に耐えられないの」
存在というものは耐えがたく軽い。しかしながら、軽さにも『重さ』が存在しないわけではない。とはいうても
相変わらずオンナ遊び続ける男に愛想尽かし、緊迫状態続くプラハに逃げ帰る女、無理もない
 

彼は彼女を追いかけ、自分もプラハに戻った
過去に書いた論文が命取り、職もパスポートも取り上げられ、彼女ともども身動きならず
ひっそり農夫暮らしを始め、ある日突然自動車事故で世を去った
女を使い捨て道具のようにしか扱わない男とて、時代の波に翻弄される軽い存在でしかなかった
 
 
…書いてる自分でも頭の中が混乱してきてますが…
 
 
『存在の耐えられない軽さ』が、人間の存在一般を指す言葉だとしたら
その人間が扱う諸々、日々の生活・人間関係・物質文明もまた、存在の耐えられない軽さのもとに?
 

「人間が自分で生み出した物によって、逆に支配され、非人間化していく」
これが、『自己疎外』の本来の意味ですが
「所属すべき集団から疎んじられ、相手にされない状況に陥る」
今日一般に使われる意味と考え合わせると奥深いですね