「朝、窓の外に男性が立っていて、『この窓が開いていた結果、近くで事件が起きた』と告げた」
という内容を夢診断すると
窓の外が二階の屋根だから、此の世の存在か怪しいオッサンこそ事件やでw
ある家や人物の都合が、別の者にとって不都合なため監視と制御している
そう捉えたら、な~んとなく浮かんで来たのが
降りて下さいの声で一斉に動くバス乗客が用意良過ぎて怖杉~
それでも着席したままのトゥルーマンが鈍過ぎて怖杉ともw
ま、イイ意味で鈍いおかげ様により、何ら疑問抱かず30年も生きて来られたと言えよう
父を亡くしたことで水恐怖症を患ってしまい、生まれて此の方一度もシーヘブン島から出たことが無い件について
「恐怖に晒された人間にとっては、開いたドアが開いたドアでなくなってしまう」適応の真理を
他者が予め計画して恐怖感を刷り込む故に恐ろし屋
トゥルーマンに何ら疑問抱かせてはならないだけに、何かと結構ザルザルな番組制作スタッフやけどなw
何度観たかて、哲学的でもあり、実の所ワケわからん
一般ジャパニーズだって
指クロスが何を意味するか即座に飲み込めないでしょ
矛盾多いし、The Truman Showの何から何まで100%理解出来る者いたら尊敬するわ
嫁との18禁場面中などは多分
それ以外は、トゥルーマンが生まれた時から人生の全てを24時間の撮影と放送が続いたThe Truman Show
壁の外側へ出た後のトゥルーマンは何処へ?
『トゥルーマン・ショー』続編・その後は? ジム・キャリーの回答が秀逸。でも、哀しい。 | VG+ (バゴプラ)
どうでしょう……。
トゥルーマンが壁の外に出た後にどうなったかということは、たまに考えるし、よく聞かれることなんです。
少し経ってから気づいたんですが、彼は壁の外でも孤独になったと思います。
なぜなら他の人々が皆あの壁の内側に入っていくからです。皆、あのドームの中で暮らしたがるんです。
行き先と環境次第で、 外の世界に適応出来る可能性、元の世界へ戻る可能性の両方あると思う
壁の外側には
何も考える頭持たず何ともノーテンキな顔してトンキン五輪に浮かれるのやら一般ジャパニーズを筆頭に
トゥルーマンの一投一足に一喜一憂が済むと、新鮮なネタ、次に観る番組を探し始めるほど、薄情者多い
自分が作ってトラブル発生時に責任取って損するわけでない玩具に熱狂しているだけを考えてみ
昨日書いたあるヤフコメ民の言葉、「賛否両派、しれっと次の新しいネタに切り替えて五輪を忘れるよ」と同じね
その一方、壁の外側に暮らす者全員が壁の内側へ行きたがるわけでもあるまい
世界220ヶ国で知られる存在が果たして無名の一市民として暮らせるのかね
ニッポンの降嫁した女性皇族に負けず劣らず厳しいと思われるガー
それより「アンタ一体、何処からシーヘブン島まで(・・?」が気になる
島内で生まれたにしろ、トゥルーマン以外全て「作り物」ならば、精子と卵子、生物学上の両親が気になる
仮に試験管ベビーとしたって、母体から卵子を取り出し、体外で人工受精させ、再び子宮内に戻して着床妊娠させる必要あるやろ
んで、それは無いと思いながらも、♂については「クリストフ?」
一つの作品制作者としての情熱を強く持っており、自分はこの世界を作った神だと慢心している
トゥルーマンが生まれる前から見守って来たクリストフには悪意感じられないどころか
モニターに映るトゥルーマンを撫でヾ(・ω・*)したりに母性愛すら感じられる
…コレが頭に浮かんだら夜寝られなくなり、疲れちまうから、誰かトゥルーマンの実親を教えてw
親離れ子離れの世界にゃ違いないと思う
その意味でトゥルーマンは、ワーグナー楽劇『ワルキューレ』のジークムントと同じくらい賢い
Richard Wagner - Die Walküre - Todesverkündung - Boulez 1981
妹亭主との決闘に負けたら、神々の居城ヴァルハラの英霊として迎え入れられる
父が神々の長ヴォータンと知らず、父から言わば遠隔操作で教育と苦難も知らず
ヴァルハラへ行けば父ヴェルゼ(※ヴォータンの変名)に会えるのかと質問するほどファザコン息子である
しかし妹は地上に残されるを聞くと「どんな忌まわしい場所でも、ジークリンデの喜び悲しむ場所に留まる」
親の庇護下にいたらマァ安全安心を振り切って、自分の意志に従った
その辺り、トゥルーマンもそおやろ
この映画の恐怖場面として、「会えない時のために、こんにちは!こんばんは!おやすみ!」
トゥルーマン自身が「作り物の産物」だけど
作り物の世界に生きていたを知った後、視聴者に見せた一世一代、最初で最後の「本当の演技」となったね
作り物の世界が身に染み込んで「習い、性となる」になっているの有無に、壁の外側に適応の可否が隠されている
もっと恐怖なのが、トゥルーマンその後に対するジム・キャリーの回答の中の
『トゥルーマン・ショー』はマクロな話でしたが、今では身近なレベルで起きていますよね。
皆が配信のチャンネルを持っていて、それぞれが自分のトゥルーマンの世界を持っている。既に存在しているんです。
ドイツメディアのCineNewsに対しては
『トゥルーマン・ショー』は映画作品でしたが、今では現実になっています。
皆が自分の配信チャンネルを持っていて、(世間の) 関心を引こうとしています。
でも、誰も本当に手に入れたいものについては知らないんです。
つまり
1998年にインターネット存在したけど、まだまだ一部の精通者に限られ
揺り籠から墓場までの全世代が使える「あてがいぶち」機械に狂騒する時代でなかっただけに
自分が本当に必要としているかわからないデジタル社会を弊害クソ食らえで過信し狂騒するなど
2021年現在の世界を予見していた映画じゃねーの(゜.゜)