mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

Who knows?God knows.

行きつけのラーメン屋で一杯やってたら、多機能ケータイを片時も手放さないおねえちゃんが隣席に

こういう場面を目にするたび、『自己疎外』という言葉を思い出します
本来の意味、「人間が自分で生み出したものによって、逆に支配され、非人間化していく現象」で

マックス・フリッシュの‘アテネに死す’の映画化‘ボイジャー~運命の航海者’(F・シュレンドルフ監督)、
これは『自己疎外』な人間の末路を描いていると言えるでしょう

科学技術のみを信奉する中年エンジニアのフェイバー、恋人との痴話ケンカから発作的にパリ行きの船に
彼はそこで、美術や文学を愛する若い娘サベス、自分とは対極な彼女に何故か惹かれ、のめりこみます
下船とともに別れを告げ、それぞれの目的地へ赴いたものの、フェイバーの頭にはサベスの姿あるのみ
一縷の望みを賭けてルーヴル美術館を訪れてみると…彼女は、いました
ギリシャへの旅に出た二人でしたが、そこで待ち受けていたのは…

アメリカの作曲家トバイアス・ピッカーの歌劇‘Emmeline’は、19世紀に起きた実話を基にした作品
‘エディプス王’をイオカステの立場から描いたような話です
Emmelineの場合、彼女自身にはどうしようもなかった不幸な過去があり、同情の余地は見られます

一方、フェイバーはというと、人生の機微を知らぬ身から出たサビ、自業自得なのですね
彼一人が痛い目に遭うならまだしも、何の罪もない娘サベスは…

こんな話、滅多に起きるものじゃありません。あったら困る
ただ、半世紀も前に書かれた物語が古臭く感じられないのは…『自己疎外』が永遠に消滅しそうに無いせい?