mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

勝利を守る英雄への讃歌~ペーター・ホフマンに捧ぐ~

日本が避暑地に思えるまでの猛暑に悲鳴上げる欧州
熱中症に倒れそうな中を、ワーグナー熱中症は先週からバイロイト音楽祭に押し寄せている様子
んで、ここ何日か、クラシック方面を少し検索した結果
「それは流石に知らなんだ」と熱中症でもないのに倒れたコトの備忘録をば
 
 
 
 
 
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バイロイト音楽祭創立100周年記念として1976年に初演されたパトリス・シェロー演出♪ニーベルングの指環
ワルキューレ第二幕第二場、神々の長ヴォータンと嫁フリッカの夫婦喧嘩場面より
亭主が人間界で作った双子の兄妹ジークムントとジークリンデが駆け落ちし
結婚の守護神である嫁がここぞとばかり、亭主を理詰めでギュウギュウ締め上げ、勝利を収める
詳細は割愛するけど、この場面が、指環全体の物語を転換させる
 
 
 
 
フリッカを演じているのは、ハンナ・シュヴァルツ
1943年生まれのドイツのメソ・ソプラノ及びアルト歌手である
近年も東京の新国立劇場に出演したり、後期高齢者ながらまだまだ現役を続けるらしい
50歳前のYouTubeペタリ↓
狆クシャ系ながら可愛く色気も十分なのが良い
後期高齢者現在、今年38歳の息子の母でもある
1981年に秘密裡の結婚した亭主のタネじゃない
シングルマザー本来の意味である未婚の母として産んだっちゅう話よ
「赤ん坊が欲しい」
「養育費要らないし、どんな責任も取ってくれなくていい」
男を逆ナンパして懐妊と出産を果たし、自ら0歳保育しながら世界中を巡演したとの事
大学に入って卒業し社会人となる頃に1960年代を過ごした世代とあって
善し悪しは置き、学生運動フェミニズムが盛り上がった時代の洗礼を受けた女性で
男も子供も欲しいけど、亭主はイラネ志向の一人だったと思われる
 
 
 
 
問題は、「誰を逆ナンパしたのさ」
息子の顔を見たら、一発でわかり、PCの前で倒れた
わからない人にはわからないが、わかる人には爆笑物なのよ
 
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ペーター・ホフマンPeter Hofmann, 1944年8月22日 - 2010年11月30日)は、ドイツのテノール歌手。

人物
チェコ(当時ナチス・ドイツ保護領)のマリエンバートに生まれる。1972年にリューベック市立歌劇場で『魔笛』のタミーノ役でデビュー。1976年にはバイロイト音楽祭にデビューし、その後ヴァーグナー作品の諸役を歌って高く評価され、カラヤンの指揮する『パルジファル』のCDでタイトル・ロールを歌う等、ルネ・コロ、ジークフリート・イェルザレムとともに、20世紀終盤を代表するヘルデンテノールとして活躍する。

1980年代からは少年時代から好きであったロックのCDも出し、大いに人気を博したが、1980年代の終盤頃からしばしばその歌唱は不調に見舞われ、不安定なものとなることがあり、評論家たちは「ロックを歌って発声を崩した」と批判した。なかには「堕ちたヘルデン・テノール」と呼んだ者もいたが、のちにパーキンソン病であったことが判明し、歌唱の不調もこの病によるものであったと考えられている。

その後引退し、闘病生活を送っていたが、2010年11月30日にゼルプで死去した。

Wikipediaペーター・ホフマンより引用 )
 
顔が半分切れてるのは、ホフマンが大ファンしていたミック・ジャガーと説明して
 
 
 
 
シュヴァルツとホフマンは、1979年、ハンブルグ歌劇場でR・シュトラウス歌劇ナクソス島のアリアドネに出演
翌1980年、バイロイト音楽祭中によろしくやっちゃい、9ヶ月後に息子が誕生し、公然の秘密となった
話がややこしくなるのは、1982年初演のゲッツ・フリードリヒ演出パルジファル
【至上の愛を胸に、約束の地へ】
魔性の女クンドリの誘惑に引っ掛からず、花の乙女たちの1輪を摘み、摘まれたのが再婚嫁だった
1983年に結婚し、1990年に離婚した
ところで、ホフマンのパルジファル舞台に咲く花の乙女たちにはサッソンの他に、シュヴァルツもいた
花の乙女たちと言えば、アータ、「ワタシが一番の美人よ!」と男を取り合いする役回りだ
舞台裏の事情を知る者には笑かす展開だよねw
 
 
 
 
ホフマンが離婚した1990年と言えば、NHK交響楽団特別演奏会に登場して、絶不調の歌を聴かせおった
離婚調停に疲れ気味?じゃなくて
音楽評論家から散々「Rock歌い過ぎ」と酷評された
ウィキに書かれてるように、パーキンソン病進行中の影響と思う
1990年代半ばにはまだ乗馬などの余裕持ってたけど
2007年に再々婚した嫁は理学療法士というから、病気は確実に悪化していたわけね
30歳下の嫁ザビーネとは、1999年頃から交際し、2003年に娘ラウラ・ゾフィーが授かった
何が哀しいって
 
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わかる?
ホフマンは娘誕生した頃に、認知症発症したんだよ
パーキンソン病認知症のコンポって、どないな変化するん?
ホフマンの死因は肺炎だが、最後は、かろうじて言葉を発し、介助無しでの食事は無理であったという
ボケさんにはボケさんなりの認識あるだろうし、自分でまともに飯食えない状態って辛いと思うぞ
後に残す嫁と娘の心配もしていたと思う
芸術家年金とか何種類かの支援は受けていたものの、借金だらけだったので、嫁と娘の住む家の事もだ
 
 
 
 
「1964年に長男のペーターが生まれ、1965年に次男ヨハンネスが続いたので
私は突然妻子の扶養という義務を負わされる事になった
それはすなわち、両親がしてくれた以上に、自分の家庭をより良く築いて行くという大きな責任を負う事だったが
上手くやって来たと思う
子供たちとは、一番下のレオに至るまで、非常に良い関係を保っている
今では、大きい子供たちは、二人とも自分の家庭を持っていて、私には既に4人の孫がいる」
 
 
 
 
2003年刊行の伝記からのため、誕生前の娘は出て来ない
長男と次男は、有名になり過ぎて破鏡を見た早婚でもうけた息子たち
一番下のレオが、シュヴァルツの産んだ息子
 
 
 
 
という事は
ホフマンはシュヴァルツの種馬みたいなもんだが、隠し息子の事は気に掛け、接点は保っていたとなる
シュヴァルツも認めての話となる
ワルキューレ上演数多あれどホフマンが最強と断言するジークムントを考えたら面白過ぎる
ジークムントは、ヴォータンが夫婦喧嘩に負けた結果、決闘に敗れて死ぬ運命と決まるが
フリッカが、己の誇りを守るべく、ジークムントの死を要求するのよ
ジークムントとフリッカが同時に舞台に立つ場面は無いが
ホフマンがバイロイトで歌ったジークムントがシェロー演出でのものを頭に描いてみ
シェローのフリッカであったシュヴァルツとの関係が、ね
 
 
 
 
英雄ジークフリートに似合うゲルマン少年レオにとっても、実父と繋がれたのは幸運だ
ワーグナージークフリートは、ジークムントを喪ったジークリンデが森に逃れて産み落とした
ジークリンデは出産後すぐ亡くなる
ジークフリートジークリンデを助けた小人のミーメに育てられたので、両親の顔すら知らない
お母さんはどんな女性だったのだろうと想いを馳せる場面あるけど
現実のジークフリートは、お母さんは無論、いないはずのお父さんまで知ってるのが、ね
 
 
 
 
レオが、そしてペーターとヨハンネスが、責任感旺盛なお父さんの血を引いていて
現在まだJK年齢の妹ちゃんの守護神を務めていると信じたい
 
 
死を受け入れたら、神々の世界へ行って英霊となれる
しかし神々の世界に入れるのは自分だけで、ジークリンデは地上に取り残される
「どんなに忌まわしい地上でも、彼女の喜び悲しみ生きる場所に留まりたい」
栄誉より妹ちゃん守護神を選ぶジークムントの息子たちだからね