mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

運命と死の戯れの後には、神の恩寵の下に

【ファーw】日本人さん、世界トップクラスの「ヤ バ い 民 族」だったwwwwwwwwwww
1 2019/05/09(木) 10:44
有史以来ずっと戦争してるやべえ民族
大きな戦いがなかったのは平安時代と江戸時代の一部と太平洋戦争終結後のみ
26
第二次世界大戦とか絶対に勝てない状況なのに開戦させるくらいの戦闘民族やぞ




1、今頃、わかったのかね
26、それが、ポーランド人の本音に近いよ
ポーランド人の本音?
ドイツ語のアウシュヴィッツで知られるオシフィエンチムを訪れた日本人が
アウシュヴィッツヒロシマナガサキの悲劇を一緒に語り継いで行こうと、側のポーランド人に言うと
ポーランド人は原爆投下の悲劇を認めた上で
「でもそれは、貴方の国が戦争を始めた結果、招いてしまった悲劇だよ
ポーランドは、ドイツが勝手にやって来て占領した結果、押し付けられた悲劇だよ
全く同一に語る事は出来ないよ」




そりゃま、何処の被占領民にも体制協力者は生まれ、ポーランドだって同じ
しかしながら、国単位としては、被占領国であった
加害者にして被害者である特殊な位置にある日本人とは感覚が違って当然だ
しかもポーランドには、ドイツが帰ったら、今度はソ連が来たという歴史を忘れちゃならない
GHQを別に置けば、外国に占領された経験持たない国と一緒にされたくないでしょ




どうあれ、今現在が、常在戦場を描く日本史の上で稀少な時代には違いない
昭和を否定する平成人種は、昭和が平成の分まで戦禍を引き受けてくれたと考えるべきかしらね
もっとも令和が、平成同様ドンパチ起きない時代と決まってないぞ
昭和と同じ事は起きないとしてもだ、みんなの大好きな?アベちゃんの考える事なんて…
戦争は別に海外とのものだけじゃなく、膿家の境界線争いだって内戦という戦争だぜ
数年前
「日本が世界で一番いい国です
日本人同士で仲良くやって行きたいです」
というコメント来たけど
情報操作という洗脳されたサポーター達の末席かよと呆れたわw
何より恐ろしい点として、「日本は他の国以上に、破滅するまでは何も見えていないという国民性」
現代のように、ドンパチ起きなきゃ平和ボケで、天災も人災も対岸の火事的な時代が特にね





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長崎への原爆投下について、毎年思う事として、「3日早かった広島の陰に隠れている」
そんな印象受けない?
二つの被爆地のどっちが悲劇度高い低いを言うつもりは無いよ
無いものの、8月6日にピーク迎える的な印象拭えないの
広島に投下されたのは、Little Boy
長崎に投下されたのは、Fat Man
爆弾の名前から想像出来る通り、破壊力では、長崎が広島を上回るんだけどね
長崎はしかも、小倉の身代わりみたいなものだけどね
小倉は、今回の菩提寺アーバスガイドねーさん出身地であるが
やはり小倉出身であるウチのワーグナー師匠格と全く同じ感想を口にした
「原爆投下が予定通りだったら、自分は生まれていない…」




長崎への原爆投下で起きた爆風は超エグかったそう
そんな惨状の中、窓ガラスなどは割れたけど建物は生き残ったのが

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観光地としては観てガックリに入るらしい、カトリック教会としても簡素で地味な大浦天主堂だった




中に入る時、細川ガラシャ夫人気分を味わったわ
ガラシャ夫人最初で最後の教会は掘っ建て小屋っぽいものだったというけど
外出ままならない身でコッソリ、しかも教会へ行くなんて、言葉にならない感動じゃん




現在の大浦天主堂内では、プティジャン神父による信徒発見などの説明がテープで流されている
これがね、知っていても泣けるんだわ
キリスト教の殉教者』(Wikipedia)を覗いてみ
洋の東西問わず、キリスト教でどんだけ壮絶通り越して凄惨な最期を迎えさせられたやら
戦国時代のキリシタン弾圧、あれ、豊臣秀吉がアフォな宣教師に業を煮やし?
欧州では宗教改革の影響を受け、御新規さん頭打ちか、遠路はるばるアジアまで信者開拓出張する時代に
宣教師もピンキリの玉石混交、石の方の宣教師が人身売買みたいなあくどいウラ商売やってたいうからね
だからといって、長崎のマグダレナ可哀想過ぎる
別嬪さんだから、役人は棄教すれば良い結婚が出来ると薦めたなんて、オトコって姑息で嫌らしいわねッ
役人は拷問に掛けられても信仰を捨てなかったマグダレナに業を煮やし、穴吊の刑に処し、逆さ吊りに?
役人の家系を、シルベン・ブスケ神父を騙した青年の家系ともども逆さ吊りに傾き続けるよう呪ってある!
(ブスケ神父は、たかだか70年ちょい前のお話…ったく怖いね、トントントンカラリ隣組の陰険な時代は)




プティジャン神父と神父に発見された信徒及び無念に散った隠れキリシタン
自分たちの存在が認められた輝かしき天主堂を、ピカの爆風から守り抜いたと信じるわよ




天主堂の前の坂道を下る途中、左に折れた所に喫煙所が見えた
嬉野の喫煙所で一緒に吸った親父と一緒に休憩中、目の前にあったのが

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ここでまた泣けた





身代わりの死

1941年7月末、収容所から脱走者が出たことで、無作為に選ばれる10人が餓死刑に処せられることになった。囚人たちは番号で呼ばれていったが、フランツェク・ガイオニチェクというポーランド人軍曹が「私には妻子がいる」と泣き叫びだした。この声を聞いたとき、そこにいたコルベは「私が彼の身代わりになります、私はカトリック司祭で妻も子もいませんから」と申し出た。責任者であったルドルフ・フェルディナント・ヘスは、この申し出を許可した。コルベと9人の囚人が地下牢の餓死室に押し込められた。

通常、餓死刑に処せられるとその牢内において受刑者たちは飢えと渇きによって錯乱状態で死ぬのが普通であったが、コルベは全く毅然としており、他の囚人を励ましていた。時折牢内の様子を見に来た通訳のブルーノ・ボルゴヴィツ(Bruno Borgowiec)は、牢内から聞こえる祈りと歌声によって餓死室は聖堂のように感じられた、と証言している。2週間後、当局はコルベを含む4人はまだ息があったため、病院付の元犯罪者であるボスを呼び寄せてフェノールを注射して殺害した。

ボルゴヴィツはこのときのことを以下のように証言している。

マキシミリアノ神父は祈りながら、自分で腕を差し伸べました。私は見るに見かねて、用事があると口実を設けて外へ飛び出しました。監視兵とボフが出て行くと、もう一度地下に降りました。マキシミリアノ神父は壁にもたれてすわり、目を開け、頭を左へ傾けていました。その顔は穏やかで、美しく輝いていました。

亡骸は木の棺桶に入れられ、翌日のカトリック教会では大祝日にあたる聖母被昇天の日である8月15日に火葬場で焼かれた。なお、コルベ神父は生前、聖母の祝日に死にたいと語っていたといわれている。

アウシュヴィッツの聖者が、日本に滞在した事ある
ガヨウィニチェクも、震災避難所で嫁や子供の分まで配給食い尽くすニッポン男児シネいうほど立派だが
真っ赤な他人の身代わりとなって、溺死や焼死より時間掛かる分地獄な餓死を選ぶ神父は神さんやないか








あ~、もおこうなったら、バスガイドねーさんにも言うたけど
長崎市ピンポイントで九州再訪を真剣に考えるぞ
という〆括りで構わんかね?