mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

いつか必ず通る道に着いただけ

Yahoo!某カテゴリ記事を見て、内心、「アナタわかってますね」




書き手は、来月だっけ、アメーバ移行する模様
過去の経験則により、Yahoo!難民に忠告をしていた
大きく纏めると、「Yahoo!ブログ終了すれば、皆、離散する」




サーヴィス終了発表以来、多くの利用者が、サッサと夜逃げしたり、ボチボチ準備に取り掛かってたりするね
仲良しさん同士の会話に
「わ~、皆アメブロに行くんだ♪ワタシもだから、アメブロでも今まで通り仲良くしようね☆」
「皆バラバラになりますが、何とか連絡取り合いましょう」
こんなのがよく見られる
先行きに楽観的な向きが多い




Yahoo!某管理人の経験則では
「ブログサーヴィス違えば、限りなく100%近く、交流が絶たれる」
・ブログ交流というのは、障壁少ない環境で築きやすい
・同じサーヴィスに登録していれば、わざわざ外部アカウント取得しないで済む
・ブログ慣れしている者ほど、荒らし対策を講じている
・会社が異なるとログイン云々が面倒になる
・離散してしばらくの間は何度か行き来するものの、自然、足が遠のいて行く
・出来る限り、友だち同士で同じサーヴィスへの移転が望ましい




アタシの感想として
「交流がほとんど100%経たれるという部分は全部正解(一部異論あるが、それはアタシ限定だ)
同じサーヴィスへの移転も間違ってないが、必ずしもじゃないの覚悟で」
同じサーヴィスへの移転したって、Yahoo!同盟まで移転出来るか?
移転したら、もうそこのブロガーである
Yahoo!同盟を中心とするが、アメーバならアメーバ地元民も加わる形なら問題無いと思う
「知らない人なんて嫌~ん」の類が嫌われるであろう
意固地じゃなくても、同盟が17人いれば17人それぞれ独自の繋がり持ち始めれば
同盟の解散はしていないが、開店営業に等しくなる可能性あるわよ




ブログは発信が第一義で、交流などは第二義なのに
「コメよろ」「読み逃げ禁止」やってる類にとって、移転はさぞかし厳しいでしょうよ
ナイス!打ち合い大会がブログ世界基準じゃないんだからね
移転先の整備のみならず、交流関係に於いても、無人島のトム・ハンクスやるくらいの覚悟持ってないとね




脱線すると




ファン限定ブログが、Yahoo!某カテゴリに存在する
便宜上の公開記事が投稿されるので、開設○周年の御挨拶を見た
ぶっちゃけ、「あ、コイツ終わってる」
そこのブログには、ブログ村とかの応援バナー貼ってあるんだけど
「クリックお願いしているのに、何年も読み逃げされる方々がいます
どれだけ厚顔なのでしょう」
そー言うお前が厚顔無恥じゃアフォと断定した
応援クリックって
「励みになります」=恐縮ですが、押して下されば幸いです
強制するものじゃなく、記事が面白けりゃ押して貰えるような性格のものでしょ
何様のつもりだと思ったら、成程と納得する代物だった
ブログ閲覧者には高学歴で世界中を駆け回る立派な方々が少なくないと、さり気に自慢しているが
立派なのはその方々自身が築いたものであって、ブログ管理人に何ら関係無い事である
管理人自身が築いた成果じゃない事を強調するなんて
それで管理人自身が社会に誇れる存在と決まってないのに、やっぱ意識高い系は糞も断定したわ
その糞がYahoo!終了後どうするか知らんが、何処へ移転してもいつかは必ずメッキ剥がれるもね




元へ戻ると




ブログの世界って、インターナショナルスクールと似てると思わない?





イメージ 1

これは、堺市立安井小学校と陵西中学校を卒業に際しての寄せ書き帳だけど





イメージ 2

【蹉跌や挫折、そして贖罪の日】

父親が娘を憂慮する日々に、終わりは来ない
フレンチ・スクールの他、英語学校、両親の知り合いの家の子など
娘の新しい交流関係は築かれていったものの
「ほら、もうこんなにお友だちが出来たぜ」
娘が嬉々として見せるフレンドシップ・ブックを目にするにつけ
父親は『過去』を振り返り、暗澹たる思いにとらわれる
フレンドシップ・ブックとは、友だちからの寄せ書き帳であるが
外国系スクールに通う子供の場合、卒業式限定とは趣が違う
ごく一般の公立校卒業や、私立卒業でも、同じ国に住む友だちならば
必要とあればいつ何時でも話し合える友だちが相手だったら
何もその写真や親愛の情を示す言葉をノートに凍結する必要はあるまい
フレンドシップ・ブックには
人格形成期に一箇所に定着出来ず、各国を転々とする子供たち
生涯の親友持てないかも。一時期の友だちでさえ、不可避の別れが付き物
そんな不安定な子供たちの、何やら深い思いが込められているのだろう




近藤氏の前妻浩子さんは、ミーユンと境遇が似ていた
外交官の父親に伴い、人格形成期に各国を転々として成長した
片親と血縁の関係ない点も、ミーユンと境遇を一にしている
ミーユンと違うのは、十代半ば過ぎ、突然、一人で帰国したこと
旅から旅への生活の気疲れ
新しい生活始めるたび、過去がたちまち、現在と隔絶した非現実的なものに
純粋で几帳面な性格の浩子さんにとって、旅がらす生活は
「私はフランス人でもない。スイス人でもカナダ人でもない
おまけに、自分の国である日本のことも何も知らないのよ」
自分が根無し草でしかないを実感させる寂しいものであった
日本で大学に入り、それまでの埋め合わせすべく、日本文化を吸収し始めるが
大学の同級生である近藤氏と結婚したのが、ある意味、不幸の始まりだった
彼女はもう動き回りたくないのに、夫はフランス留学するという
2年間の期限を提示し、受け入れられるも、現実は甘くなかった
パリ大学の大学院で、中断していたフランス哲学研究を再開したら
「何も知らない、何もわからない」が顕在化する
語学力が仇となるというか、日常の雑事も一人で背負い込む
妻の葛藤と負担を見抜き思い遣るには、夫は若過ぎた
夫が気づいた時には、すでに遅く、疲れ切って、病床に伏し
死の間近、病床に取り寄せたフレンドシップ・ブックを広げながら
「こんなにたくさん友だちがいたのに、結局は一人も残っていない
みんな世界の方々に散り散りになってしまった」
深い孤独感を訴えていたまなざしを
近藤氏は生涯、忘れられなかった




堺市立だってね、似たようなもんだよ
小学校から中学校へは、ごく少数を除き、皆同じ学校行った
高校へは、皆バラバラとなった
同じ高校に進んだ子でさえ、クラス違えば、少しずつ疎遠となった
皆それぞれ、新し環境での人間関係を築くとあって、離散が当たり前なんだけどね




そんなん嫌~と願うなら




父親は娘に
「いまはいい友だちでも、長い間会わなければ、友情は色褪せていく
それは仕方ないことなんだよ
だけど、お前が本当の誠実さを持って付き合えば
このうちの何人かは、たとえ遠く離れて住んでいても
お前の中で一生涯、心の通う友だちとして生き続ける
そうした本当の友だちを持つことはこれからのお前にとって
とても大切な財産になるんだ」




誠実さ、そして忍耐が、鍵ちゃいますか




早い話、Yahoo!ブログ終了=Yahoo!中学校卒業だよ
離散が不幸じゃなく成長への第一歩を意味する
Yahoo!も、Yahoo!以外も、ブログサーヴィス終了の日が訪れる




記事題名の意味、説明不要よね