昨夜、ベベちゃん記事に
一つ言える事
同じ不倫でも
「姦通罪のある昔と、バツが何個付いても恥じゃないという現代では
社会的地位や生命が懸かってるの有無で、本気度がまるで違う」
『婚外恋愛』、あれは不倫を美化し
自分は何も悪くないと正当化したいがためで
何一つ失わず楽しく過ごしたいだけの連中が使う言葉に対し
溝口健二の近松物語は、ドサクサ紛れの逃避行だけど
男女共に清々しい顔して刑場へ引き立てられて行くというのは
「真実の愛が生まれた結果、むしろ潔く世を去れる」
大人と子供以上の差でしょね
同じ不倫でも
「姦通罪のある昔と、バツが何個付いても恥じゃないという現代では
社会的地位や生命が懸かってるの有無で、本気度がまるで違う」
『婚外恋愛』、あれは不倫を美化し
自分は何も悪くないと正当化したいがためで
何一つ失わず楽しく過ごしたいだけの連中が使う言葉に対し
溝口健二の近松物語は、ドサクサ紛れの逃避行だけど
男女共に清々しい顔して刑場へ引き立てられて行くというのは
「真実の愛が生まれた結果、むしろ潔く世を去れる」
大人と子供以上の差でしょね
近松物語(1954年・大映)
京烏丸四条の大経師内匠は、宮中の経巻表装を職とし、町人ながら名字帯刀も許され、御所の役人と同じ格式を持っていた。傍ら毎年の暦の刊行権を持ちその収入も大きかった。当代の以春はその地位格式財力を鼻にかけて傲岸不遜の振舞が多かった。その二度目の若い妻おさんは、外見幸福そうだったが何とか物足らぬ気持で日を送っていた。おさんの兄道喜は借金の利子の支払いに困って、遂にその始末をおさんに泣きついた。金銭に関してはきびしい以春には冷く断わられ、止むなくおさんは手代茂兵衛に相談した。彼の目当ては内証で主人の印判を用い、取引先から暫く借りておこうというのであった。だがそれが主手代の助右衛門に見つかった。彼はいさぎよく以春にわびたが、以春の厳しい追及にもおさんのことは口に出さなかった。ところがかねがね茂兵衛に思いを寄せていた女中のお玉が心中立に罪を買って出た。だが以前からお玉を口説いていた以春の怒りは倍加して、茂兵衛を空屋に檻禁した。お玉はおさんに以春が夜になると屋根伝いに寝所へ通ってくることを打明けた。憤慨したおさんは、一策を案じて、その夜お玉と寝所をとりかえてねた。ところが意外にもその夜その部屋にやって来たのは茂兵衛であった。彼はお玉へ一言礼を云いにきたのだが、思いも寄らずそこにおさんを見出し、しかも運悪く助右衛門に見つけられて不義よ密通よと騒がれた。遂に二人はそこを逃げ出した。琵琶湖畔で茂兵衛はおさんに激しい思慕を打明けここに二人は強く結ばれ、以後役人の手を逃れつつも愛情を深めて行った。以春は大経師の家を傷つけることを恐れて懸命におさんを求めた。だがおさんにはもう決して彼の家へ戻る気持はなかった。大経師の家は、こうして不義者を出したかどで取りつぶしになった。だが一方、罪に問われて刑場へと連れられるおさんと茂兵衛、しかしその表情の何と幸福そうなこと--。
( https://movie.walkerplus.com/mv24024/ )
幕切れの茂兵衛に迷いが見える
都合良く解釈すると、おさんを案じてと取れる
心中どうあれ
刑場へ引き立てられる恐怖でなく、人生の墓場がスタートする結婚式場へ緊張のあまりにしとこ
【昼の奴隷と夜に捧げられた者】
昼の世界が欺瞞、夜の世界が真実というトリスタンとイゾルデに通じるんだよ
昼の世界に従えば、生命は保証されるが、心が死ぬ
夜の世界に従えば、生命は失われる代わり、自分の心に忠実でいられる
『婚外恋愛』などと寝言ぬかす、保身の塊である卑小な小娘青二才に真似出来るか?
出会う順番違っただけでぇ、真実の愛を見つけたのぉ、それは、巨大掲示板ですらブッ叩いてくれる代物だ
婚姻は契約に基づき、容易に破棄されるべきものであってはならない
自由を望むなら、我欲に走らず義務を果たしてからだ不義密通は最低1人、W不倫なら2人、子供いれば3人以上の被害者が出る
被害者がどうにか納得してくれたって、加害者の罪までリセットされない
余生を罪人として生きるくらいの覚悟持ってなければ、人倫に悖る行為である認識で諦め論
という旨を、とりわけ、アタシ年齢周辺でサカッってる男女に強調したかったりする
子供が成人してたってな、孫ちゃんに恥ずかしくねーのかっての
近松物語に戻ると
永田社長、長谷川はんの美顔を…の弱味から?は長くなるので置いといて
父娘年齢やがなw
色彩撮影での現実感に支配されないモノクロ撮影効果でしょかね
長谷川一夫には、爺むささは無いものの、一世を風靡し名声を築いた大人の貫禄が感じられる
終活でなく婚活に必死な野郎多い今日日の46歳に到達出来るか?
香川京子の顔をよく見ると、まだ小娘の風情が感じられる
世知に長けてない印象が、不本意な婚姻であろう若い後妻役に適してるでしょね
それでいて
成人式過ぎて、自分を女の子と言ったり、「私はね」でなく「○○はねぇ」と言ったりの幼稚さは感じない
近松的恋愛も、それを銀幕と俗世間の双方で演じ切れる者も
少なくとも日本では絶滅したと考える、時代おくれが最先端と考える53歳でやんす