mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

人はそれをスキャンダルという。が…(前篇)

前から言ってるように、映画館に10年以上行ってない
ネット配信観ないし、WOWOWもあまり観ない
近作ようわからんし、全く見落としてる作品もある
例えば


ハリウッド・スキャンダル』(Rules Don't Apply)は2016年のアメリカ合衆国ロマンティック・コメディ映画ウォーレン・ベイティの18年ぶりとなる監督作品で、製作・脚本を務めるとともに出演もしている。出演は他にリリー・コリンズとオールデン・エアエンライクなど。1950年代のハリウッドを舞台に、大富豪ハワード・ヒューズに見いだされた女優の卵と、彼女の運転手を務める青年との許されざる恋を描いた恋愛映画。2016年11月10日にAFI映画祭で初上映された。日本では劇場未公開だが、WOWOWで放送された他、ネット配信もされている。

Wikipediaハリウッド・スキャンダルより引用 )

郷ひろみの歌題名が邦題かw
そりゃともかく、男に二言は無かったね、ビーティーさん
ベイティと呼べ?嫌!ビューティーと呼びたい所を我慢してるんだから大目に見ろよぉ
んで、ビーティーさんの何が、男に二言は無かったかというと
何十年も温めて実現せずかと思っていたハワード・ヒューズを演じた事よ
アタシがヒューズの伝記を女子高の昼休み時間に読んでからで、今年で37年経つ
そおか、53歳にして観られるのか、今度YouTubeでゆっくり観よっと




ハリウッド・スキャンダル、ね
毎年恒例のようにと言っちゃハリウッド風物詩みたいなアカデミー賞スッタモンダの↓もかね
アカデミー賞でまた人種論争 「グリーンブック」作品賞に批判
2019年2月26日 8:00 発信地:ロサンゼルス/米国 [ 米国 北米 ]

 【2月26日 AFP】24日に授賞式が行われた今年の米アカデミー賞Academy Awards)では、マイノリティーの候補が相次いで受賞を果たした一方で、黒人の市民権をテーマにしたドラマ映画『グリーンブック(Green Book)』の作品賞受賞が物議を醸し、多様性をたたえるアカデミー賞のメッセージに影を落としている。

 ピーター・ファレリー(Peter Farrelly)監督が手掛けた『グリーンブック』は、1960年代の米国で意外な友情を育んだ同性愛者の黒人ピアニストとイタリア系運転手の実話に基づいた作品だが、一部からは人種問題について「ホワイトスプレイニング」(白人が偉そうに説教すること)する映画だとの批判が上がり、ソーシャルメディアを賑わせている。

 同作の作品賞受賞が発表されると、ベテラン映画監督のスパイク・リーSpike Lee)氏は会場を一時退出。さらにその後、過去にもみられたようなお粗末な選択だとの見解を示唆した。

 リー監督は1990年、高い評価を受けていた自身の作品『ドゥ・ザ・ライト・シングDo the Right Thing)』がノミネートさえ逃した一方で、人種問題に対する無神経さが広く批判されていた『ドライビング Miss デイジーDriving Miss Daisy)』が作品賞を受賞し、ショックを受けた過去がある。

 それから約30年後となる今年、リー監督は『ブラック・クランズマン(BlacKkKlansman)』で作品賞にノミネートされていたが、再び人種問題がテーマかつ車内シーンが多い映画に賞を奪われた形となり、憤慨した様子をみせた。

 リー監督は競争の激しい脚色部門で受賞したものの、舞台裏では「運が悪いな。誰かが誰かを車に乗せると、私は必ず負ける」と冗談交じりに語り、作品賞について不満を隠さなかった。

『グリーンブック』ではまた、アフリカ系米国人のマハーシャラ・アリMahershala Ali)が助演男優賞を獲得。アリは2年前、イスラム教徒として初めて演技部門でオスカーを受賞している。

 本作は世界で計1億4000万ドル(約155億円)以上の興行収入を上げる人気を博した一方で、公開後は論争も巻き起こしてきた。アリが演じたピアニストの故ドン・シャーリー(Don Shirley)氏の遺族は同作を「うその交響曲」と非難。他にも、同作はお馴染みの「白人救世主映画」の一つだと批判する声が上がっている。

 今年のアカデミー賞は、表面上は期待通りの多様性を見せた。俳優陣の大半がアフリカ系の大作アメコミ映画『ブラックパンサーBlack Panther)』が3つの賞を獲得したほか、演技部門4賞のうち3つで黒人やエジプト系1世の米国人が受賞。『ブラックパンサー』では、オスカー史上初めてアフリカ系女性が衣装デザイン賞と美術賞を受賞した。

■「不愉快なほど鈍感」

 しかし映画評論家のリチャード・ブロディー(Richard Brody)氏は米誌ニューヨーカー(New Yorker)への寄稿で、『グリーンブック』を「不愉快なほど鈍感」と批判。アカデミー賞は同作を作品賞に選んだことで、2016、17年にソーシャルメディアで広がった「#OscarsSoWhite(オスカーは真っ白)」との批判を受けた後も有意義な変化が一切なかったことを示したと論じた。

  英紙ガーディアン(Guardian)に映画論評を寄せるピーター・ブラッドショーPeter Bradshaw)氏も、「善意による白と黒のバランス」はうわべだけの取り繕いという印象を生んだと指摘。また英ニュースサイトのインディペンデント(Independent)も、アカデミー賞の「執拗(しつよう)で異様なほどの凡庸さ」を嘆いた。

 その一方で、批判に対する批判も集まった。一部のコメンテーターからは、映画業界は観客の怒りを買うことを恐れ、真の改革よりも表面的なポリティカルコレクトネス(政治的妥当性)にこだわるあまり、硬直状態に陥っているとの声が上がった。

 またオンラインマガジン「クイレット(Quillette)」を創刊した編集者のクレア・リーマン(Claire Lehmann)氏はツイッターTwitter)投稿で「いくら意識を高めようとも、十分とは絶対に認められない」と嘆いた。(c)AFP





はァ?
優遇が逆差別とか言われても…





【理観守るべく、物事の白黒決める必要性は大きい】

「旦那さん方をお客さんには出来ません。ここでは有色人種だけがお客さんなのです」
すると、モントゥーさん、上の写真通りの素晴らしい笑顔で、「おおマダム…」
「だけど、我々も有色人種ですよ。我々はピンクですから」

本物の白だろうが、ピンクだろうが、色は色、無色人種などこの世に存在しない
偏屈系アメリカ人のみならず、日本人含む世界中が心に銘じるべき神様の声ですよ

モントゥーさんに、人種云々アカデミー賞の感想を聞きたくなって来たわ
「同じ穴の狢でしょ」
そう答える気がしてならん




「ドングリの背比べじゃない
受賞価値持つ揃いの中で、図抜けた作品が無かっただけ
それでは皆さん、お手々繋いで一緒にゴールインは無理なので
外国さん(ROMA)も含め、上手く分配して、皆さんの顔立てるからね」




昨日、たっふぃーさん記事にコメントしたが
たっふぃーさんがウチで言ったように、ま~事勿れ主義と言えばそうだよね
芸術の賞がそもそもスポーツと違って、戦績だけで決められるものじゃない
ユダヤの神さんに言わせると、「満場一致は、陰謀の恐れ在り、却下せよ」
明らかにトンチンカンな選出は別として、ハリウッドの皆様誰しもが納得する受賞結果なんてあるかいな




「ホワイトスプレイニング」(白人が偉そうに説教する事)する映画だ」
これを言い出したら、あれもこれもとキリが無くなり、映画産業が滅びる勢いだぞ




この辺り、シドニー・ポワチエの意見聞いてみたかったりする
1950年代後半から1960年代後半にかけて、黒人スターの道を拓いたね
映画内容を思い起こしてみると、ポワチエは白人に都合良い黒人を演じていた
‘手錠のまゝの脱獄’、あんなもん、トニー・カーティス放置して一人で逃げたら済む話じゃん
‘招かれ得ざる客’、あれかて、白人様と肩並べる立派な学歴と職歴なら娘との縁談相談応の話でしょ
黒人観客にとって面白くない話であり、白人御用達黒人俳優と批判された向きもあったが
後年エディ・マーフィーが評価したように、ポワチエの頑張りで黒人が主役張れる道を拓かれたのも事実だ




何より、ポワチエが名誉賞受賞した2001年度アカデミー賞について、黒人はどう捉える?
主演賞がデンゼル・ワシントンハリー・ベリー、男女共に黒人だった
名誉賞を追加すると、受賞者の妥当性は別に置いて、何か恣意的なもの感じられてならんわ
あれに何か苦情出たっけ?
同じ偏るでも
「黒いオスカー」は良い?
「白いオスカー」には批判出る!
そういった事を含めて言ってるの




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これはTV映画で、‘ミシシッピー・バーニング’(1988年)と同じ話に基づく
劇場作品は
「映画が出来た80年代後半、公民権運動を描くのですら
白人ヒーローを主人公にしなければ制作されなかったという証でもあるのだった」
一方TV映画は、劇場作品とほぼ同時代ながらも、公民権運動に於いて白人も犠牲になった歴史を描く




KKKの旗振り回す映画とかまで行けば批判は当然だけど
白人さんエラソーですやんというのは、個人的な感情や主観に拠る部分が考え得る
というより、エラソ-ですやんが正義じゃなくたって、それが「現実」でしょ
善悪どっちにせよ、白人視点があるのは当然の話でしょ
被差別当事者にしかわからない事はあるが、異論許さぬ空気などは傲慢でしょ
差別撲滅には、差別される側のみならず差別する側の意識を知り改革の課題とすべきでしょ
白人(キリスト教徒の意味を含む)以外が、あまり被害者意識などに凝り固まると、藪蛇になるかもよを言いたい




後篇へ続く