mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

唇は語らずとも、映画は映像で語る

何年か前


横溝ミステリーに於ける「恨みのモロッコ」を挙げたね
悪魔の手毬唄の、亀の湯の女主人・青池リカの夫である青池源治郎が、活動弁士だった
映画がサイレントからトーキーの時代へ移った当初、洋画では
「音を小さくして、弁士が説明してたんですよ
ロッコから、スーパーインポーズいうのが入るようになり、弁士が『もう、終わりだ』と思うたんです」
リカが金田一さんに話したように、字幕スーパーが、活弁を言わば頃してしまう結果をもたらした




活動弁士の現況

現在でもサイレント映画を上映する映画館は少なからず存在し、その上映のために活動弁士も少なからず存在している。現在の活動弁士として、麻生八咫とその娘の麻生子八咫、澤登翠とその弟子の桜井麻美、斎藤裕子、片岡一郎(以上2002年に澤登翠に入門)、その他に佐々木亜希子、映画監督と活動弁士を兼業している山田広野、古典作品及び自作アニメに活弁を付ける坂本頼光などが東京を中心に活動している。また、名古屋にはわかこうじ、大阪に井上陽一、手廻し映写機で上映と活弁をする小崎泰嗣などが活動している。

しかし、活動弁士を生業として、それのみで生活できるのは現在では澤登翠などごくわずかであり、大半の活動弁士は、山崎バニラや大森くみこのように声優やラジオパーソナリティとしてのメディア出演や、山田広野のように映画監督など、副業を持っている場合が多い。

Wikipedia活動弁士より引用 )




アタシゃ映画館等での生活弁は未体験だけど
1990年代にNHK-BS2無声映画が何作か放送された折


澤登女史の語りを拝聴した





終わった思うたら、魔の炎の音楽
何でそこにワーグナー持って来るねん!
…気を取り直し
活弁は確か日本固有のもので、海外では映画館の楽団が生演奏していたと記憶する
フリッツ・ラング作品もワーグナーが彩りを添えていたと想像する
日本放送協会及びレーザーディスクでは、澤登女史がベラベラであった




んで、アタシとワーグナー師匠格の出した結論
活弁は、オンナに限るな」




日本には女形という伝統芸能が存在し、あれはあれでイイ
ただし舞台空間に限っての話である
真夜中には絶対観たくない
越えてはならぬ一線というのは清く正しい男女の仲以外にもあるわけよ




活弁の場合
男が一人で男女双方の役を演じるのと、女が一人で男女双方の役を演じるのでは、後者が勝ると見た
弁士は顔でなく声で勝負の世界だ、おっさんでもオバハンでも構わんとはいえ
女は巧い事が大前提ながら、いかつい親父を演じてもサマになるのに
男が乙女を演じると、キモイ、真夏だろうと寒イボが立つ




ちゃう?




アタシゃ時々、汚宅で独り、男女を一人二役で歌う
男の役では、ワルキューレジークムント、リゴレットヴェルディ)の悪魔め鬼めが盛り上がる
あ、トゥーランドットのカラフ王子もだ

何度目の登場?の理由↓
‘Alberto Remedios CBE (27 February 1935 – 11 June 2016)
was a British operatic tenor, especially noted for his interpretations of Wagner's heldentenor roles.’
‘Alberto Remedios was born in Liverpool.’
大英帝国の誇るリヴァプールFCの悲願、初のPL制覇を見届けずに逝ってしもた
皆の者、見届けるまで誰も寝てはならぬ
あの世から見張っとくぞ」
そんな気がしたもんで





英語版ながら最高のジークフリート持ってるけど、地震怖くて聴けないと追記しといて




真面目に〆ると





フランケンシュタインの花嫁’(1935年)。これは、トーキー映画ですけど
「我々には到達し得ない創造の勝利。再現不可能だよ
学校出たてのデジタル坊やなんて、ケツ青く洒落クサイ、話にならん」 
ハリウッド最先端技術者が驚嘆する。どれだけの芸術性よっての
サイレント俳優の場合
言葉に頼れない分、全身に全霊込めて表現しなければ、観客の心をつかめませんしね




アカデミー賞で、作品賞が‘アーティイスト’、白黒の無声映画が受賞した2012年に書いたね




「台詞やBGMに頼れず、映像表現だけで勝負するサイレント期に、映画芸術が完成した
ヴァイマール文化当時のドイツ映画が代表格だ
現代では、最新技術をもってしても完全オリジナルはほとんど無い」
と考える
どんな映画監督とて影響を受けた映画や先人がいるじゃん
温故知新
需要多くなくたって、活弁芸術も大事にしましょね




記事題名の「唇は語らずとも」は↓より