mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

Aber der Richtige(理想の女性が存在するなら)~リーザ・デラ・カーザ賛歌~

53本のローソクが消え、一夜明けた本日、2月2日は


リーザ・デラ・カーザLisa Della Casa, 1919年2月2日 - 2012年12月10日)は、スイス出身のソプラノ歌手。「デラ・カーザ」が姓である。

経歴
ベルン州ブルクドルフの生まれ。

15歳からチューリヒ音楽院のマルガレーテ・ヘーザーの下で声楽を学ぶ。1941年にゾロトゥル=ビール市立劇場でプッチーニの『蝶々夫人』を歌ってデビューを飾った。

その後1943年にチューリヒ市立歌劇場でプッチーニの『ラ・ボエーム』でミミを歌って評判をとり、1947年にリヒャルト・シュトラウスの『アラベラ』でズデンカ役でザルツブルク音楽祭に出演し、ウィーン国立歌劇場のメンバーに迎えられた。ドイツ語圏におけるリリックソプラノの代表的な一人であり、人気を集めた美貌はいくつかのオペラ映像に記録をとどめている。ただし、1960年のザルツブルク音楽祭での『ばらの騎士』元帥夫人役は大部分が彼女が歌ったにもかかわらず、映画収録の回のみはエリーザベト・シュヴァルツコップに交替させられるという苦汁をなめた。

1949年にはミラノ・スカラ座にデビューし、リヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』のゾフィー役を演じている。

1952年にはバイロイト音楽祭に出演し、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のエヴァ役を歌った。

1974年に引退した。

2012年12月10日、スイスのトゥールガウ州ミュンスターリンゲンにて没した。93歳没。

Wikipediaリーザ・デラ・カーザより引用 )

生誕100周年を迎える






奥に写ってる日本ワーグナー協会員以上に、住田先生が心配だ
四捨五入すれば、90歳だもん






真剣な話、数十年来の女神様の伝記を執筆どーですか?
日本では影薄いデラ・カーザを熱く語れるのは、先生だけですよ
デラ・カーザは最高の元帥夫人にして、騎士オクタヴィアンも同じくらい素晴らしい
「元帥夫人しか歌えんエリザベート・シュヴァルツコップがナンボのもんじゃ」
を周知徹底させて下され
先生ご自身ですよ、シュヴァルツコップ酷評してるのはッ
「元帥夫人は、貴族であり、天性の気品が必要
シュヴァルツコップは、上流育ちのデラ・カーザには勝てない」
気品どうの言い出したら、世の元帥夫人歌手の九割九分九厘が失業するけど
気品不可欠は事実ではある
とにか~く、先生、デラ・カーザの素晴らしさを後世に伝えるべく、執筆お願いします
執筆して下さったら、上の写真撮影料数万円を払いますよ~
 


 
先生は、バス=バリトン歌手ハンス・ホッター、偉大なるヴォータンの伝記翻訳を手掛けた
作成したディスコグラフィーに見落とし無いか、レコードカタログを念入りに調べる
大阪ミナミの今は亡き≪テレーゼ≫で見てから20数年経つけど
翻訳が本当読みやすく、素人なりのクラシック音楽愛好家が伝わり、永久保存版だ
ばらの騎士、日本盤は輸入盤より高いけど、先生がライナーノート執筆というので日本盤買ったら
デラ・カーザへの公開ラブレターに等しかったしな~
先生が1950年代後半、アメリカ留学中(海外渡航自由化前なので、先生の育ち良さわかるでしょ)
ニューヨークでのデラ・カーザ独演会閉演後、楽屋口周辺で女神様と目が合い
女神様が目礼してくれたという気絶モノ体験お持ちなればこそね




元帥夫人の件、アタシゃ先生から聞いた
その先生は、渡欧中に会って話したメゾ・ソプラノ歌手クリスタ・ルートヴィヒからの情報として
「デラ・カーザは上層中流以上の生まれで、本当に育ちの良い人なので、金持ち喧嘩せずのおっとり系
唯一つ、元帥夫人の件だけ、血相変わる」
を追加した
血相変わるって相当、怨念と言えるくらい悔しかったんでしょね
デラ・カーザの元帥夫人は音声だけでも本物貴婦人ぶりが伝わって来る
先生に話したら、先生メッチャ喜んでおられた




先生は、シュヴァルツコップのキャリア晩年に行われた来日リサイタル裏話まで話してくれた
シュヴァルツコップは不調のため、楽屋で泣いてたそうよ
60歳で歌劇場での現役を退き、63歳で完全引退した




歌手の現役年齢は、守備範囲の違い、身体が楽器、定年無いなどにより、百人百様である
伯爵夫人に選ばれたのが、久々にウィーンからお座敷掛かったマルタ・メードル80歳だったように
30何歳で寿退職した歌手もいれば、ほとんど生涯現役で逝った90歳手前もいる

右側のレオニー・リザネク、当時60歳を少し回った年齢であった
住田先生の奥さんが観た結果、先生があらぬ疑いを被った
奥さんは両サロメの容姿を比較し、リザネクも顔は綺麗なのに
「男はやっぱ、53歳の丸太ん棒白豚より、40前のスリム美女よね」
要するに、歌手引退じゃなく持ち役変える場合にも、引き際が大事という意味よ
リザネクの名誉を守ると、「55歳がサロメ役卒業年齢と定め、キッチリ守ってくれた」
プッチーニ蝶々夫人登場場面での「15歳です」に、客席から「51歳の間違いやろぉ」
言わないお約束を言っちゃうを招く老害も事実なんだよね
画像左側のガブリエラ・ベニャチコヴァー、彼女も住田先生お気に入り歌手である
「イェヌーファ歌手は年を取ると、教会のおばさん役(もっと年を取ると、ブリヤ家のおばあさん役)に回るけど
ベニャチコヴァーだけは、イェヌーファで終わって欲しいな」
教会のおばさん役も成功すると決まっておらず、輝かしいイェヌーファ像をブチ壊すリスクが伴う
永遠のイェヌーファとして記憶に刻まれるを良しとする
先生はベニャチコヴァーと親しく、彼女の歌手人生を真剣に心配しておられてたのよ




1974年に引退したデラ・カーザ
引退の背景を先生が話してくれた処によれば、「息子さん看病のためでした」
元から障害息子なのか、ある日突如発病なのか、その点は不明
55歳での引退が、親に余力十分なうちにと思う
デラ・カーザが
2人の子供が両方障害持ちのため、一時引退、その後復帰するも、50歳で完全引退したビヴァリー・シルズ
ダウン症息子のために、55歳であまり嬉しくないが高額のオペラ舞台に立ったビクトリア・デ・ロス・アンヘレス
この2名と並ぶクラシック音楽界に於ける聖母様と断言しとく




アタシゃ何故か、2月に入ると、R・シュトラウス大先生のアラベラが聴きたくなる
アラベラもやっぱ
下級貴族だが腐ってもウィーンの伯爵令嬢役だって、デラ・カーザに限る





住田先生が惚れてしもた気持ち、ようわかるわ