mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

蘇生への仮死~華氏451~

17分前から続いた





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小さな恋のメロディより数年前、7歳半のマーク・レスター
この顔のまま成長し、今年遂に還暦迎えたから笑えるざます~





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華氏451』(かしよんひゃくごじゅういち、原題:Fahrenheit 451)は、フランソワ・トリュフォーの監督による、1966年のイギリスの長編SF映画である。原作はレイ・ブラッドベリSF小説華氏451度』で、(本の素材である)紙が燃え始める温度(華氏451度≒摂氏233度)を意味する。

概説
 
読書好きのトリュフォーらしく、書物への愛に満ちている。トリュフォーは「『宇宙もの』とか機械やロボットの出てくるものには生理的な嫌悪感をおぼえる」と公言するほどのSF嫌いであるため、この映画からもいわゆる「SF的な」要素や演出はなるべく排除され、人間ドラマにスポットが当てられている。しかしカテゴリとしては、この映画は、やはりSFに区分される。

なお、電話を筆頭とする小道具や人々の生活様式やファッションには、1940年代のナチス占領下のフランスの影響が見られる。

イギリスでの撮影ということもあって、英語のできないトリュフォーはスタッフとのコミュニケーションに苦労した。その上、主演のオスカー・ウェルナーとの確執もあって、撮影は思うようにいかなかったようだ。制作の様子はカイエ・デュ・シネマ誌(1966年1月第175号 - 7月第180号)に連載された撮影日記『ある映画の物語』で詳しく語られている。

Wikipedia華氏451より引用 )


オスカー・ウェルナーとの確執は、前記事参照
SF臭くないからのスピルバーグ映画、未知との遭遇に俳優として出演したのかいね↓
https://www.youtube.com/results?search_query=close+encounters+of+the+third+kind+truffaut




華氏451が、トリュフォー作品としては失敗作に入るけどさ




あべこべなディストピアと笑えないくらい、現代の日本と本質的には変わらないような世界。
戯画化されている、と言えるかもしれないが。
弾圧こそされてなくてもとうに、本を手放し。
テレビ以上にスマホVR世界。
しかもさほど豊かとは言えないような映像に支配されていないか?と思う。

感情を持つことが不便で面倒くさいと感じ。
余計なことを思うくらいなら平坦な暮らしが良い。
そして、本を持つことが違法なら家族だろうが密告するような社会。

ちっとも笑えない。
現実とさほど変わらない世界。


その中で、ラストシーン。
本を手放せない人間はついに、その尊厳を守るために殺人を犯してしまう。
身を以て、本を読んでしまったが故に、危険な人間になってしまったという皮肉。

以下、ネタバレ。
そして、最後は自分自身が本になっていく世界で暮らす。
本になる、とは、つまり、言葉を物語ることで伝えていく「語り部」の文化まで遡る。
つまりは、最もプリミティブな世界から人間はやり直さないといけなくなる、というオチ。
つまりは、文明を持った時から、そのプリミティブさを軽視した結果に、退行していく人間の姿を映しているというのは些か深読みかもしれない。

心から楽しめた、というには、僕はまだ未熟なんだろうと思ったが、それでもラスト30分ぐらいには非常に心打たれた。

https://filmarks.com/movies/31071





読書が禁止という事は、文字を書かないを意味する
文字を書かないという事は、頭悪くなるを意味する
手書きしなくなったら、文字読めても、いざペンを持つと「あれ?」てな具合に文字を忘れていて書けなくなる
ペン握る力などが脳ミソのどっかを刺激してボケ予防となるのに
アタシ自身そうだから言える事として、手元が不器用になる一方だ
俗世間に認知症増殖の一因じゃねーの
トリュフォー映画が何も現代日本への警告に限った話じゃないといってもだ
情報鵜呑み度世界ランキング上位国である日本に於いて、思考停止を招く恐怖を考えてみんしゃい
日本列島津々浦々まで愚か者の船に曳航されているに等しい



"本の人々"は迫害から逃げるために町はずれの森で暮し、1人1冊本を暗唱できるようにしている。そして人々は互いに本の名前で呼ぶのだ。サルトルの『ユダヤ人』を名乗る男もいればやマキャベリの『君主論』の男、『高慢と偏見』1章・2章を分担する兄弟もいる。クラリスは『スタンダールの日記』を名乗る。"本の人々"はいつか本が解禁される日に自らの本を書き起こし再び後世へと伝える使命を持っているのだ。彼らはみんな生き生きしているように見えるし、きっと明るい未来を信じているのだろう。モンターグが加わり人々が森を歩きながら暗唱をするラストシーンは、どこか幻想的な雰囲気で同時に平和そうであった。

印象に残ったシーン:firemanが本を燃やすシーン。老婆が本と燃えるシーン。"本の人々"が歩きながら暗唱するラストシーン。
The Book Peopleは言わば、「仮死状態」
迫害が消滅した世界にいつでも蘇生出来るように日々努力しているわけだ





「歩きながら」にゃ違いないが、目的あるようで実は無いスマホ族とは人間とサル以下の差
知性と恥性の差と言えば、わかる?
一説によれば、スマホ次世代機種の開発進んでる=スマホ人種は平成生まれと同じくもうすぐ時代遅れ
スマホを片時も手離さず時代の最先端気取り連中など、人間着ぐるみ纏ってるモノノケと映るわ
スマホ画面汚れるのが嫌と、スナック菓子類を次々と生産終了に追い込みやがってッ
「おやつはカ~ルおじさんの笑顔を始め、森永チョコフレーク、何処へ?」
食べよと思った時に無くて発狂したって、スマホ族の場合は自業自得じゃ、餓鬼道に落ちろぉ
菓子類が無くて仮死すら許さん、蘇生の猶予与えない即死でお願いします