mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

Oh weep for those...偉大な芸術家の想い出のために

ジジババ増殖社会の時世柄を反映して、今日もまた、汚宅通りに救急車到着した
秋の彼岸前に、彼岸の彼方に逝ったかわからね
バタリ倒れても誰かに救急車呼んで貰えるというのが羨まし過ぎる、それは、皆様わかって貰える?




天気悪いし、辛気臭い曲のYouTubeをばペタリ

 

 

1880年ブルッフリヴァプールで職にある間に作曲が進められ、1881年にベルリンで初演、同年に出版された。初演では、チェロパートへの技術的な助言も行ったロベルト・ハウスマンが独奏を担当し、作品の献呈もハウスマンに行われた。初演は成功し、以降ヴァイオリン協奏曲第1番やスコットランド幻想曲に並ぶブルッフの代表作としてチェリストに愛奏されてきた。

作曲にあたってブルッフは、ユダヤ教の音楽から二つの旋律を借用している。一つはユダヤ教の祭日であるヨム・キプルで歌われる典礼歌「コル・ニドレ」の旋律、もう一つはジョージ・ゴードン・バイロンの詩に基づきアイザック・ネイサン(Isaac Nathan)が作曲した哀歌「ああ、彼等のために泣け」("Oh weep for those")である。様々な民族音楽に興味を持っていたブルッフがあくまでその一環としてユダヤからのインスピレーションを作品に取り入れたもので、ブルッフ自身はユダヤ音楽を作曲する気はなかった。また素材の扱い方も厳密なものではなく、ロマン派音楽の語法の中に組み込まれている。

ブルッフプロテスタントであり、ここで使われる旋律を最初に知ったのは、彼の師であるフェルディナント・ヒラーがブルッフをベルリンのカントールであるアブラハムヤコブリヒテンシュタイン(Abraham Jacob Lichtenstein)に紹介した際であった。リヒテンシュタインは、多くのキリスト教の音楽家との強固な関係があることで知られており、ブルッフユダヤ音楽に対する関心を支援した。

Wikipediaコル・ニドライ [ブルッフ]より引用 )


https://en.wikipedia.org/wiki/Jacqueline_du_Pr%C3%A9

ユダヤ人じゃないのに、如何にもな音楽を書いた作曲家
ユダヤ人と結婚に際し、ユダヤ教に改宗したチェリスト
何かスゲー面白い組み合わせだわ




ピアノ伴奏版に、エルガーのチェロ協奏曲のLPジャケットが映るね

イメージ 1

 

イメージ 2


左手に写る小品集B面に、コル・ニドライのピアノ伴奏版が収録されている
生憎レコードプレーヤーがとっくの昔に昇天したため、CD18枚組のDISC6で聴いている




聴けなくて困ってたのが↓

イメージ 3


プロコフィエフの♪ピーターと狼
旦那ダニエル・バレンボイム指揮の録音で、嫁が語り手を務めた
録音データを見ると、1979年10月14日と記されている


その30年前だ
小さな子供たちを楽しませる音楽とあって
おねえさん、オカン、BBA、とにかく女子の読み聞かせが相応しい
自分がジャッキー逝った年齢より10個上となっても、そお思う
いま一度聴きたいと願ってたら


YouTubeの時代まで生きててホンマ良かったわ~




52歳まで生きてるおかげ様で、「マジ!?」もだし↓


続きは、閲覧者各自で探してクレ
酒焼けしたBBAっぽい声が妙にウケるw




記事題名の日本語部分?

イメージ 4

 

Tchaikovsky Piano Trio Du Pre Barenboim Zuckerman Improved Sound LIVE
July 1972 Israel Radio Frederick Mann Auditorium Tel Aviv.