mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

翼が砕け散った天使~ガラスの動物園~

テネシー・ウィリアムズで思い出したついでに




‘熱いトタン屋根の猫’、エリザベス・テイラーポール・ニューマンのダブル主演よね




ポール・ニューマンによるテネシー・ウィリアムズ作品といえば↓


髪の毛フサフサしてるジョン・マルコヴィッチって、メガネ無いユルゲン・クロップ以上にキモイ
じゃなくて

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ガラスの動物園 The Glass Menagerie (1987年)

セント・ルイスの裏街にたたずむ荒れ果てたアパートに、船員姿のトム・ウィングフィールドジョン・マルコヴィッチ)がやってくる。彼はかつての思い出を、観客に向かって語り出す。アメリカが経済恐慌の嵐に見舞われた1930年頃、トムは、母アマンダ(ジョアン・ウッドワード)、2つ年上の姉ローラ(カレン・アレン)とともに、このアパートで細々と暮らしていた。父親は一家を捨てて、姿をくらましていた。つつましい暮らしであったが、昼はデパートで働き、家でもアルバイトをしている母親のアマンダの手がよく行き届いていて、暖かく落ちついた雰囲気があった。だが道徳家で子供たちには口うるさい。倉庫の事務員をし、映画が大好きで詩を書くことに生きがいを求めている息子のトムは、そんな母親をけむたがり、喧嘩ばかりしていた。一方足が不自由で極端なはにかみ屋で、古いレコードをかけながらガラス細工の動物たちを手入れしている時が最も幸せだという姉のローラに対しては、秘かにいたわりの目をもっていた。母の頼みもあって、トムは家に同僚の青年を招待する。ローラは青年と会ったとたんびっくりして全身を震わせた。彼こそ高校時代に胸ときめかせたあこがれの人、ジム・オコナー(ジェームズ・ノートン)だったからだ。食事の直後、家中が真っ暗になった。ロウソクの灯の下で、ジムはローラに劣等感をはね返せと励まし、甘い口づけをかわす。だが、ジムには婚約者がいた。母と娘の将来に対する夢はむなしく崩れ去った。トムは家をとび出して、船員になった。--そうして彼は、いま長い放浪生活から帰ったところだった。家には母や姉の姿はなく、全ては切なく、苦い思い出として残るばかりであった。

https://movie.walkerplus.com/mv2111/




ウィリアムズの家庭には問題が多かった。彼の姉ローズは恐らく彼に対する最も大きな影響を与えた。彼女は精神障害で精神病院の中で生涯のほとんどを過ごし、両親は結局彼女に対するロボトミー手術を許可した。ウィリアムズはこのことで両親を許さなかったし、愛する姉を救えなかった自分自身の罪の意識にも苦しんだ。彼の作品の登場人物はしばしば家族に対する直接の抗議であると見られる。『欲望という名の電車』のブランチ、『ガラスの動物園』のローラ・ウィングフィールドは姉のローズ、アマンダ・ウィングフィールドは、彼の母親がモデルであるとされる。また『去年の夏 突然に』のセバスチャン、『ガラスの動物園』のトム・ウィングフィールドを含めて、彼のキャラクターの多くは自叙伝的である。

Wikipediaテネシー・ウィリアムズより引用 )





姉の名前がローズで、ロボトミー手術?
ちょっと脱線すると

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JFKの妹ローズマリー・ケネディ
知的障害女子が作業所とか施設とかの職員に孕まされる話がよく聞かれる
やらせてくれたらイイという男子にとって、絶好のカモなのよね
とにかく、女の子が色気づいたら、何処のドラ猫の骨とも知れぬによって孕む恐れが高い
ローズマリーも、親父のジョセフがケネディ家の政治活動の妨げになると考え、犠牲にされた
詳しい理由忘れてるものの
ロマン・ポランスキー監督の‘ローズマリーの赤ちゃん’のローズマリーJFK妹がネタ元だってよ




元へ戻ると




ガラスの動物園’は、テネシー・ウィリアムズが精神病院にいる姉の事を想って書いた作品
戯曲は二度映画化されている
1度目は、1950年
ガートルード・ローレンスジェーン・ワイマンカーク・ダグラス主演、アーヴィング・ラッパー監督
2度目が、1987年
ジョアン・ウッドワード、カレン・アレンジョン・マルコヴィッチ主演、ポール・ニューマン監督
ニューマンが、愛妻ウッドワードがやった同戯曲の舞台に感激し、映画として撮っておきたかったという




・アマンダ・ウィングフィールド
小柄な女性
過去の幻想に縛られ、非常に活動的で理想が高く、現状に常に不満がある
他者を自分の尺度に当てはめようとし、理想を押し付ける傾向がある
夫は家出をしており、現在も音信不通
彼をこのような状況に自分で追い込んだという事に気づいている様子は見られない

・ローラ・ウィングフィールド
アマンダの娘
足が不自由で(ハイスクール時代には足に付けていた器具の立てる音を過剰なまでに気にしていた)
このために深刻なコンプレックスを抱えており、極度に内向的、引きこもりがちになっている
ガラス細工の動物コレクション(『ガラスの動物園』と呼んでいる)を大事にしている




娘が収集している『ガラスの動物園
主題の一つである「壊れやすいもの」「儚きもの」を象徴し、そこに「存在そのもの」をも表している
その繊細さ、美しさ、弱さはそのまま社会の主流に適応出来ない人たちの持つ気持ちを救い上げているとして
アメリカそして世界中に共感を与えると言われるが




世界大恐慌が襲い、閉塞感に覆われる1930年代の物語
「変化を嫌い、他と異なる事を恐れる」社会の象徴であると言える母の圧政下に置かれる姉弟が描かれる
…80年後の世界にも、ドンピシャリ当てはまるんじゃない?




世界大恐慌とか世界大戦とか起きずして、家庭内が戦場みたいな話が多い
ヒッキーに関して一括りには無論出来ないものの
中学生の頃から、職場リストラから、何十年という高齢ヒッキー見てるとね、「それを可能にしてるのは、親」
ボケたくてもボケられない超高齢親が何とか子供を養い続けるからと考えたくなる
ローラだって、繊細過ぎるといっても、過保護が無ければ、繊細なりの前進可能だったと見る
娘は母が長年かけて壊しつつあるガラスの動物の1種類でしょ




親が変化を嫌い、親と異なる事を恐れる
家庭という世界で一番小さな社会が閉塞すると、子供が壊れるのよ




ヒッキー以外にも、売れ残り息子、行かず後家娘なんかに当てはまる
世の母親って父親以上に、子供、特に娘を手近に置いときたがるよね
転勤族と結婚するという娘が義姉の助力でママンから逃げ切った話あるが、皆が成功するわけじゃない
大抵の息子と娘は、実家ないし一人暮らしの部屋と職場の往復を暗い顔して繰り返し、寂しく朽ち果てる
それも圧倒的多数で、独裁者親の老後と介護に拘束されてだ
以上の状況が、ヒッキーに適用された場合、親子揃って惨めな最期を迎えると思うわよ




21世紀の現在こそ、Discoverテネシー・ウィリアムズという結論ね