mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

Who knows ? God knows.~ボイジャー:運命の航海者~

2009/1/4(日) 午前 3:17と、当所開設からほとんど17日後の初期記事をイジリたくなった
2013-07-27 19:00:00 アメブロ別荘記事も参加する




2008年当時、行きつけのラーメン屋で一杯やってたら
多機能ケータイを片時も手放さないおねえちゃんが隣席に座った




こういう場面を目にするたび、『自己疎外』という言葉を思い出す
「人間が自分で生み出したものによって、逆に支配され、非人間化し行くく現象」、
本来の意味でよ




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ボイジャー~運命の航海者~Homo Faber (1991年)

ユネスコの技術員として世界を駆け巡るウォルター・フェイバー(サム・シェパード)は、50歳を過ぎたがまだ独り身。彼には昔ハンナ(バーバラ・スコヴァ)という恋人がいたが、彼女の妊娠をきっかけに捨ててしまった過去がある。家庭より仕事一筋の人生を選んだフェイバーの前に、ひとりの美しい娘が現れた。それはニューヨークからパリへの船旅の最中のことで、その娘エリザベス(ジュリー・デルピー)は芸術に心を寄せるデリケートな女学生。テクノロジー信者で、芸術など軽蔑するフェイバーだが、吸い寄せられるように彼女に近づいていく。パリからイタリアへ、二人は旅の途中で結ばれる。しかし、エリザベスの母親がハンナだということが判明した(つまりは彼女はフェイバーの娘だった)。絶望するフェイバーの眼前で毒蛇に噛まれたエリザベスは、それがもとで若い命を終えてしまう。

https://movie.walkerplus.com/mv9871/
ニュージャーマンシネマの旗手フォルカー・シュレンドルフ監督作品
スイスの作家マックス・フリッシュ原作小説‘アテネに死す’を30年温めて製作した
ブリキの太鼓’(1979年)以来12年ぶりにドイツ語のテキストに基づいて
あたかもギリシャの古典劇へと映画を運ぼうとしているかのように描き出されて行く悲劇

人生の機微を知らぬ身から出たサビ、自業自得なのね
彼一人が痛い目に遭うならまだしも、何の罪も無い娘エリザベスは…
『自己疎外』な人間の末路を描いていると言えるでしょ




そんな話、現実に起きるかいなとな?
起きるんだわ!





現代米国作曲家トバイアス・ピッカーのオペラ第1作‘Emmeline
19世紀後半、米国のある小さな町
13歳の時勤め先の工場主によって落花狼藉したエメラインが、長年の苦労後にようやく幸福をつかんだ
当時の女性としては高齢といえる30歳を過ぎて、若いマシューと知り合い、人並みの結婚が出来たのである
が、幸福も一瞬の夢幻、マシューこそ、不幸な少女エメラインから取り上げられた息子だった…
ギリシャ悲劇のオイディプス王物語に登場する主人公の母にして妻イオカステ視点の物語
実話に基づいて書かれ、まさに事実は小説より奇なり




19世紀米国にはもう一つ、ゲーテの‘ヴィルヘルム・マイスターの修業時代’的実話が存在する
数人の子供に恵まれ幸福な生活を送っていた夫婦が
幼時インディアンにさらわれ生き別れになっていた兄妹だった
いずれの話も不幸な結末を迎えたのは説明するまでもあるまい
エメラインの話同様、自分自身にはどうしようもなかった不幸であり、同情の余地は見られる




映画と歌劇の両方
、滅多に起きる話じゃない
ゴロゴロ聞かれたら困るわよ
ただ、半世紀も前に書かれた物語が古臭く感じられないのは、『自己疎外』が永遠に消滅しそうに無いせい?




ゴロゴロ聞かれたら困るといっても、意外と聞いちゃうのがね…




17分後へ続く