mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

日本の面影~太陽にかける橋~(後篇)

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太陽にかける橋 Bridge to the Sun (1961年)

日本人外交官の妻として第二次大戦中と、その前後を通じ、日米両国の間のかけ橋になろうと努力したグウェン・テラサキの自伝的小説の映画化である。脚色は「楽園に帰る(1953)」のチャールズ・カウフマン。監督は「45回転の殺人」の新鋭エチエンヌ・ペリエ。京都中心に日本ロケも行なわれた。撮影はマルセル・ワイス、音楽はジョルジュ・オーリックである。出演者はキャロル・ベイカー、ジェームズ・繁田、丹波哲郎。高橋京子など。製作は「掟」のジャック・バトル。

1930年のワシントンで、アメリカの少女グウェン(キャロル・ベイカー)は駐在中の若い日本人外交官寺崎(ジェームズ・繁田)と恋に落ちて結婚した。間もなく寺崎は日本転勤となり、グウェンは夫と共に見知らぬ国、日本へ渡った。そして10年、上海、キューバと転任を重ねながらも2人は幸福だった。しかし日本をめぐる国際情勢は日に日に険悪の度を加え、ついに日本軍によって真珠湾攻撃が開始された時、寺崎は野村大使らと共にワシントンにあって、戦争をくいとめようと必死の努力を続けていたが、10歳になったマリコを連れた夫妻は交換船で日本へ送られた。故国日本には寺崎の活動する余地はなく、職も追われ、特高憲兵の恐怖にさらされ、うえに苦しみながら一家は生きてゆかねばならなかった。やがて日本は降伏し、寺崎は再び祖国のために働き始め、一家にも再び平和が訪れたかに見えたが。寺崎の病は重く、余命いくばくもないことを知らねばならなかった。彼はグウェンとマリコへ一足さきにアメリカへ渡るようにすすめた。グウェンは夫と共に日本に残りたかったが、マリコたち同じ世代の者が、他日、日米両国修好のかけ橋になってくれるようにと願う寺崎の切なる思いに背を向けることもできなかった。再び逢うことはできないかもしれない夫に見送られて、グウェンはマリコと共に日本を去って行った。

https://movie.walkerplus.com/mv5430/




まず、邦題について
https://www.youtube.com/results?search_query=bridge+to+the+sun+1961
原題そのままながら
https://eiga.com/movie/65022/
https://www.youtube.com/watch?v=2IDKiTWWgU4&list=PLMkqsrybBa6VnPlznreXyToI1PPHpzhsO
三船敏郎とデーヴィッド・ニーヴンが共演した1975年英国映画‘Paper Tiger’の邦題にもなっている
皆様、ゴッチャにならないようにね




本題へ




太陽にかける橋 Bridge to the Sun (1961年)
この作品は

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アメリカ人奥さん視点で、日本人旦那と送る半生が描かれる
外交官が外国人と結婚するのはタブーじゃなかったっけは置いといて
世界各国の外交官と知り合える女性だから、実家も頭も付け焼刃でない良い育ちを意味する
夫婦の国同士が戦争おっ始めたりと、いろいろ苦労尽きなかったでしょうよ




ちなみに、脱線したら長くなるので適当に短くすると
日本人と欧米人の組み合わせは一般的に、男が外国人のイメージ強いものの
サッカー日本代表酒井高徳のように、母親が外国人のケースも意外と多い(酒井ママは、ドイツ人)

日本妻&外国夫が、夫の国ないし第三国で結婚し生活する

日本妻&外国夫が、日本で結婚し生活する

日本夫&外国妻が、妻の国ないし第三国で結婚し生活する

日本夫&外国妻が、日本で結婚し生活する

国際カップルは以上の順で、上手く行くらしい
海外男女とも日本のパスポート狙いでなけりゃ、日本贔屓的な理由で海を渡って来るが
ただ一点、何処の国でも男子って、海外では自由人が帰国すると一転し、保守的になりやすい
ニッポン男児が特に、日本人嫁でも嫌がる母ちゃんのイビリなどを軽くスルーしたりする
NHKのマッサンみたいな、最後にゃ皆仲良く万々歳はそうそう望めないようよ
日本夫&外国妻が上手く行くには、夫に、太平洋の如く広く深い知性と懐が求められるっちゅう事ね
無論、海外妻にも、太平洋の如く広く深い知性と懐は求められる






マリコ’(1980年のNHKドラマ)

(主な出演者)
滝田栄キャロライン洋子、マリー・オーロラ・デジャルダン、小林桂樹仲谷昇、永島敏行

(番組詳細)
"日米開戦前夜、外交官・寺崎英成と米人女性の間に生まれたマリコ
日米外交秘史を背景に、親子2代にわたり日米の架け橋となる数奇な人生を描いた。
ワシントン大使館の寺崎は開戦を回避しようと奔走、
外務省の兄に「マリコは病気」「マリコは機嫌がいい」など、
娘の名をアメリカを表す暗号にした。
柳田邦男のノンフィクションが原作、マリコの母グエン・テラサキの”The Bridge to the Sun""が参考にされた。
史料:外務省外交史料館"

「普通に考えれば、誰しも戦争など望まないものだと思うのだが、
それでも世界に戦火が絶えることがないのはなぜだろう?
日ごとにきな臭さの増す20世紀初頭、日本人は結局大戦へと突き進むこととなり、
取り返しのつかない悲劇を招いた。
まさか再び繰り返されることはないだろうと確信していたのに、
今また我々の近隣・周辺でも似たような状況が起きてはいまいか?
対岸の火事では済むまい
今こそこのドラマをもう一度見たい。」

https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010264_00000

ちょい、マリコ役の写真、子供時代を演じた勝亦マリ子or恵子みたいな名前の子よと余計なお世話して




戦時下、登校中のマリコが、DQN親のアフォ受け売りする悪童どもからイジメられる状況下にも
寺崎夫妻が娘守るのは当然として、窮乏生活を必死で打破しようと奮闘した
太陽にかける橋には確か、キャロル・ベイカーの可愛いモンペ姿が見られるわよ
わかってると思うけど、DQNのモンペでなく、おべべのモンペよ
とにかく必死で働いたからこそ
母親の国でもやはり差別はあったにせよ、大学を卒業し、アメリカ人夫と子供たちと平穏に暮らしたマリコ
マリコたち同じ世代の者が、他日、日米両国修好のかけ橋になってくれるように」
と願う寺崎の切なる思いが叶ったのよ




太陽にかける橋自体、そして主演者も

演技経験はなく、俳優になる気もなかったが、帰国後の1959年、サミュエル・フラー監督の『クリムゾン・キモノ』でスクリーン・デビュー。事件の捜査中に出会った白人女性と恋に落ちる日系人刑事を演じ、アメリカ映画で初めて白人女性の愛を獲得した役を演じたアジア系俳優となる。これは、異人種間の恋愛が描かれることが極めてまれで、恋愛映画の場合、白人女優の恋の相手は白人男優が演じるといった人種による役割分担が常識化していた当時のハリウッドの撮影システムの中で、従来の常識を打ち破ったエポック・メイキングな出来事であり、(特にアジア系俳優にとっては)現在でもアメリカ映画史の中の重要な出来事の一つとして語られている。

他の日系俳優と同様に、中国人、ベトナム人などアジア人全般を演じることが主であり、ある映画製作者が言ったとい「ジェイムズ、もし君が白人なら大スターになっただろう」という言葉が表す通り、ロマンスの主役から冷酷な悪役まで、ハリウッドのアジア観の変化が配役に反映され、キャリアの浮き沈みとなって表れているが、長きにわたって第一線で活躍するアジア系俳優としての存在感を示し続けた。

Wikipediaジェームズ・シゲタより引用 )

エポック・メイキングと言えよう




ま、シゲタの場合、御託並べず、アジア人全般を引き受ける潔さも然る事ながら
複眼思考出来る日系アメリカ人という点が、全くの日本人俳優より有利ではある
18歳の時に渡米した、香港との二重国籍であるブルース・リーと同じ話よ
アメリカ生活長くなる事で、欧米人の目にはキモイ能面と映る東洋人から解放された演技楽勝でしょ




プッチーニの♪蝶々夫人を何故か、フジヤマがナガサキに聳え立つ舞台で観たいじゃなくて
ちょっくら珍妙な場面あったって、田吾作系アメリカ人への配慮と許し
上から目線で立てるはずの戦勝国アメリカさんなのに、日本を好意的に描く作品と認定し、一度は観ましょ