mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

文化果つる処に、明日は明日の風が吹く

午前中、お腹イタタタ
その時に浮かんだのが

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スカーレット・オハラであった





スカーレット役のスクリーンテスト映像ね
動画ペタリはヴィヴィアン・リーのだけにしたけど
https://www.youtube.com/results?search_query=scarlett+o%27hara+auditions

キャスト

デヴィッド・O・セルズニックは映画化権を獲得した1936年7月以降すぐにスカーレットを演じる女優探しを始めた。以後2年4ヶ月の間に面接した候補者は1,400人で、スクリーンテストを受けた者は90人。その中にはポーレット・ゴダードベティ・デイヴィスキャサリン・ヘプバーンマーガレット・サラヴァンノーマ・シアラーラナ・ターナー、フランシス・デイ、ジョーン・フォンテインスーザン・ヘイワードなどがいた。そしてポーレット・ゴダードが一時期有力とも目されたが、チャーリー・チャップリンと未婚のまま同居していたこともあって採用されず、錚々たるスター達がカメラの前でテストを受けたがついにセルズニックのイメージに合う女優はいなかった。

1938年12月に主演女優未定のまま撮影に入り、いきなり映画の中盤の見せ場であったアトランタ市街の炎上シーンから撮影を始めたが、その時にたまたまセルズニックの兄がロケ地に見学として連れてきた英国の舞台女優ヴィヴィアン・リーアトランタ炎上の撮影場面を見つめている姿を見てスカーレット・オハラがここにいるとセルズニックが叫び、すぐにカメラテストを受けて1回で即主演女優に決まった。

しかし、撮影途中でヴィヴィアン・リーは脚本を読んで行くうちに「こんなメス犬のような役は自分にはできない」といってスカーレット役を一旦降板するにいたった。しかしセルズニックの入念な説得により、ヴィヴィアンはもう一度スカーレット役を演じることを決め、撮影再開は前半終了部のスカーレットが農園のニンジンを生でかじるシーンから始まった。

また映画製作前の一大キャンペーンとして、全米各地にてオーディションが行われて、映画の舞台であるアトランタで選ばれたイヴリン・キースは、スカーレットの妹・スエレン役にキャスティングされた。

相手役のレット・バトラーは当時すでに大スターでアカデミー賞主演男優賞を受賞していたクラーク・ゲーブルで、彼の代表作となった。

Wikipedia風と共に去りぬ[映画]より引用 )

2年4ヶ月の間に面接した候補者は1400人で、スクリーンテストを受けた者は90人
鏡を恐れぬ自称美女が全米からわんさか押し寄せた
ヴィヴィアンに決定の報が流れると、「南部訛り出来ないくせに~」と反感食らった
インド生まれの英国人だからね




英国人だから、似合ったんじゃないの?
相手さんの方は用無いのにのアシュリーへの想いを思い起こすべし
スカーレットなんて、無駄に意識高い系を通り越し、糖質疑いたくなるほど思い込み激しいアフォだけど
(1930年代当時の意味で)現代米国産女優には望み難い、米国太古の南部淑女らしい気品
ハンバーガー食って育った大柄でなく、触れたら風と共に去りそうな柳腰
There was a land of Cavaliers and Cotton Fields called the Old South.

Here in this pretty world, Gallantry took its last bow.

Here was the last ever to be seen of Knights and their Ladies Fair, of Master and of Slave.

Look for it only in books, for it is no more than a dream remembered,

a Civilization gone with the wind...

・・・・かつて在りし騎士道と綿畑の地 人はその地を古き良き南部と呼んだ
その麗しい世界で最後に花を咲かせた 勇気ある騎士達と艶やかな淑女達
奴隷を従えた主人たち  今は歴史に記されるだけの儚い思い出となった
大いなる文化は 風と共に去りぬ・・・・
もはや求められない過ぎ去し日の要素が不可欠である
欧州の血+インド人の血を引く可能性もあるという、一種独特の風貌持つヴィヴィアンが適役でしょ




スカーレット役で面白いのは
1994年のTV映画‘続・風と共に去りぬ’でその後のスカーレット・オハラを演じた女優よ

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1988年の‘ウィロー’で共演したヴァル・キルマーの嫁当時だから、ジョアンヌ・ウォーリー=キルマー
これまた、英国人だ
ヴィヴィアンのような気品は無いが
ヴィヴィアンが脚本を読んで行くうちに「こんなメス犬のような役」、こっちは悪くなかった




「こんなメス犬のような役」?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC
欲望という名の電車’(1951年)の節を見よ
ヴィヴィアンがこれまた南部淑女、ただし今度は堕落してニンフォ何とかを演じた
ブランチ・デュボアを演じた事は「倒れそうで、気が狂わんばかりだった」?
そーいう自分自身、当時の御亭主ローレンス・オリヴィエに、ココでは遠慮しとく台詞吐いたでしょが!
というほど、適役だった
ジェシカ・ラングが、1995年TV映画版に主演し
ゴールデングローブ賞主演女優賞 (ミニシリーズ/テレビ映画部門) 受賞するも
微妙な健康感がイマイチと記憶する




エリア・カザン監督による欲望という名の電車
これは、1947年にほぼ同じキャストでブロードウェイにて上演された舞台の映画化であるが
舞台でブランチを演じたジェシカ・タンディは映画の際に年齢的な問題があるとされ、ヴィヴィアンに回った
タンディもまた英国人とあって、ワロタ