ひたすら長いし、アタシに追いつける方々だけついてらっしゃい
非情のライセンスといえば
野際陽子の歌、もしくは、天知茂のドラマ、それらは皆様で検索してクレ
一昨日のリング記事に
我が身守るためなら、お前サイコパスかいうほど非情になれるのは、女
家族を守るために利己的な決断を下す父親=利他的な人間である
という主旨を述べたねサイコパスのような非情さは持たない
しかし結局我が身大事だった
家族を守るために利他的な決断を下す母親=利己的な人間である
という歌劇を思い出した↓
Rysanek's demented Kostelnicka with Benáckova's heavenly Jenufa in a thrilling scene of Jenufa
https://www.youtube.com/results?search_query=jenufa+opera
https://www.youtube.com/results?search_query=jenufa+opera
CDジャケットとYouTube音源は異なるが、二人の女声歌手が同じだ
スロヴァキア出身のガブリエラ・ベニャチコヴァーが、題名役のイェヌーファ
ウィーン出身で、ご先祖様にチェコ系持つレオニー・リザネクが、イェヌーファの継母
物語は、19世紀末のモラヴィア(現在のチェコ東部)にひっそり佇む寒村を舞台として
第1幕
夏の午後、水車小屋の前
イェヌーファは徴兵検査で町に出かけたシュテヴァの帰りを待っている。イェヌーファは密かにシュテヴァの子を妊娠しており、彼が徴兵されると未婚の母となりかねないので、不安で仕事にも身が入らないでいる。一方、シュテヴァの兄であるラツァは、連れ子としてブリヤ家で冷遇され続けてきた上、好きだったイェヌーファをシュテヴァに取られたことに不満をつのらせている。牧童のヤノがやって来て、イェヌーファのおかげで字が読めるようになったことを喜ぶ。製粉所の親方が町から戻ってきて、シュテヴァが徴兵免除になったことを告げ、それを聞いたラツァは憤慨し、イェヌーファは喜ぶ。
酒に酔ったシュテヴァが村の若者たちと連れだって登場する。若者達が歌い踊る中、シュテヴァがイェヌーファを踊りに誘うが、突然イェヌーファの継母であるコステルニチカが割って入る。コステルニチカはシュテヴァとよく似た亡き夫(イェヌーファの父)と結婚した後、自分がどれだけ苦労したかを愚痴る。そしてイェヌーファに対して、シュテヴァの飲んだくれが直るかどうか、1年間様子を見てみない限り、結婚は許さないと言い放つ。
人々が去り、イェヌーファはシュテヴァと2人きりになると、彼に不安を訴えて結婚を迫る。シュテヴァは調子のいいことを言って彼女をなだめるが、本気で結婚するつもりはない。シュテヴァが去ると、入れ替わりに登場したラツァがイェヌーファにシュテヴァとの関係をからかいだしたので、怒ったイェヌーファと口げんかになる。逆上したラツァは思わず手に持っていたナイフで彼女の頬を切りつける。イェヌーファの悲鳴を聞きつけた人々が駆けつけ、大騒ぎの中で幕となる。
第2幕
真冬のコステルニチカの家
イェヌーファの妊娠を知ったコステルニチカは娘の醜聞を恐れ、ウィーンに奉公に出したとごまかし、村人に内緒で彼女をここにかくまっている。イェヌーファは1週間前にシュテヴァの子供を出産したばかりある。コステルニチカは育児に疲れている彼女を気遣い、薬を与えて眠らせる。
コステルニチカはイェヌーファが眠っている間にシュテヴァを呼びつけ、正式に結婚するよう彼に迫る。だがシュテヴァは子供に金は出すが、頬に傷のあるイェヌーファへの愛は醒めてしまったし、村長の娘であるカロルカと婚約したから結婚は無理と言い、逃げるようにして立ち去ってしまう。途方に暮れるコステルニチカのもとにラツァがやって来る。ラツァはイェヌーファを傷つけたことを悔い、その償いにイェヌーファとの結婚を申し出る。だがラツァもイェヌーファがシュテヴァの子を産んだと聞かされて思い悩んでしまう。コステルニチカは赤ん坊は既に死んだと嘘をつき、ラツァをいったん帰した後、赤ん坊を雪に覆われた外の川へと捨ててしまう。
眠りから覚めたイェヌーファは赤ん坊とコステルニチカがいないことに激しく動揺するが、継母が赤ん坊をシュテヴァのもとに連れて行ったのだと思い、聖母マリアに祈りを捧げる。そこにコステルニチカが戻ってきて、赤ん坊はイェヌーファが熱を出してうなされている間に死んでしまったと語る。嘆き悲しむイェヌーファにコステルニチカはシュテヴァの不実を告げ、ラツァとの結婚を勧める。戻ってきたラツァの慰めにより、イェヌーファもラツァの愛を受け入れる。コステルニチカは2人を祝福するが、赤ん坊を殺した良心の呵責から、外の吹雪で窓が開くと「死神がのぞき込んでいる」と言って激しく怯える。
第3幕
春先のコステルニチカの家
イェヌーファとラツァは結婚式の朝を迎え、その準備が行われている。コステルニチカは罪の意識に悩まされていて、ずっと様子がすぐれず、イェヌーファや祝福にやって来た村長夫妻も不安に思う。イェヌーファと2人きりになったラツァは改めて償いとして彼女を幸せにすることを誓う。そこにラツァの招きでシュテヴァとカロルカが祝福に来るが、コステルニチカはシュテヴァの来訪を喜ばない。村娘たちが歌をうたい新婚夫婦を祝った後、教会に行く前にブリア家のおばあさんが2人に祝福を与える。
おばあさんに続きコステルニチカが祝福を与えようとしたその時、外から騒ぎの声が起こる。牧童のヤノが駆け込んできて、凍った川から赤ん坊の死体が見つかったことを告げる。走り出たイェヌーファは、赤ん坊の身につけたものから、それが自分の子であり、父親がシュテヴァであることを告白する。村人はイェヌーファが赤ん坊を殺したと思い込み、彼女に石を投げようとするが、そこにラツァが割って入って彼女を守る。騒然とする中、コステルニチカが村人の前に進み出て自分の罪を告白する。村人は驚き、ラツァは罪の意識にさいなまれ、カロルカはシュテヴァとの婚約破棄を告げて母と去り、恥じ入ったシュテヴァは逃げるように立ち去る。イェヌーファは継母を助け起こし、罪を許し悔い改めの道を与えようとする。コステルニチカは罪の償いに耐えてゆくことをイェヌーファに告げ、村長と村人たちに連行されて去る。
イェヌーファとラツァの2人だけが残される。イェヌーファはラツァにこれ以上自分の不幸に付き合うことはないと言って、彼に去ることを勧めるが、ラツァはどのような困難も2人で耐えることを改めて誓う。イェヌーファはラツァの愛を受け入れ、将来の幸福を思う中で幕となる。
( Wikipedia:イェヌーファより引用 )
中欧版2ch報告もどきが描かれる
主人公を育て上げたのは、亡き父親の後妻
主人公をハラボテにさせたのは、道楽息子である従兄
主人公を本当に想うのは、義理の従兄
従兄たちは異父兄弟で、ブリヤ家の実質的家父長である祖母が実孫を甘やかし三文安に
と、真面目な話、膿家地帯みたいな人間関係でしょ
作品原題はJejí pastorkyňaであり、『彼女の養女』を意味する
コステルニチカ - イェヌーファの継母
教会の聖具保管係を勤める事から、村人に『コステルニチカ(教会のおばさん)』と呼ばれる
継母が、真の主人公と言える作品なんだよ
コステルニチカは、メゾ・ソプラノが歌う舞台少なくない
JENNIFER LARMORE as Kostelnicka in Jenufa (Co chvíla & finale act 2)
ちょ、ジェニファー・ラーモアいうたらロッシーニ歌手と軽量級やろ、いつの間に?
現在60歳くらいだ、オバハンでも務まる役に転向したか!
は置き
キャリア晩年といえば、往年のドラマティック・ソプラノによって歌われる役でもある
リザネクも、BBAソプラノの1人よ
他には、養女から継母へと転向した歌手も数多見られる
Karita Mattila as the Kostelnička in Jenůfa (Metropolitan Opera)
2000年か2001年のザルツブルク音楽祭でイェヌーファ歌ったカリタ・マッティラ
1960年生まれと現在50代後半に至り、数年前より、コステルニチカ歌い始めた
ラーモアとマッティラどっちも年齢の割に若く、昔の同年代歌手とは隔世の感を受けるが
20歳そこらの継娘持つ後妻という役柄をよーく考えてみましょ
45歳から50歳くらいの、熟年まで至らない中年歌手が適役?
ならば!
1989年の英国グラインドボーン音楽祭で歌ったアニヤ・シリヤが、最強という気がして来た
1940年生まれ
マッティラ誕生年である1960年にバイロイト音楽祭デビュー
10代のうちに劇的な役柄を手掛け、20代前半のうちにワーグナー歌い過ぎて
1967年の♪ワルキューレ日本初演でブリュンヒルデ歌った頃までが、声の全盛期だった
声壊した後も、80歳近い現在も、バリキャリ現役なのは、『歌う女優』、演技力抜群だからよ
百貫デBが美声張り上げてりゃとは異次元の存在ね
グラインドボーンでのコステルニチカは、49歳当時の歌唱
老けが入ってるものの、顔立ちと骨皮筋子体型のおかげ様で婆臭さを感じさせない
老けはコステルニチカの生活疲れを示すという方向でいい
何より、キツイ感じが、コステルニチカの独善性を表現出来よう
コステルニチカの独善性=継娘ではなく、結局、我が身が一番可愛かったという事
いや継娘も可愛かったけど、何よりも自分の面子を守りたかった
後妻なんて前妻と何かにつけ比較され、後家を守るのも一苦労以上
継娘に不始末起きれば、そこまでちゃんと養育していても、舅姑の類は黙っておらず、継母に全責任なする
継娘が孕んだら、継母は大ッ嫌いな義甥に頭下げて出来婚お願いもするわよ
イェヌーファの産んだ子が大ッ嫌いな弟の子と聞いて動揺するラツァを見たら、継母は何を考える?
「赤ん坊さえいなければ、娘は幸福を掴め、自分は継母としての面子潰れずに済む」
ちゃいますか?
イェヌーファとラツァが結婚する第三幕を迎え、コステルニチカが非情ではないと知れる
非情なら罪の意識で悩まされたりしない
赤ん坊遺体の発見により、解放されたのか、自ら進んで罪を告白し
「イェヌーファ、お前に、赦して欲しいんだよ」
死んで詫びるなど逃げ出さず、生き続ける事で罪の償いに耐えるとする
これはイェヌーファにとって、継母を生涯背負うを意味するようなもので過酷であるが
村人たちがコステルニチカ家内破壊場面に、世間の目は厳しいを示し
頑迷な世界では清廉潔白とは見做されないイェヌーファも避けて通れないとして
一見身勝手な罪の赦しが、娘に強く生きるよう教える母の愛を見せたと解釈する
ま、要するにだ
過ちは犯すが家族に赦して貰えるだけのものを、長年家族に与えていた者だけが赦されるというオチね
記事題名は考えるのがメンドクサイため
ヤナーチェクの合唱曲名と
Leos Janacek-String Quartet No.2 (The Unbearable Lightness Of Being soundtrack)
ヤナーチェクの曲使用した‘存在の耐えられない軽さ’をイジッタまで