mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

新しい歴史の道を拓けば、古い歴史の道も輝く(後篇)

17分前から続いた




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ブンデス所属クラブにしては、ヘンな感じ受ける?
受けて当たり前
いつの時代やねんいうほど古い顔触れ、カテゴリも異なると、玉石混交だもん
銀の皿掲げる回数は圧倒的にバイエルンながら、そっから下は群雄割拠的な世界いう意味よ




サッカークラブの古い歴史といえば

名門の証…欧州11カ国、リーグ発足から降格未経験の25クラブとは?
2018.03.03

 日本代表DF酒井高徳が所属するハンブルガーSVHSV)は、1963年のブンデスリーガ発足以来、2部降格を一度も経験していないことをを誇りにしている。スタジアムに設置されている時計はその日数をカウントするもので、クラブのシンボルでもある。だが、今シーズンは第24節を終えて降格圏内の17位に低迷。記録は途絶えてしまうだろうか。

 2月28日付のドイツ紙『スポーツビルト』が、欧州で最も長い期間、リーグ発足以来1部リーグから降格した経験を持たないクラブを紹介している(日数は2018年2月28日時点)。なかには19世紀から1部リーグで戦い続けている驚きのクラブもある。ランキングは以下の通りだ。

▼11位(54年188日)
ハンブルガーSV(ドイツ)

▼10位(58年127日)
オリンピアコスパナシナイコスPAOKギリシャ

▼9位(59年7日)
ベシクタシュフェネルバフチェガラタサライ(トルコ)

▼8位(61年180日)
アヤックスPSVフェイエノールトユトレヒト(オランダ) 

▼7位(79年52日)
ベンフィカポルトスポルティングポルトガル

▼6位(88年145日)
インテル(イタリア)

▼5位(89年19日)
アスレティック・ビルバオレアル・マドリードバルセロナ(スペイン)

▼4位(96年164日)
ボヘミアンズ・ダブリン(アイルランド

▼3位(106年185日)
ラピッド・ウィーンオーストリア・ウィーン(オーストリア

▼2位(127年/正確な日付は不明。ベルファストリーグから一時期は南部も含めたアイルランドリーグに拡大したが、1921年の分裂後、元のリーグに戻った)
クリフトンヴィル、グレントラン、リンフィールド(北アイルランド

▼1位(127年196日)
セルティックスコットランド

 なお上記ではカウントされていないが、現行のプレミアリーグが1992年に発足してからチャンピオンシップ(2部)への降格経験がないのは、マンチェスター・U、アーセナルリヴァプールトッテナムチェルシー、そしてエヴァートンの6クラブだ。

 ちなみに、Jリーグの「オリジナル10」に数えられる鹿島アントラーズ横浜F・マリノスは現時点で25年319日と記録を更新し続けている。ビッグクラブと呼ばれるための条件には、タイトルや規模の他にも安定してトップリーグに所属し続けるということも挙げられる。その意味では、25年以上もトップリーグに君臨し、安定した成績を残し続けてきた両クラブは、日本のビッグクラブと呼べるだろう。今季も記録は更新されるだろうか。

https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20180303/723165.html





昨夜、NHK-BSで、横浜マリちゃんvs吹田を眺めていた
吹田の奴、勝てなかったものの負けはしなかったと、悪運強いコトよ
そんでも一度は、いまは青赤TOKYOにいるデビル前田の呪いを受け、降格を喫した
現在、J1の16位
同じ勝ち点で15位なのが、マリちゃん
…マリちゃん、吹田、現在最下位名古屋の赤鯱で降格希望するのって、アタシだけ?
この3つが同時に降格するためなら、17位鳥栖を必死で応援したる!
Jリーグの『オリジナル10』に数えられる残り2クラブなんぞ
昨夜遂に初降格を喫したクラブと比較したって、およそ30年の遅れ取ってるじゃんッ



HSV主将酒井高徳、史上初2部降格に「とても悲しい日。ファンには申し訳ない」
5/13(日) 6:50配信

ハンブルガーSVのキャプテンを務めるDF酒井高徳が、史上初の降格が決まり苦しい胸の内を語った。ブンデスリーガ日本語版公式サイトが伝えた。

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HSVは12日、ブンデスリーガ最終節でボルシア・メンヒェングラットバッハと対戦。伊藤達哉のアシストなどで2-1と勝利したものの、16位のヴォルフスブルクも勝利したため、史上初の降格が決定している。

酒井は試合後にドイツ語でインタビューに応じ、「正しい言葉が見つかりません」と話してこのように続けた。

「とても悲しい日になってしまいました。ファン、選手、コーチ陣、クラブに属する全ての人たちにとって、辛いです。それでも今日、勝ち点3を獲得することができました。それは今日、僕たちがどうしても欲しかったものです。そして、僕たちは絶対に諦めないということを見せることができました。この数週間、僕たちは目標を達成するために本当にハードワークをしてきました。それでも残留できなかったのは、残念です。ただ、ここ数週間の安定したプレーは来季に向けての大きな成長だと思うし、また一からやり直したいと思います」

ファンに対して申し訳ないとも語る。

「とても、とても辛いし、残留できなくてファンに申し訳ないです。でも、一時はどん底で、壊滅的な中、少しは巻き返すことができ、数試合は勝利することができました。最後の最後まで戦い、諦めなかった。個人的にファンに言いたいのは、ここ数週間の試合後にファンが見せたくれた態度はとても素晴らしく、僕たちに力を与えてくれたし、だからこそ今日、勝ち点3を獲ることができました」

目標は1年での復帰かという質問には「もちろんそうですが…」と語りつつ、「一からやり直すことが重要」と再スタートを強調した。

 
GOAL
 

【関連記事】

外国人ながら主将、これだけでもすごいこと。そのメンタルをぜひ代表でも見せてほしい。来季の奮起を期待している。
全くの外国人でなくドイツ系だから、ドイツクラブ主将に選ばれたような???
毎度最後だけ頑張っても仕方ない。1回やりなおしてこい。シーズン中盤ひどすぎた。
ここ数年、奇跡的に残留していたが、ハンブルガーの2部降格は時間の問題だったと思う。
ここ数シーズンずっと低空飛行続けてたから、選手だけでなくフロントの問題が現場に影響してたのかなと思う
チーム事情でいろんなポジションやることになってSBのプレーも質が落ちてしまったのが残念。他のポジションもそこまでこなせていないし、来期は本来のポジション一本に絞って勝負してほしい。
高徳は責任感が強いけど、だからと言って何でもかんでもやればいいと言う訳ではない。本来の力を発揮してこそチームのためになる。
悲し過ぎる。
最後に立て直したとはいえ,途中までが酷過ぎた。
というより,ここ何年も危ない状況を首の皮一枚で残留してきたのに,何も変わろうとしなかった事がこの悲劇の原因。
今度こそ古豪のプライドを捨ててでも変わってほしい。
古豪は「ヒビ入った骨董品」とも言え、修復困難よ
自力では残留を決められないほど追い込まれていたのが痛い。
終盤の巻き返しも及びませんでしたか…。

高徳選手、残るんですね。
責任感じてるんでしょうね。

よーし、どっかのJチームみたいに1年で戻ってきて翌年優勝じゃああああああああああああああ(ちょっとヤケ)。
ヤケ起こすいう事は…J1最下位さんですかね!?






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あ~あ、コレで、同町ザンクトパウリの楽しみが…
2部第33節終了時点で、10位と中位で、落ちて来るHSVとカテゴリ入れ替わる事は無い
「何処にいようと応援するのさ」
「1部にしがみつくメメシイ連中とは違ってな」
HSVへの嘲笑、当分お預けね
代わりに、お久しぶりねオマエに会うなんてアレから何年?のハンブルク・ダービーが面白くなるかのぉ




HSVが謝罪するのはファンのみならず、リーグ全体に対してもじゃ!




1950年代から1960年代

1953年、後にドイツ代表となるウーヴェ・ゼーラーが入団。1955-56シーズンのDFBポカールでは決勝戦カールスルーエSCに敗れ準優勝に終わったが、1959–60シーズンのドイツ選手権では決勝で1.FCケルンを3-2と下し32年ぶり3度目のタイトルを獲得。ゼーラーは1960年から選定の始まった年間最優秀選手賞の最初の受賞者となった。1962–63シーズンのDFBポカールでは決勝戦ボルシア・ドルトムントを3-0と下して初優勝を果たすと、国際舞台においてもUEFAカップウィナーズカップ1967-68ではフランスのオリンピック・リヨンウェールズカーディフ・シティFCなどを下して決勝進出、決勝戦ではイタリアのACミランに敗れたものの準優勝の結果を残した。ゼーラーは1964年と1970年にも年間最優秀選手賞を受賞し人気選手となったが、一方で国内リーグでは1963年に発足したブンデスリーガの創設メンバーとなったものの、ゼーラーの現役時代にはリーグタイトルを獲得することは出来なかった。

1970年代から1980年代

...1981年7月、 オーストリアのエルンスト・ハッペルが監督に就任。UEFAカップ1981-82では決勝戦スウェーデンIFKヨーテボリに敗れタイトルを逃したが、1981-82シーズンのブンデスリーガでは36試合無敗記録を作り、1978-79シーズン以来2度目のタイトルを獲得。27得点をあげたルベッシュが得点王となった。翌1982-83にはUEFAチャンピオンズカップ1982-83に出場しソ連ディナモ・キエフやスペインのレアル・ソシエダを下して決勝戦へ進出すると、決勝ではイタリアのユヴェントスFCをマガトの決勝点で1-0と下し初優勝を収めた。またブンデスリーガにおいても連覇を成し遂げるなど、クラブの歴史上において最も成功した瞬間を祝った。その後、1986-87シーズンのブンデスリーガでは2位となり、DFBポカール決勝ではシュトゥットガルター・キッカーズを3-1と下して3度目のタイトルを獲得したが、ハッペルは1987年6月限りで退任した。

WikipediaハンブルガーSVより引用 )


わかる?
ブンデスリーガ創設メンバーにして、欧州制覇したドイツクラブなのよ
創設メンバーに、いまでこそエラソーなバイエルンは参加していなかった
創設メンバーであるフランクフルトは、しかし白組マドリーとのチャンピオンズカップに敗北した後の話
従って、mathichenさんのドルトムントだけが威張れる事となった




BVBが威張れないのは、「何度、降格したっけ?」
リーガ創成期、順調に成果を出し
mathichenさん誕生年である1966年には、UEFAカップウィナーズカップを制した後
ブンデス初の国際タイトル獲得が、リヴァプールFC泣かせた天罰か、BVBは下降線辿ったを始め
HSVに勢いあった1980年代には、壮絶な入れ替えプレーオフに精魂傾け
ここ20年以内にも、ハGそうな思いの残留争いに巻き込まれたなどよ(溜息)




HSVもかつてのBVB同様、フロントがアフォ過ぎるのか?
とにもかくにも、サッカー大国の国内リーグ創設メンバーから降格未経験いなくさせた罪は重いぞ
暴れた所で、もお取り返しつかんし
どっかの腐れ緑とか黄色犬並みの長さで落ちぶれとけ~




ところで




どっかの腐れ緑にまで降格した彼、いま、何処に?
WOWOW生中継で観た時の感想:「一生分の運使い果たしたのやら」
つまり、「2006年のW杯直前のドイツ戦2得点はオマケで、残り福みたいなもん」)