mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

「自由に飛びたい」と夜空に描いた絵、そして、小さな希望

先週からでなく、17分前記事から続いた





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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%90%8D%E4%BD%9C%E5%8A%87%E5%A0%B4

 


「アタシの場合、カルピスが冠の頃だ」
「原作者も呆れるであろうほど、マルコの旅路は遠回りなど、1年の放送枠を考慮した長旅となった」
自分の属する年代によって、どの作品が記憶に鮮やかであるかは異なろう




世界名作劇場の最広義では、1969年の‘ムーミン’以後の作品
日本アニメーションの公式では、1975年の‘フランダースの犬’以後
アタシのリアルタイム視聴では、1973年の‘山ねずみロッキーチャック’~1985年の‘小公女セーラ
アタシは但し、対象年の作品全部は観ていない
フランダースの犬’は、1996年頃NHK-BS2世界名作劇場何作か放送した折に初めて、全話観た
30歳になってたもんで
「コゼツ旦那の落とした2000フランの金貨を、ネロが拾った
アタシがネロなら、1割の200フランをコゼツ家玄関先に黙って置き、1800フラン貰って夜逃げする」
そう考え、52歳現在も変わらぬアタシです
風車小屋火事の冤罪により、村中総出の勢いでネロをハブったね
2000フラン全額を賠償金にくれたってバチ当たらんと思うが!




フランダースって、最終回が、本放送当時のガキンちょに衝撃与えたそう
アニメも原作通り、ネロとパトラッシュが死んだ
アニメ主人公が死ぬなんて「信じられへん」、小学生がまだ純情でいられた時代だったという事よ
デビルマンの原作読んで1972年版アニメ観たガキンちょに匹敵する衝撃度とか
デビルマンの原作は喜劇の要素が無く、神と悪魔の邂逅みたいな展開を迎える
アニメ版最終回、デビルマン変身を目の前で見ても揺るがないミキちゃんも感動的だったので
今夜辺り、LD再見しよかしらん)




それにしても、アニメ版フランダースの犬に於けるネロの扱い、曖昧過ぎる
大人でネロに親切なのは、隣のヌレットおばさん、アロアのお母さん以外では
ジェハン祖父さんに牛乳運び頼んでいた農夫ヘルモンド夫妻、木こりミシェルくらい
ヘルモンドは、風車小屋の件以降、保身のため、ネロが挨拶しても無視するようになった
ド貧乏いうだけで、何であそこまで、特に肉屋ハンス、意地悪するわけ?
コゼツ旦那がネロを嫌う理由、それはまだ理解出来るのよ
苦労人で、真面目にコツコツ働き、一代で財を成したコゼツ旦那の目に
絵ばっかり描いてるように映るネロは怠け者と映るからだ
もっともコゼツ旦那とて、事の本質を見落としてるは否めないよ
アロアの就学に関する場面で、お母さんが内心、「本当なら、アロアより年上のネロも学校に通わないと」
1フランの家賃払うのも大変なジェハン祖父さんとの生活じゃ、ネロが学校になんて通えるか?
誰か支援しないと無理に決まってるのを無視して、グータラ小僧扱いは不当じゃん




ネロの不当な扱いにモヤモヤするのは恐らく、年齢設定が原因だ
アニメ版では、12歳くらい
原作では、15歳にはなっており、アロアも12歳くらいで、両者とも全くの子供じゃない
娘持つパパンから見て、可愛い姫がド貧乏な男子と親しくするのは?
ネロが全くの子供じゃなければ、一般的な大人が冷たいのも筋が通る
ネロの事情どうあれ、「自立心が見られない」
欧州では日本と対照的に、‘フランダースの犬’への評価はあまり高くないんだってよ




アタシが「それ、言わないお約束」と言いたいのは
こんな結末では、主人公たちが可哀想過ぎる」という出版関係者の意向により
ハッピーエンドを迎えるように、原作に改変が加えられている合衆国に対してである
改変は具体的には「ネロとパトラッシュは聖堂で死なない」「ネロの父親が名乗り出る
死なないのは大目に見ても、ネロの父親が名乗りを上げるなんて
エス師匠が磔刑に処されてる最中、何処に雲隠れ?の、ヨゼフ以外の使徒ども級ズルイ!話でしょ
「ネロは、ジェハン祖父さんと同じ姓、ダースを名乗る
ジェハン祖父さんはネロにとって、母方の祖父である
ジェハン祖父さんの娘が、幼い息子を残して、他郷に没した
ネロの母は、他郷でどうやって暮らしてたの?
どっかの屋敷勤めするうち、主人のお手付きになり、マダムに追い出されでも??
ネロには最初から、父親なんていないに等しかったんじゃねーの???
といった主旨を、アタシがいつぞやの記事に書かなかった?
ネロの父親登場なんて、反則なのよ
ネロが私生児だから
・村の信仰であるカトリックは一応存在を認めてくれるため、居場所は用意される
・でも基本、教会での婚姻に則る二親揃った家庭の子と決して同等になれない
村がネロにとって、平時は生温かい環境、有事には冷酷な環境、と言えるんちゃうかね





…52歳にもなると、アニメを素直に観られない?
アニメを素直に観られるほど能天気だったら、52歳まで生きられま宣言!




https://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/archive/2015/02/25
1本目記事よ

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もしもハイジが一度もアルムの山を降りなければ、どんな将来を送ったか考えてみなされ
トシヨリっ子は三文安という
ジジババがしっかり躾出来れば問題無いが、世のジジババ大半は孫甘やかすのが仕事である
ハイジを学校に行かせない、そもそもデルフリ村へ行くを嫌がる祖父さん、あれ虐待やろと思いますが???
デーテ叔母さんが3年後、クララの遊び相手条件には厳しいハイジを強引に連れて行った背景には
姪を然るべき場所でちゃんとした教育与えたいを常々考えていたのが知れるし
ハイジとの縁がきっかけで、ゼーゼマン家の外の世界を知ったクララが立った♪
結果的に、おんじも亡くした際のハイジが路頭に迷わぬ後見先確保と、皆が万々歳☆
ちゃいますかね

デーテ叔母さんは、ハイジの母親の妹
叔母さんといっても、まだ30歳になるかならない若さと思う
姉夫婦が亡くなり、孤児となった幼い姪を引き取ったものの、働かないと生活出来ない
自身の生活と姪養育のため働きに出るには、姪を他人に預けるわけだが、預け先への報酬も馬鹿にならない
ウルゼルお婆さんの下から、疎遠であったアルムおんじの下へ預けたのは
条件良い職場に移るためにはやむを得ず、また孫養育なら無料の算段であろうが
同時に、「自分ばっかり貧乏クジ引く」への怒り爆発であった
デーテ叔母さんにはデーテ叔母さんの人生守る権利が認められる
アニメ第1話、おんじに悪態ついて、ハイジを半ば捨てる格好で去ったのも、十二分に理解し得る

女中奉公が関の山であるデーテ叔母さんと、家政婦長のロッテンマイヤーさんでは、格が違い過ぎる
それでもこの二人が、19世紀に生きる独身女性を表す好例と思うの、mathichenさんだけ?

デーテ叔母さんとロッテンマイヤーさんが、それなりの家庭婦人に収まる人生掴めるかは不明
先行き見えないおひとり様人生はお先真っ暗、これは21世紀に通じる
そういう意味では、保険として、女性の高等教育は重要なんですよね

一応はヒール役のデーテ叔母さんに同情出来るくらいだぜ…

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ちなみに
「ハイジがフランクフルトで読み書き習う背景には、聖書を読めるようにの意味合いが大きい
子供向けに脚色されていない原作読んでみんしゃい
キリスト教信仰に基づく描写が多い
クララのおばあさまがハイジの教育に熱心なのは、立派なキリスト教徒になるようにの思いからであった
アルムの山への帰還後、ハイジがおんじに聖書読むよう勧めるを見たら
おばあさまは、クララが立ったと♪と同じくらい嬉しく思ったであろう」




ハイジの話には何種類もの後日談が出版されている
ま、ハイジの将来はどーせ、ペーターと結婚して、山羊の乳を完ミにする多産母さん的なものだけど
ペーターが甲斐性無し過ぎる時、ペーターが戦死した時などに使える保険は得られた
デーテ叔母さん様様ね




親戚の有無が、ハイジとネロの明暗分けた
そういう気がするのはアタシだけ?