mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

続・ 栄華の行方が走馬灯の如く駆け巡るTHE END

前記事から続いた




前記事の自前TB記事冒頭に
「80年を越える歴史を持つだけあって、アカデミー賞授賞式には人間模様いろいろ」
7年前、YouTubeペタリ忘れてたのが↓


Sirの称号持つ爺さんでも緊張する場面あるんだね
候補5作品の紹介を忘れ、慌てた会場が止める間もなく「‘アマデウス’☆」
見事なまでのボケ老人ぶりを全世界配信してしもた
オリヴィエ爺さんは、ヴィヴィアン・リーの元亭主であった
黄金に輝くOscar像を1個のみならず2個もの元嫁が、草葉の陰でオハラ抱えながら爆笑したと想像する




紹介忘れられた4作品が気の毒過ぎるから、上のボケ老人は罪深い
それ思えば
Tatum O'Neal Wins Supporting Actress: 1974 Oscars
美女と野獣(ジル・アイアランド&チャールズ・ブロンソン)、お祖父ちゃんはアラアラ困ったものの
10歳そこらの子供が緊張して、引っ込む場所間違えるなど他愛が無いわよ




他愛が無い
「他」を抜くと、「愛が無い」
1986年、1987年、1988年の授賞式を観た方々なら同意頂けると信じたい備忘録をば





25個下の同月同日生まれの嫁(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)が、14年後、助演女優賞受賞したわねは置き
プレゼンターとして登場したマーリー・マトリン
前振り部分を手話で話し、男優の名前及び作品名は聴覚障害者独特の口調ながらも地声で紹介した
Good Morning Vietnam Best Scenes
真似して貰えたロビン・ウィリアムズ、そりゃ笑えるってばとワラテ




近年は確実にじゃないけど、昔の演技部門は
欠席する理由や事情無い限り、前年度受賞者が男女入れ替えて今年度に授賞していた
これが、微妙に、いや大いに、男女の仲に影響及ぼしたみたいに映る話を挙げる




自虐ネタに走ったサリー・フィールド、もお偉いわと尊敬して
‘蜘蛛女のキス’の演技で主演男優賞受賞したウィリアム・ハート


翌年、‘愛は静けさの中に’で共演したマーリー・マトリンに主演女優賞を授賞した
お二人さんは当時、共演を機にデキちゃい、同棲していた
皆知ってるから、恋人同士がなんてアラ感動的場面ねと拍手贈った









「映画初出演にして、主演女優賞では史上最年少となる21歳の若さにして」
16個上の、35歳と中堅に入るお年頃で受賞したおっさんの、男の沽券とやらに触れたらしい
彼女との仲に亀裂が生じ、2年ほどで破局を迎えた
何しろ
1971年に女優のメアリー・ベス・ハートと結婚するが、1982年に離婚した
その後、事実婚をしていたサンドラ・ジェニングスとの間に一子もうけるが、訴えられた事もある
1989年から1992年までHeidi Hendersonと結婚し、息子を2人もうけている
1992年から1997年まではフランス人女優サンドリーヌ・ボネールと暮らし、彼女との間に一女をもうけている
だもんで、その程度の野郎ねと思いつつ
ケツの穴小せえ男だね
実は自信無いってかい
女の腐ったオンナより
銀河系規模で女々しいわ

文字フォント大きくして主張したくなる




2015/2/20(金) 午後 7:17 【栄華の行方が走馬灯の如く駆け巡るTHE END】

ダンス・マラソン進行役を演じたのが、ギグ・ヤング(1913年11月4日 - 1978年10月19日)
私生活では5回結婚し、2回目が、TV‘奥さまは魔女’のサマンサ役エリザベス・モンゴメリー
最後の夫人は、亡くなる3週間前に結婚したばかりの、香港で知り合った31歳のドイツ人女性キム・シュミットで
このキムと揃って、マンハッタンの自宅で遺体となって発見された
妻を射殺した後に自ら命を絶ったと見られるが、動機などは不明のままながら

高校在学中から演技に興味を持ち始め、舞台を経て、ワーナー・ブラザーズと契約を結んだ
第42回(1969年度)アカデミー助演男優賞を受賞し、「これで俺もようやく、大役に恵まれる」
しかし現実は厳しく、相変わらず脇役暮らしが続いた
こう言ったら大好きなブルース・リーにヌンチャクでシバキ回される覚悟で書くと
「ヤング最後の出演作、日本ではヒットしたが、世界的にはそれほどのヒットにはならなかった‘死亡遊戯’」
端くれとはいえオスカー俳優が、1970年代の香港映画出演するほどまで、キャリア浮かばれなかった




貰えば貰えたでの、『オスカーの呪い』みたいなものがある
妥当な受賞であったって、当人に、自分自身を呪縛する働きなんかも含まれる?