mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

同曲異演:「個人の感性と能力が試される」

あまりにも寒いため、オナカも痛かったため、また、外界でなくYouTubeを散策していた
推定IQ150前後のアタシのリズムとテンポに追いつける方だけ追っかけてらっしゃい備忘録する




なるほど、自分はクラシックが好きだと思っていたが、ちゃんと聞き分ける耳を持ってないことが良くわかった…泣いていいかな?
男子はメソメソ泣くなの理由↓
体育の先生に「ルスランとリュドミラ」序曲のムラヴィンスキーハイティンクの演奏を聞かせて「指揮者でこんなに違うんですよ」と言ったら、納得できないという顔で「同じ曲じゃないですか」と言って、「こりゃだめだ」と思ったことがある。絶望的に音楽を聞けない人間というのはいるものです。
耳と脳の両方ジャイアンが、この世には一定数存在する
この動画を見ても違いがわからない奴は感性がないに等しいのかな
自分は感性豊自慢したいのかい
それもあるのかもしれないけど、人によっては脳外科行ったらってのもいるのでは?
ハイ、論破!
指揮者によって雰囲気が変わるって事おかしい。楽譜があってないようなもの。作曲者の意図が無視されているかに思えます
出た、オリジナル絶対信仰という名の原典義者もどきが
楽譜に載せられたもののみを完全に汲み取った演奏をできるのは自動演奏です ですが楽譜どおりの自動演奏とはなんか味気ないものです。
おそらく作曲者もそのような演奏は望んでないのではないでしょうか?
もとより作曲者が望む細かな意図を譜面に記録しようとすると情報量は膨大になります。
そのため楽譜は、演奏するのに必要最低限のものや抽象的なもので成り立ってしまうのはしょうがないことです。
その情報落ちした譜面から作者の意図を自身なりに汲み取って演奏させるのが指揮者ではないでしょうか?
指揮者、楽団、演奏家は生身だから、楽譜絶対なら機械に演奏させとけいう事
妙に捻くれた意見も目にしますが、要するに料理店のシェフみたいなもんなんですよ。
ビーフシチューひとつとっても、お店によって、シェフによって味わいが違うでしょう
それを楽しむのであって、誰でも同じ味でなければならないというものではないし、yty45さんがこの場でその上下を評価しているわけでもありませんよね。
もちろん人によって好みは違うし、料理店だってあまりにまずいのばかり出してたらつぶれますよね。その逆できっちりファンがついていて流行っている店もある。
結局、そういうのとおんなじです。
本部が指示出すチェーンでも、店舗によって微妙に味変わるしね
要するに同じ劇団が同じ劇をやっても脚本家や監督が変わると味わいが違ってくるのと同じってことを言いたいんだろ。
ガラスの仮面での、北島マヤ姫川亜弓が交替で演じるヘレン・ケラーが好例だ
つまらないこと言わせてもらうと、オーケストラが同じでないと比較にならない
のでは?すみません。
まァね
でしたら毎年あってるウィーンの年越し生演奏を聴くといいと思います!
あれは指揮者は毎年変わりますけど演奏者のレベルは毎回変わらないし、曲も変わらなかったと思います!
恐らく一年越しに聴いても違いに気付くくらいわかりやすいと思います!
NHKで聴けるから、旅行代要らないよ
楽団とイメージを共有し、場合によっては最適の演奏者を選出して一つの曲を演奏するのが指揮者なので、その基準でいくと予備知識のない均一な演奏者を用意しその中から自由に団員を選出する…とかいう方法になるでしょうが現実的には無理だと思います。「どのオーケストラと演奏するか」を選ぶのも指揮者の大事な仕事です。
「どの指揮者と演奏するか」と楽団に選ばれるだけの実力とコネも指揮者の大事な仕事ですけどね





ウィーンのニューイヤーコンサートで思い出した事
「今年振ったリッカルド・ムーティ、いまでもやっぱ、原典主義者?」
RIGOLETTO - GIUSEPPE VERDI - 1994 ( MILAN )
ヴェルディの指示通りに演奏されたため、高音張り上げるのが慣例となってる箇所が盛り下がった
原典版を聴き慣れないせいかもだけど
Rigoletto Atto II - Pavarotti - Glossop - Russell - R.Raimondi -1971 Tokyo
以前ペタリした、NHKイタリア歌劇団による1971年の公演ね
第二幕を辿って聴きなはれ
題名役ピーター・グロソップ、♪悪魔め鬼めのG音を思いっ切り伸ばした上に
娘役ルイーズ・ラッセルとの幕切れでは、娘の高音に「ん?」てな表情を見せ
負けじとばかり、オケ鳴り終わる手前まで高音張り上げ続けたに感動するわ




ヴェルディ先生も舞台効果いうのか、オタマジャクシが全てじゃないよを認め、慣例を許したのだと思う




もっともム-ティは、大ッ嫌いでも、十分聴けるだけの演奏とあって許せる




許せないのはというより、楽団が指揮者を適当に操ってるわなとワロタ舞台が↓

Der Fliegende Holländer - Ozawa @ Wien (2004) - Pt 01/14
Seiji Ozawa conducting the Chor und Orchester der Wiener Staatsoper,
featuring Nina Stemme (Senta) & Franz Grundheber (Dutchman). Live Recording.

アタシがFMで聴いたのは、初日のもの
題名役は、フランツ・グルントヘーバーでなく、ファルク・シュトルックマンであった
ま、YouTube全部観なくたって、内容は想像つく



小澤さん、アナタは
2002年1月、日本人指揮者として初めてウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮
このコンサートは世界同時生中継され、CDの売り上げ枚数は100万枚を超えた
2002年シーズンにウィーン国立歌劇場音楽監督に就任

…それ絶対、エージェントの征爾力ならぬ政治力
及びウィーンの陰謀、ジャパンマネー狙いと見てるわよ
ニューイヤーはアタシが聴いた中では、史上サイテー級の無粋な指揮ぶりを示した
ウィンナワルツって、正確無比ならOKの優等生音楽じゃなく、「粋」が物言う
この点、墺太利出身カラヤンが、抜群のセンス持っていたと認める
1987年の、キャスリーン・バトルを登場させた♪春の声は解せぬものの
ま、アレも、いろんな政治絡みという方向で)
それに引き換え
2002年のニューイヤーCD
いまは亡き大阪ワルツ堂堂島店に於いても、毎日のパンみたいに売れまくった
日本人はどんだけ、耳が悪くて、箔に弱いのかと、つくづく呆れたもんだ
さまよえるオランダ人も当然期待してなかった
フタを開けたら、予想通り、「楽譜に正確ならエエもんやないやろ~」
演奏自体は高水準、それって
ウィーン国立歌劇場管弦楽団ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮者別に要らんわいうほど、ワーグナー演奏なんて朝飯前の猛者を意味するじゃん





…だいぶ抑えたものの(もっと面白い裏話を握ってるんだよ)、スッキリした




クラシックの指揮者と演奏家について、所詮は再生機械と評した者がいた
ジャズ好きと言えば意味わかるよね
再生機械といえば再生機械であるが、当記事題名を見れば、想像力と創造力が肝心要という事もね