mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

憂愁の旋律

昨日のニュース記事に
「今朝、東京・府中では観測史上1位となるー8.4℃を記録
また、茨城・日立ではー6.2℃と1月としての観測史上1位を更新しました」
府中と聞くと、三億円事件を連想する
およそ半世紀前に最凶寒波到来していれば、降雪が邪魔して、事件防げた?




氷点下まで来たら、もお迎え酒ならぬ迎え寒波とばかり、厳寒の国の音楽を聴きたくなる




中身は空やんの帝王カラヤンの取り柄:「有能な若年演奏家を見抜く目を持つ」
ヴァイオリンのアンネ・ゾフィー・ムターが代表格ね
上の映像は、1988年、ベルリン・フィルのジルヴェスターコンサートでのもの
旧ソ連生まれだが、2002年にイングランド国籍、2013年にイスラエル国籍も取得しているエフゲニー・キーシン
いまや46歳と堂々たる中年親父だが、弱冠17歳とそんな可愛い時代もあったのよ
緊張のあまり、御辞儀するというより二つ折りになるみたいな姿に、29年前死ぬほどワロタ
ホールの雰囲気に飲まれる気分でも?
映像見てわかるでしょけど、ベルリンのフィルハーモニーは、指揮台が主人公となる構造である
そんな造りに何でとは、そんなもん、自己顕示欲強い爺さんが理由に決まってるじゃん




1988年には、頭部に世界地図描いたゴルビー書記長のペレストロイカながらも、ソ連が存命していた
その30年前には、フルシチョフvsUSAの東西冷戦が熱い時代であった
そんな御時勢に開催されたのが、第1回チャイコフスキー国際コンクールであり

アメリカ合衆国ルイジアナ州生まれで、本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニア(Harvey Lavan Cliburn Jr.)。

6歳でテキサス州に家族とともに引っ越した。12歳で州のコンクールに優勝してヒューストン交響楽団と共演した。ロジーナ・レヴィーンに師事した後、1958年、23歳で世界的に権威のある第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。このコンクールは1957年10月のスプートニク1号打ち上げによる科学技術での勝利に続く芸術面でのソビエトの優越性を誇るために企画された。クライバーンのチャイコフスキー協奏曲第1番とラフマニノフ協奏曲第3番の演奏後はスタンディングオベーションが8分間も続いた。審査員一同は審査終了後、ニキータ・フルシチョフに向かって、アメリカ人に優勝させてもよいか、慎重に聞いた。フルシチョフは「彼が一番なのか?」と確認、「それならば賞を与えよ」と答えた。冷戦下のソ連のイベントに赴き優勝したことにより、一躍アメリカの国民的英雄となる。このコンクールに審査員として参加していたスヴャトスラフ・リヒテルは、クライバーンに満点の25点を、他の者すべてに0点をつけた。凱旋公演では、コンクール本選で指揮を担当したキリル・コンドラシンを帯同させている。この優勝を祝してヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールが1962年より開催されている。1966年には初来日も果たした。

この操作がなかった場合、クライバーンが優勝だったのかどうかは疑問視されているが、クライバーンの演奏が聴衆に大いに受けているのは録音で確認できる。

Wikipediaヴァン・クライバーンより引用 )

フルシチョフといえば
パリ訪問時、フレンチカンカンを観賞して、「不健全ですな」と言いつつ
綺麗なおねえさんたちが足を上げたり下げたりに、目尻下げただけありますな




オトコなんて東西問わずそんな生き物よとして




何回見ても、四半世紀後のアメリカ大統領、つまり最期は認知症レーガンに見えるクライバ-ン
典型的なアメリ中流白人という点が、日本では足引っ張ったんじゃないかい
この際だ、ドサクサ紛れに


mathichenさんにとって、クラシック永遠の男前以上の男前ね
言っときますけど、セスクに似てるから好きなわけじゃないですよ
セスクがヴェンゲルさんに誘拐され、否、見出され、倫敦へ連れて行かれる頃どころか
バルサ下部組織に入る1997年以前の遥かなる以前より大好きでございます
当たり前でしょ。セスクなんて、まだ尻青いわ。と言えるまでの、人生約半世紀ですからし
と最愛のセスク酷評出来るほど、お慕いしております

呪いといえば
「題名役のシリヤがむくれるくらい、ジークリンデ役のヘルガ・デルネシュが拍手喝采を受けました
トーマスは、とても素晴らしかったですよ。なのに、客席はツンとすまし、一般の評価は低かった
アメリカ人だから、欧州志向強い日本のクラシック愛好家には軽視されたんです」
当時お聴きになられた住田先生の感想を聞き、ニッポン国民の一部にはすでにかけてあります
日本放送協会受信料を問答無用で消費税17%のボッタクリされろぉ」てな内容ね

アメリカ人だから、欧州志向強い日本のクラシック愛好家には軽視された
そういった話、他にも聞いたわよ
指揮者で言うと、レナード・バーンスタイン
ニューヨーク・フィル率いての来日時、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団来日と同時期で
エストサイド物語作曲家じゃ、長い伝統誇る東ドイツにゃ勝てなんだとの事
器楽奏者だって、ま、似た感じだったんでしょ





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何を突如として?




Van Cliburn plays Rachmaninoff: Piano Concerto No 2 in C minor, Op 18

映画‘逢びき’で有名なラフマニノフのピアノ協奏曲第二番ね
難曲だが、出だしでいきなり、難局を迎える

多くのラフマニノフピアノ曲と同じく、ピアノの難曲として知られ、きわめて高度な演奏技巧が要求される。たとえば第一楽章冒頭の和音の連打部分において、ピアニストは一度に10度の間隔に手を広げることが要求されており、手の小さいピアニストの場合はこの和音塊をアルペッジョにして弾くことが通例となっている。

Wikipediaピアノ協奏曲第2番 [ラフマニノフ]より引用 )

チャイコフスキーの協奏曲冒頭も、小柄なピアニストだと、ヨッコラッショっと身体動かしたりする
とにかく、サラリと弾いて見せるピアニストは滅多にいない
『マルファン症候群 ― 天才音楽家の超絶技巧を生んだ病』
http://tocana.jp/2014/07/post_4412_entry.html
ラフマニノフもどうやらマルファン症候群と言われる
作曲家自身に合わせて曲を書いたならば、フツーの身体を持つ演奏家には骨折れるよね




そのフツーの身体を持つクライバーンの手というのが、親指と小指の間隔34cm
小さ過ぎてピアノ無理なアタシが、17cm
手が小さいと言っても小人じゃないから、両手合わせた分が、クライバーンの片手って驚くわ
無論、ラフマニノフ第一楽章冒頭の和音の連打部分を、作曲家の意図通り弾ける




YouTubeだけでもいろいろ拾える現代である
CD買うカネ惜しけりゃ、動画ジックリ聴いて、日本でも高い評価あげましょ