mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

Kyrie(哀れみの賛歌)

ネタ無いので、昨日のネタバラシしとくわ




【幻想レクイエム】という件名、↓をヒネッタ




Benjamin Britten Conductor
Meredith Davies Conductor
Heather Harper soprano
Thomas Hemsley baritone
Peter Pears tenor
Melos EnsembleBBC Symphony Chorus
BBC Symphony Orchestra
August 4, 1964

戦争レクイエム』(せんそうレクイエム、War Requiem)は、ベンジャミン・ブリテンの作曲したレクイエム(死者のためのミサ曲)である。ブリテンの代表作として筆頭に上げられる。戦後最大のレクイエムで彼の集大成とも言えるこの作品は、単に第二次世界大戦の犠牲者のためのレクイエムではなく、かと言って通常の教会音楽でもない。
ブリテンはこの曲のスコア冒頭に次のような、詩人ウィルフレッド・オーウェンの一節を書き記している。
私の主題は戦争であり、戦争の悲しみである。詩はその悲しみの中にある。詩人の為しうる全てとは、警告を与えることにある。
この文は「戦争レクイエム」の持つ性格を端的に現しているだけでなく、戦争を二度と繰り返さない為の作者の深い祈りがこもっている。ブリテン自身平和主義者第二次世界大戦の兵役を拒否してアメリに滞在したために、戦後イギリスに戻っても英国王室から「サー」の称号を貰えなかった唯一の著名なイギリスの作曲家である。

作曲の経緯

この曲は名目上、1962年5月に英国ウォリックシャーのコヴェントリーにある聖マイケル教会に新たに建立された大聖堂の献堂式を行うために、この教会の委嘱によって書かれた。この教会自体も第二次世界大戦中の1940年、ドイツ空軍の大空爆によって破壊されたのであった。この空爆はその後「空爆で破壊する」という意味を持つcoventrateという新しい動詞を生み出すほどの有名なもので、いわばイギリス国民にとって第二次世界大戦を象徴すると言っても過言ではないほど悲惨な体験の一つであった。ブリテンは1960年後半から、作曲中であった他作品を中止してこの作品に取り組み、1961年12月に完成させた。そして予定通り1962年5月30日の献堂式に初演された。

初演

ブリテンはこの大作の初演のソリストを、ソ連のソプラノ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ、イギリスのテノール、ピーター・ピアーズ、ドイツのバリトン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとすることを初めから考慮して作曲したといわれる[誰によって?]。第二次世界大戦ヨーロッパ戦線の中心的交戦国であり、戦争の恐怖と被害を身に沁みて体験したこれら三国の最も優秀な歌手を一堂に集めることで、真の和解を確認して平和への誓いを固めたいという願いからだった。折りしも1962年といえば冷戦の真っ只中であり、そうした時代に初演を迎えるからこそ意義のあった作品である。

しかしガリーナ・ヴィシネフスカヤは、夫であり作曲者の友人でもあったムスティスラフ・ロストロポーヴィチの急病とソ連当局の出国停止命令により渡英不可能となり、コヴェントリー聖マイケル教会における実際の初演(1962年5月30日)は次のメンバーで行われた。

    ・総指揮:メレディス・デイヴィス
    ・小管弦楽団指揮:作曲者
    ・ソリスト
        ヘザー・ハーパー(ソプラノ)
        ピーター・ピアーズ(テノール
        ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バス)
    ・管弦楽バーミンガム交響楽団
    ・小管弦楽:メロス・アンサンブル
    ・合唱:コヴェントリー祝祭合唱団
    ・児童合唱:ストラトフォード聖トリニティ教会児童合唱団

ヴィシネフスカヤの代役として出演したイギリスのソプラノ、ヘザー・ハーパーに与えられた猶予期間はわずか10日間だったが、彼女は見事に歌い上げ、初演は各方面から大絶賛を受けた。しかし、作曲者は曲の真価と偉大さに相応しくない不満な出来であったという。この曲は引き続いてロンドンのウェストミンスター寺院やロイヤル・アルバート・ホールで演奏されたが、完璧な演奏とブリテンが自負したのはその後ロンドンのキングズウェイ・ホールでロンドン交響楽団と演奏し、総指揮もブリテン自身が執った録音が最初だった。この録音にはヴィシネフスカヤも参加した。

Wikipedia戦争レクイエムより引用 )

歌詞は→http://koshiro56.la.coocan.jp/ubersetzung/war_requiem.html
ブリテンついでに→https://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/archive/2013/02/11




…駄洒落かよと言うてくれるな
汚部屋の中でホコリ被る↓を目にしたせいにしといて~





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1983年に録音された、サイモン・ラトル指揮バーミンガム交響楽団のLP盤よ
いまやベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者兼芸術監督にまで昇り詰めたラトル
その彼が、弱冠28歳の若造だった頃に残した貴重な記録である




サインが見えるって?





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ザ・シンフォニーホール 1階 B列 26番
1994年10月17日19時開演
S席 ¥15,000
PROGRAMME・C ↓
ロッシーニ:歌劇「絹のはしご」序曲
エルガー:ヴァイオリン協奏曲ロ短調op. 61(ヴァイオリン:ギドン・クレーメル
シュニトケマドリガルクレーメル独奏によるアンコール)
~休憩~
ブラームス交響曲第2番ニ長調op. 73
ラヴェルマ・メール・ロワよりフィナーレ(楽団のアンコール)

23年経った現在でも、楽屋口とサイン待ち行列を鮮明に記憶してるわ
アタシの前までスイスイ進んでたのに
戦争レクイエム、それと、ガーシュウィンの♪ポーギーとベスのLPを机に置いたら
ラトルが大爆笑して、隣でサインしてたクレーメルに見せ、録音に関する説明始めたんよ
ヴァイオリン弾くメガネザルは、ラトルの方を見ながら↑の画像に見えるサインした
男がシャベリで何が悪いとばかりのラトルだもんで、時間食って仕方ない
アタシの後ろに大勢待ってるだけに、こっちが気を遣うたがな




ところで




ラトルの指揮を初めて実演で聴いたのは、1991年の事
2月11日、建国記念日に、終演後のホール前で花束贈ったら、「アリガトゴザイマス♪」
四半世紀を過ぎた現在、感慨深いわ
仮に、いまの瞬間に、同じ場所での同じ場面でも…


1995年に発生した阪神・淡路大震災で、全壊したために建て替えられ、1999年に現在の建物でオープンした。商業ゾーン(B2F - 12F)と高さ116mのオフィス棟(13F - 22F)で構成される。建物の頂点には塔屋があり、震災犠牲者の鎮魂を祈る灯りのモニュメントとなっている。

こくさいホールは、優良ホール100選に選ばれている。

Wikipedia神戸国際会館より引用 )

…Qua resurget ex favilla(それは灰の中から蘇る日)を経ての、別世界だもん