mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

出発駅が、終着駅。つかの間の持つ永遠性

木枯らし1号吹き荒れる中、アタシの10月予算も木枯らしが吹き荒れる
粗食で弱って風邪引く前に毛布被って狸寝入りに限る
刺激無くボケそうなまで静かな汚部屋で静物画状態に




静物画?
ノエル・カワードの戯曲‘静物画’(Still Life)
急に、ラフマニノフのピアノ協奏曲が聴きたくなった
現在手持ちのCD無いため、↓ね


ストーリー (1945年映画)

1938年。中年の男女が駅の待合室にいるところにおしゃべりのドリーが割り込んでくる。2人は最後の別れの時だったのに邪魔をされる。帰りの汽車の中でもドリーは喋りっ放しだった。うんざりしながら帰宅すると、会社員の夫フレッドと2人の子供がローラの帰りを待っていた。ローラは「駅でめまいを起こしたので少し休む」といい、心配したフレッドは気分展開にクロスワードパズルを勧める。ローラはラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」のレコードを聴きながら、数週間の出来事を振り返っていた。「数週間前まで私は家庭がいきがいの普通の主婦だった。あの日から、私の世界が変わった」と回顧し始める。

主婦ローラは毎週木曜日に、近くのミルフォードという町へ汽車で出かけ、1週間分の買物をし、本屋で本を取替え、簡単な昼食をとり、午後は映画を観たりして夕方の汽車で帰宅するという平凡な結婚生活を送っている。ある日の夕方、目に異物が入ったのを一人の医師に取ってもらう。次の木曜日にはミルフォードの町で行き会う。その次の木曜日、ローラは食堂で再会。満員だったので同席になり、昼食を食べながら自己紹介をする。彼はアレック・ハーヴェイという開業医で、木曜日毎にミルフォード病院に勤めている友人スチーヴン・リンの代理でやって来るという。アレックはローラは「『枢機卿の恋』と『霧の中の恋』のどちらを観る?」と尋ね、映画館では『情熱の嵐』の予告編が流さる。互いに心を惹かれていき、アレックはまたぜひ会ってくれと頼む。しかし、次の木曜日にはアレックが来ず、落胆して汽車を待っていると、アレックが駆けつけて手術が手間どったという。次の木曜日、映画『情熱の嵐』がつまらず、植物園を散歩してボートハウスで二人は愛の告白をする。帰宅すると息子が頭にケガをしていて、ローラは自責の念にかられる。次の木曜日、郊外にドライヴして愛を語り、アレックに誘われるまま、リンのアパートに向かうと思いがけずリンが早く帰宅。ローラは屈辱から夜の町を歩き回り、警官に娼婦と間違えられそうになる。駅でアレックも妻子ある身の自責に耐えられず別れることにして、南アフリカヨハネスブルグの病院に勤務することに決めたと話す。

次の木曜日、別離の苦しさが胸を締めつけ、思いがつのるが、この時、知人ドリーに見つかる。アレックと別れの挨拶もできないまま、汽車が去っていく。ローラは急行列車に身投げしたい衝動に駆られるを思い留まる。愚直だが善良な会社員の夫フレッドは最近のローラの様子から何かを察していたらしいが、何もいわない。夫の胸の中で泣く。

Wikipedia逢びきより引用 )





ストーリー (1945年映画)でわかるように、再映画化が存在する
「1974年にリチャード・バートンソフィア・ローレンの主演でテレビ映画としてリメイクされている
(日本では1976年劇場公開)」
https://movie.walkerplus.com/mv11476/
https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=brief+encounter+1974&aq=-1&ai=Mz3zTEg3QuS1uNkkzEq2OA&ts=24231&ei=UTF-8&fr=mozff
これ、ダメ
ダメな理由として
ラフマニノフの持つ、恋愛ドラマに似合うロシアの憂愁が漂わず、しかも、色彩映画
・駅のある町が大き過ぎる
・郊外の家から週1回、社会相談所の相談員として奉仕するためとはいえ、外で働く主婦である




カラー撮影だと、現実的過ぎて、妙に生臭くなるでしょ
白と黒が交錯する名作を撮るのは、技術面は別にして、想像力と創造性に富まねばならんしね




旧作の舞台となる駅とて、ローラの最寄り駅より少し大きいだけで、ショボイ部類に入る
京王線多磨霊園駅から乗って飛田給駅前まで買い物行くようなもんかい?
弾けよう♪飛田給☆とて、特急臨時停車するFC東京の味スタ試合日以外、ショボイじゃん
すき家マクドなどで軽い昼食取れるも、豪勢なランチしようと思ったら、開発進む調布駅前に違いない
とにかくミルフォードは、郊外のそのまた郊外みたいな町であろう
一方、新作に登場するウィンチェスターは、アングロサクソン時代にイングランドの首都であった
中世から代表的な巡礼地として栄えて来て、ハンプシャー州の州都として、行政、文化の中心である
異国の大柄な主演女優に合わせたのか、例え外で働こうと地味な英国主婦には似合わない都会と思う




何故、主人公の女性が、外で働く主婦ではダメなのか?
「次の木曜日、映画『情熱の嵐』がつまらず、植物園を散歩してボートハウスで二人は愛の告白をする
帰宅すると息子が頭にケガをしていて、ローラは自責の念にかられる」
逢びきは全回、木曜日に行われるね
木曜日、息子の傍にいれば怪我防げたとしても
木曜日が、家庭の必需品を買い物すると同時に、専業主婦休養日の意味合い込める日を、家族は理解している
遠出しない月曜日や水曜日の話じゃなければ、母親が自分を責める必要無いんだよ
ところが、新作では
夫の何気ない一言に、アンナの背筋に冷たいものが走った
もう決して逢うまいと決心し、相談所も一週間休む事にした
しかし、もう逢わないと思えば思うほど、お互い情熱が疼き、その決心は崩れ去って、逢びきする
一週間に一度だけの逢瀬でも幸福なのは、当人同士だけ
夫に棄てられ、貧困と不幸に絶望した女性であるゲインズ夫人が、アンナの支えを頼って相談所に来ており
アンナの不在を、唯一の理解者にも見棄てられたと思い、命を絶とうとする事態を招いてしまった
…アクシデント起きるとも、犠牲者みたいなのが存在しない物語でこそ、大人同士の恋愛成立するんでしょが




ま、新作も旧作通り、お別れする分


ニューヨークを舞台に、互いに家庭のある男女の「純粋な」不倫の恋を描く
本作が日本で公開された1985年には
オマージュであるTBSドラマ‘金曜日の妻たちへIII 恋におちて’が放送され、高視聴率を獲得した
本作の映像も挿入され通勤電車のシーンが新幹線で再現されたりしている
 ドラマの主題歌♪恋におちて -Fall in love-』も大ヒットした

1945年のアメリカ版とも称されているを思えば、大英帝国は大人ですってば
だって
互いに家庭のある男女の「純粋な」不倫の恋を描く?
2ch定番、汚嫁と間男の寝言である「真実の愛」と同じに聞こえるわ!

ナニもやらんかて、お互いの家族巻き込んでる以上、インバイゲロウを弁えよ
メデタシメデタシに終わろうと、それが一生涯続くと思うなよっての
ちゃう?





2ch、Ahoo!知恵袋、BIGLOBE相談室、発言小町でなくたって
若いだけが取り柄のプリ子が後妻に収まるや、メシウマであった前嫁の良さを思い知り、復縁したいだの
落ち着いた大人の男性のはずが、しょおもね~甲斐性無しだったので幻滅しただの
「こんなはずじゃ…」といった不倫の末路が俗世間に多く見られるね
バカじゃねの一言に尽きる
逢っちゃダメだ、でも逢いたいのぉ、逢えない時間が頭のてっぺんから足の爪先まで燃え上がらせる
要するに、無責任でいられる非現実感が交感神経を刺激するわけよ
日常生活に追われる現実味が感じられないから、ブサ男とチャラ子がお互い王子様とお姫様に映る
いざ略奪婚生活始まれば、化けの皮剥がれまくるわなどにより、後悔先に立たずだっての
不倫中は放置しながら、会いたいと思った時は既に遅し、二度と子供に会わせて貰えない父親
復縁の望みを抱く小梨汚嫁が、元夫のチャイルドシート付自家用車(つまり、再婚済み)を見て項垂れる
そんなん惨めよね
「ウチは順調に行ってま~す♪☆」いうのもいるが、世間からは陰で笑われてるよ
プリ子や汚嫁は大概、品性下劣な醜い勝利感が、パーツは整ってる顔立ちまで醜くさせてるから




「堅実なエリート男性と婚約した女性が、婚約者の弟と親しくなった
チャラ男じゃないが、兄とは対照的な、夢に賭ける青年
彼は未来の兄嫁に好意を抱き、彼女も好意を抱く
しかし彼女は、一緒に旅に出ようという彼を振り切り、婚約者の元へ戻る」
40年前、不倫じゃないが、こんな内容の日本映画あった
キネマ旬報に、男性の評として
「彼女は歯を食いしばって、夢の誘惑を断ち切り、刺激少ないが穏やかな生活を選ぶのだ」
…ちょいと山田君、座布団10枚持って来て☆
評者の感想が、「大人の選択」だよ
池田理代子先生の大人向け漫画には
「職業婦人など尻軽言わないよう、大学在学中に見合いして婚約、卒業後出来るだけ早く嫁入りする娘
学友の繋がりにより、婚約後、彼氏が出来て、駆け落ちしたが
一生家族と会えない事に怖さを感じ、親に詫びを入れ、婚約者と結婚し、家庭の主婦に収まった
何年か経ったある日、功成り出世した元彼が妻と並んで紹介される雑誌を見て
『彼の隣にいるのは、自分であったかも』
しかし、自分には勇気が無く、そして、現在の生活が自分の選んだ道だからと
小姑と一緒に参加するバザーのため、化粧台の前に座り、家庭婦人の装いを始める」
婚約者に対して受け入れ難い何かが生まれ、一か八か、失敗を責任転嫁せずの覚悟持って
それなら、恋人を選び、冒険に出る道で構わない
少しでも臆病風が感じられる者は、他人の敷いたレールであろうと文句言わず従うべしという事ね




好いたハレタはあくまで男女関係の入口であり、人生は何十年続く思えば

【輝かしい夏がもたらす、穏やかな秋の実り】
https://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/34801493.html

不幸な経緯を辿るも、バッドとディーニーはそれぞれ、「正しい選択」をしたと思う
穏やかな人生を送るに相応しい「伴侶」を見つけられたからよ
大恋愛の相手が人生の伴侶となるカップルはもちろん多くいるものの
「結婚=生活を意識した段階で、恋愛は終わり、新たな段階を迎える」
以前書いたでしょ
本物セレブ、欧州の王侯貴族について調べてみろ
政略結婚の全てが暗黒の日々じゃなかろ
釣書で決めた見合いでもその気になれば、結婚後にラブラブの可能性だって持ってるんだよ
キョヌーとかATMとか形ある物より、穏やかな生活送れる人間性で判断しましょという事
見合いと自前で見つけるのいずれにせよ、猫被って、逃げられない状況で本性表すリスクあれど
草原の輝きを誇示してた頭部が不毛の大地になろうと左右されない要素で決めるのが一番よ

「平凡」を重んじる者が、人生の勝者なのよ
実際には得難くても、重んじる気持ちあれば、それで良し
世界の見え方が俗世間と異り過ぎて疲れるIQ150前後にわかるものを
IQ100前後とか、いくらでも人生選択持つのに無駄にしてるとかにわからないから
ヴァージンロードの意味が失せる、初婚同士がプライスレスとなる爛れ切った末世なのやら




「平凡を重んじる」
ようやっと、本題へと辿り着いた~(皆様もお疲れ様~)




平凡であったって、時には、ちょっとした人生の寄り道する事はある
既婚者が、他の異性に恋心抱く事もある
行動に移すか移さないか、移してもギリギリの一線守れるか
その点が、自他ともに穏やかな人生を守れるかの決め手であるが




1945年映画の逢びき、これは本当に平凡を重んじる平凡な人々を描く
恋人たちは平凡であるが故に、我欲、家族への責任感と、相反するものの狭間で戦い苦しむ
ローラの夫が妻の変化をどこまで捉えていたかに関わらず
「君はどこか遠くに行っていたね」、そして、お帰りと受け止めてくれた事も
心ここに存らずながらも家庭守る良妻賢母の姿を見て、人生の通り雨が降ったのかなと
夫もまた平凡を重んじるが故に、妻を改めて迎え入れたんでしょ




記事題名の「終着駅」、これは
ハリウッドの映画プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックが「逢びき」に匹敵するメロドラマを作ろうと
イタリア「ネオレアリズモ」の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督を招いて作り上げた恋愛映画の名作より
https://www.youtube.com/watch?v=tuu6bv-w7Dc
https://movie.walkerplus.com/mv3906/
つかの間の持つ永遠性というのは、どう言うか…
「真剣な思い出は、辛くても美しく、永遠に心の奥深く秘め続けられる」