mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

希望と栄光の国、汝を偉大たらしめたる神の名は「自由なる紳士と淑女」

今日、何か間違えてる気がした




昨日1本目記事のミス訂正をば

1980年代後半、指揮者コリン・デイヴィスだっけ、「時代遅れだ、PROMSで歌うの止めよ~」と提案した
実行したのは、1990年に指揮したマーク・エルダー
湾岸戦争の時期に何やってますねんが理由であった
しかし、降板させられた、もしくは、辞退した
その後、【我らが時代の聖譚曲】、9・11直後を除き、延々と歌い継がれてる
エルダーさん気の毒にも、聴衆の大不評を買ったの
本当に物騒な連中にとっては「非国民ども、罰当たりめ」、ノーテンキに歌うわけないでしょ
聴衆が何か不満抱えてようと、歌って発散させる事で、愛国心もどきのアホンダラへと走るを防げる
んで、1991年には無問題の完全復活

黄色背景黒太文字が、加筆修正部分よ




論より証拠

Rule Britannia - Last Night of the Proms 1990

Featuring:
Ann Murray - mezzo-soprano
Lesley Garrett - soprano
Håkan Hardenberger - trumpet

With the BBC Symphony Orchestra, BBC Singers and BBC Symphony Chorus

Conducted by Andrew Davis

Performed at the Royal Albert Hall, London on Saturday 15 September 1990




アン・マレーさん、忘れるなんてあんまり~と言わないで




なお、1990年PROMSで歌うの止めるかどうかの曲は、もう1曲ある
昨日敢えて触れなかったのは、今日のネタのためでは断じて無い




日本でもお馴染みのものね

"Land of Hope and Glory" from 'Last Night of the Proms 1990' (with Lyrics)

Sir Edward Elgar's "Pomp and Circumstance March No.1" known as "Land of Hope and Glory"
 from 'Last Night of the Proms 1990' (with Lyrics).
Sir Andrew Davis conducts BBC Symphony Orchestra and Chorus,
 in Royal Albert Hall, on the 15th September 1990.

『威風堂々(行進曲)』(Wikipedia)

『希望と栄光の国』(Wikipedia)
第二番

Chorus
Land of Hope and Glory,
Mother of the Free,
How shall we extol thee,
Who are born of thee?
Wider still and wider
Shall thy bounds be set;
God, who made thee mighty,
Make thee mightier yet
God, who made thee mighty,
Make thee mightier yet.

(合唱)
希望と栄光の国
其は自由の母よ
我らは汝をいかに称えようか?
我らを産みし汝を。
広大に、いっそう広大に
汝の土地はなるべし
汝を偉大たらしめし者たる神が
いっそう汝を偉大にしますように
汝を偉大たらしめし者たる神が
いっそう汝を偉大にしますように
歴史

1895年8月10日、最初の「プロムス」コンサートが、ロンドンのランガム・プレイスにあったクイーンズ・ホールで開催された。

プロムスを企画したロバート・ニューマンの考えは、「通常はクラシック音楽のコンサートを訪れないような人々も、チケットが安く、より親しみやすい雰囲気であれば魅力を感じてくれるのではないか」、というものだった。こうして当初は「Promenading(歩き回る)」だけでなく、飲食および喫煙がすべて自由とされた。

最終夜「Last Night of the Proms」

イギリス国内ではその模様はBBC2チャンネルで前半、BBC1チャンネルで後半部分が中継されるのが通例となっている。伝統的に最終夜はより軽く、くつろいだ傾向の構成で、初めにポピュラーなクラシックの曲目、続いて第2部の最後に一連の愛国的な曲である「ルール・ブリタニア」、ヒューバート・パリーの「ジェルサレム」(ウィリアム・ブレイクの詞による)、エドワード・エルガーの行進曲「威風堂々」第1番が演奏される。近年は「人生ひとりではない」も頻繁に演奏されている。

当夜のチケットの人気は高い。それ以外のコンサートの少なくとも5回のチケット購入を行うこと(「Five-Concert Rule」と呼ばれる)が最終夜のチケットを獲得するための条件となっている。そして「プロマー」たちは当日のより良い立ち位置を確保するため、早くから行列(しばしば徹夜)することとなり、こういったことが否が応でも雰囲気を盛り上げていく。加えて、素敵に着飾ることも恒例である。ディナー・ジャケットの者もあり、サッカーのイングランド代表チームのユニフォームを着用する者もあり、愛国的な語句を並べたTシャツを着用する者もあり、さらに国や地域などの旗や風船、クラッカーを持って入場することも自由である。 一連の愛国的な曲は、旗を持つ者はそれを振り、聴衆全員で歌うのが慣例となっている。特に「ルール・ブリタニア」と「希望と栄光の国」の歌詞がつけられた「威風堂々第1番」はサビの部分は必ずアンコールとなる。古くからの最終夜の定番の1つであるヘンリー・ウッドの「イギリスの海の歌による幻想曲(英語: Fantasia on British Sea Songs)」が演奏されるときは「水兵のホーンパイプ」の楽章も必ずアンコールされる。最後の最後に場内の全員が起立して「ゴッド・セーヴ・ザ・クイーン(キング)」を斉唱し、この時は楽団員も立ったまま演奏する。その後聴衆と舞台上の合唱団が隣の人と腕を組み、楽器なしで「Auld Lang Syne(蛍の光)」を歌う。

最近は一連の愛国的な曲や国歌の演奏時にヘンリーウッドの胸像を中心にイギリス国旗(ユニオン・フラッグ)(上半分)が大きく投影されるようになった。この時ソリストが歌唱する場合は、衣装のデザインを愛国的にしたり、愛国的なパフォーマンスを行うこともしばしばである。 例えば2008年のブリン・ターフェルウェールズ人)は袖にアイルランドスコットランドの旗、襟にイングランドの旗とイギリス国旗、胴にウェールズの旗(ア・ドライグ・ゴッホ)をあしらった衣装を着用、2009年のサラ・コノリー(英語: Sarah Connolly)はネルソン提督の衣装(レプリカ)を着用し、刀身がイギリス国旗になっているサーベルを抜いて振る、2011年のスーザン・ブロック(英語: Susan Bullock)は、ユニオン・フラッグと連合王国を構成する4ヵ国の国花を胸甲・盾・兜にあしらった女神の衣装に槍を持つ、といったものであった。イギリス人以外が歌唱する場合もイギリス国旗をあしらったり、イギリス国旗と歌唱者の祖国の国旗を組み合わせた衣装で歌うこともある。

当夜、ヘンリー・ウッドの胸像は「プロマー代表」の献ずる月桂冠で飾られ、またその代表はウッド卿の禿げ上がった額の汗を拭う仕草をする慣例である。 コンサートも終盤に差し掛かると、指揮者は時にユーモアを交えつつ音楽家と聴衆に感謝し、そのシーズン全体を貫くテーマを回顧するスピーチを述べる。また聴衆とともにヘンリー・ウッドを讃えること、プロマーに感謝の意を示すこと、プロムス期間中に集まった寄付の総額を報告すること、そして翌年のプロムス初日の日程の発表をすることも欠かさない。スピーチは1941年に起源がある。

会場のロイヤル・アルバート・ホールは毎回超満員となる。入りきれなかった人々およびロンドン近郊に居住していない人々に対する代償として、プロムス・イン・ザ・パークなる大画面テレビ中継が行われている。初めホールに隣接するハイド・パークのみで行われていたこの中継は、2005年よりベルファストグラスゴースウォンジーおよびマンチェスターの各都市に拡大されている(年により場所に異同がある)。各会場ともアルバート・ホールからのフィナーレ中継前の時間には独自のライブ・コンサートの催しがもたれている。これらの会場に集まる人々の総数は数万人に達する。

WikipediaBBCプロムスより引用 )





七つの海を支配する大英帝国を本気で信じる者なんて、PROMS最終夜には来ないよ
歌う事で「支配したいな~」の夢を叶えたり
愛国的な語句を並べたTシャツを着用したり
節度保って楽しむのよ
同じ島国でも、ハチ公が耳塞ぎそうな、何も考えてない「ニッポン!」

交通渋滞招く迷惑なガキどもには逆立ちしたって不可能な、大人の楽しみね





幕切れには
「聴衆と舞台上の合唱団が隣の人と腕を組み、楽器なしで『Auld Lang Syne(蛍の光)』を歌う」
友との来年の再会を約束する
日の丸を含む世界中の国旗が振り回されるね
万人に開かれる音楽祭という事
高いコンサートチケット買えない労働者階級にも、手の届く価格で良質な音楽に触れて貰う
グラインドボーン音楽祭が、その年の新演出オペラを、PROMSでセミステージ形式上演するけど
グラインドボーンといえば
「1934年に資産家のジョン・クリスティによって創設され、改装工事があった1993年を除いて毎年開かれている
クリスティ家が代々主催に当たり
音楽祭委員長の職はジョンから子のジョージ、孫のガスに受け継がれている」
早い話、チケットも階級も高く、ちょっとやそっとじゃ行けないため
PROMS出演は、カネの無い労働者階級や学生などにとって有り難い限りである
もしも平土間に余裕あれば、ウィーン・フィルを、ゴロ寝しながら聴けるしね

だからウィーン・フィルは、正確に言うと、ウィーン国立歌劇場
日本公演で儲けるべく、S席6万円もボッタクリするってか???





ここ10年近く、NHK-BS放送で観てない
どーせなら倫敦まで行きたいわ
ハイド・パ-クの屋台に日本のカレーライス置いてるらしいを確認したい
(手軽に食べられる日本屋台飯なら、焼きそばとリンゴ飴も置け)
大英帝国は夏でも、8月下旬となると夜は寒いらしいので、9月中旬だったら長袖着用しよう

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以前から言ってるでしょの論より証拠
日韓W杯準々決勝ブラジル戦まで、イングランド・サポーターだったとね
ジャージ買った2007年頃にはまだ、フーリガン名残り抜けなかった

永遠の優勝候補のくせに、何所が「サッカーの母国」だ
アタシのそれ以上の黒歴史を永遠に繰り返しとけ~