mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

人々の心の隙間に入って来る幻影の現れとしても(後篇)

前篇から続いた





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エクソシストの原著持ってる
「比較的易しい英語やから、読めるやろ」
10数年前、ワーグナー師匠格がくれたんだけどね
堺市立陵西中学校で使用した英語教科書を引っ張り出して復習する根気がもう無い
片手に原著、片手にGoogle翻訳やエキサイト先生に頼りながら、横文字解読する根気もな
日本の中学生レベルの英語力らしいブッシュJr. に難解であれば、頑張って対抗してみるけど~




http://www.movie-faq.com/main-80.html
原著スラスラ読める者でもさ、宗教的な部分が日本人に難解と見る
聖書を枕本に睡眠学習する成育環境に身を置かないと、完全に理解するのは無理と思う




その代わりと言っちゃ何ですが

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扉から見えるキンダーマン警部の顔も怖過ぎるじゃなくて
悪魔を自分に乗り移させるカラス神父の姿を、現代日本人に熟考して貰いたい




『「エクソシスト」について教えてください。』
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10136688850
悪魔は人々の心の隙間に入ってくる、という表現の一つがあのシーンです。
カラス神父の弱点はまさに母親への良心の呵責。愛し、気遣うからこそ、嫌がるのを承知で病院に入れてしまったという「良かれと思った行い」が結果としてそうなっていないことへの迷いとなっています。もしかすると彼自身わずかながら母を心配すると同時に病院に入れておけば「楽」という俗世的な感覚もあったと思います。だからこそなお一層母親に対し慙愧の念に堪えないと思い詰めています。
神父はそんな中での悪魔祓い。悪魔にとってそこを攻め自分への攻撃を弱めるために見せた幻影が母親への変身シーンです。




マリア・カラスという嘘のような本当の名前の老母
母は一人暮らししており、カラス神父は時折母の家を訪れては食事をしながら様子を見ていた
しかし、母が脳水腫に罹患してしまう
暴れて手がつけられなかったので施設(精神病院)に入れたという連絡を、叔父から受ける
急いで施設に行ってみると、そこにはベッドに括り付けられた母の姿があった
デミアン(カラス神父の名前)、どうして私をこんな目に遭わせるの?」
母の問いかけに、苦悩する息子
適切な治療を受けさせようと思えば、カラス神父には到底工面出来ない高額な費用が要る
しかも施設から出してやったら、間もなく自宅で孤独死してしまった
悪魔祓いの依頼を受けた時のカラス神父は信仰を半分捨て
愛と救済を説くはおろか、自分も神も信じられるような状態じゃなかった…




「もしかすると彼自身わずかながら母を心配すると同時に
病院に入れておけば『楽』という俗世的な感覚もあったと思います」
…知恵袋回答と合わせ、耳が痛い日本人多いんじゃないのかね
アタシとて他人の事をエラソーに言えないけどさ
兄弟姉妹に面倒丸投げする宇宙人、知ってるつもりの無病息災組こそ、悪魔に憑依されろと嫌味垂れたくなる




上のYouTube、1973年版でしょ
ディレクターズカット版は、サブリミナル効果を施されてる
カーテン揺れる窓、あれに、人の顔映るよね
DVD観直すのが一苦労なので確認してないものの、マリア・カラスさんの顔では?
だとすれば、カラス神父の弱点をこれでもか!と突いて来るパズズがククク笑いする顔が見えるよう
ま~全くの不信心者ならば即、悪魔に降参して、白旗揚げるであろう
憑依はされるも、不信心者など悪魔の活力剤とばかりグッチャグッチャに萎れる、あるいは、悪魔の仲間入り?




「俺に乗り移ってみろ!」
悪魔に乗り移させ、泣き叫ぶリーガンの首を絞める衝動を振り切り、窓に突っ込んで階段から転落する
窓に映る顔が母なら、自己犠牲を払う行為により、母を殺したに等しいという罪悪感に打ち勝つわけだ
ダイアー神父:「告白するか?」
無言で手を握り返すカラス神父
ダイアー神父:「汝、神に背きし過去の罪を全て悔いるか?」
もう一度無言で手を握り返すカラス神父
ダイアー神父:「汝に放免を、父と子と聖霊の名に於いて」
涙ながらに懺悔の問いに対して握り返すその手は信仰を取り戻して力強い
死を以て、罪を赦され、救済される
…ホント、地球人の姿に憑依した宇宙人、想像力欠如した無病息災組という悪魔に見習わせたいわ
信仰を失いかけていたその時に、悪魔の存在を通して神を見出そうとしたカラス神父
同じ悪魔なら、パズズの方が人間に役立ってるじゃん




「私は、身体も心も衰弱した認知症の母親と一緒に暮らしているが
今になってこの作品の本当に訴えたかった事がようやくわかった
これはさすがに20歳そこそこの若い時分に鑑賞しても理解出来るわけがない
公開当時、私は映画『エクソシスト』の表層の恐怖描写にばかり気を取られ
作品が抱える奥深い内容を透視出来なかったのだ
神と悪魔の戦いよりも、カラス神父という一個人の内部葛藤を通して人間の生き方を問いかけたのが
エクソシスト』という映画であり、あらためて傑作だと思った」




上段、息子介護人だろうね、とある外部ブログに見られる
亀の甲より年の功、本物の大人にならなけりゃ理解不能な世界ってあるのよね
…17年前にアタシが見た、茶髪金髪どもとて、もう中年の域に入るが、相変わらず死霊の盆踊り
悪魔の毒々モンスターより、介護人の毒吐きブログがまだしも人間らしいから
少しでも成長という神の御加護を必勝祈願しといてやるわ




(余談)

ダイアー神父を演じたウィリアム・オマリーは、本物の神父様
ド素人にしては演技巧かったね
イケメンだしね、ハリウッドから本格的に勧誘されたそうよ
悪魔の誘惑に打ち勝って何より
他にも本物の神父様出演してるけど、大役と勘違いしたトホホとは対照的ね




ついでに
スタンリー・キューブリックが本作の監督を熱望したが、スタジオ側は撮影に時間がかかる事を危惧し、拒絶」
…監督が悪魔みたいなもんやろぉ
そりゃ、キューブリック版を観てみたかった気はする
シャイニングのジャック・ニコルソン以上に怖かったら、一生立ち直れないながら
てか、カラス神父を希望したニコルソンが起用されてれば、どんだけ悪魔な生臭坊主に映る!?