mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

バルセロナの地上から、運命と死の戯れの新たな一頁が開かれた

記事題名前半、2009/8/10(月) 午後 3:51【バルセロナの上空から】をヒネった





イニエスタへの感謝の拍手

アンドレス・イニエスタは生涯このダービーを忘れることはないだろう。首位対4位のダービーマッチ。予想に違わず、ゲームは非常に熱い雰囲気の中で繰り広げられた。しかしバルサへと向けられたエスパニョールファンの敵対心が、感謝と尊敬に変化する瞬間が2度あった。それらはいずれも、イニエスタへと寄せられたものだった。

イニエスタコール】
かつてエスパニョールの本拠地において、大拍手を受けたバルサ選手は存在していない。だがそれが、この土曜日には起こった。しかも2回だ。まず最初はキックオフ前、場内アナウンスがバルサ選手の名を読み上げ、「8番、イニエスタ」で止まった瞬間である。
それまで口笛を鳴らしていた観客たちはその時、一斉に拍手を送りイニエスタへの敬意を表す。盛大な拍手と彼の名を呼ぶ声はおよそ15秒間、コルネージャに響き渡ることとなった。そして次の選手が告げられると、魔法の時間は終了。再び場内には激しい口笛に包まれた。

【1-5での拍手】
2度目の大拍手はゲーム終盤、グアルディオライニエスタの交代を告げた時だ。スコアは彼らにとってきついものだったにもかかわらず(1-5)、エスパニョールファンは再びイニエスタに対し、感謝の気持ちを表した。7月11日、ワールドカップ決勝ゴールを、今は亡きキャプテン、ダニ・ハルケへと捧げたイニエスタへの感謝を表す盛大なる拍手。ファンばかりではない。プジョルやチャビ、バルデスら多くの選手たちもまた、イニエスタを称えていた。素晴らしい光景だった。

【贈呈されたシャツ】
イニエスタは去る11月11日、ワールドカップ勝戦からちょうど4ヵ月後となるこの日、決勝ゴール後に全世界が目撃したあのメッセージ入りシャツをエスパニョールへと贈呈している。この土曜日の拍手は、イニエスタのこの振る舞いに対するエスパニョールファンからの感謝も込められている。

バルセロナ公式サイト日本語版より )
アタシの息子になれそうな若さで、オメデタ中の彼女を残して仆れたダニエル・ハルケ
アンドレス・イニエスタが、得点決める絶対保証無いのに、オランイェ倒す自信満々か、用意イイコトよ
「ダニ・ハルケ、いつも一緒だ!」
南アフリカW杯決勝ゴールを、親友に捧げた
表彰台に登るスペイン代表のうち、セルヒオ・ラモスも、優勝を親友に捧げた
セビージャ下部組織時代から一緒にプレーしたアントニオ・プエルタ
彼の写真をプリントしたTシャツを着用し、親友と共に優勝を分かち合った




他者への慈悲を行動で示す本物の大人である
どちら様も人間出来てなきゃ、簡単に出来そうで意外と出来ないよ
口当たりの良い言葉かけた後には、満腹中枢満たす自由やカネ持つ、クソ似非中流日本人には不可能な話






希望叶って喜望峰の上空と地上で歓喜を分かち合う瞬間
ジュール・リメ杯の分配は出来ないけど、地上組が替わりばんこに掲げ、天上組に見せりゃイイ




早いもので、7年の時が流れた
バルセロナ方面を見ると、数日前のニュースであるが
イメージ 1
https://www.facebook.com/fcbarcelona/videos/10155864505539305/?hc_ref=ARSWJjfGi_B5Ex0-BB8m-TcTQASXH2ErbcRWiNmjPh45KC3kQ5FVdQvRkExyB0jc080&pnref=story

墜落事故のシャペコエンセバルサと対戦、奇跡的生存選手も復帰

2017年08月08日 12:02 

 【8月8日 AFP】サッカー第52回ジョアン・ガンペール杯(52nd Joan Gamper Trophy)が7日に行われ、昨年11月の航空機墜落事故で選手19人と関係者24人を失ったカンピオナート・ブラジレイロブラジル全国選手権)1部のシャペコエンセ(Chapecoense)が、スペイン1部リーグのFCバルセロナFC Barcelona)と対戦した。

 試合は0-5で敗れたシャペコエンセだったが、バルセロナの本拠地カンプ・ノウ(Camp Nou)で行われた一戦では、事故で生き残った3選手の一人であるアラン・ルシェウ(Alan Ruschel)がキャプテンマークを巻いてピッチに復帰した。

 シャペコエンセのメンバーを乗せた航空機は昨年11月、アトレティコ・ナシオナル(Atletico Nacional)とのコパ・スダメリカーナ(2016 Copa Sudamericana)決勝へ向かう途中、コロンビアの山岳地帯で墜落。計71人が命を落とした。

 ルシェウと共に奇跡的に助かったジャクソン・フォルマン(Jakson Follmann)とサンピエル・ネト(Helio Hermito Zampier Neto)はこの日、6万5000人の観客が集まったスタジアムでキックオフを行うと、涙を抑えきれなかった。

 ルシェウはスペインのスポーツ紙マルカ(Marca)に対し「再びプレーできるようになり喜びでいっぱいだ」、「私は世界で最も幸せな人間の一人だ。考えられないような生活を送っているのだからね」と語った。

 試合終了後には、この日マッチアップしたリオネル・メッシ(Lionel Messi)とユニホームの交換も果たしたルシェウはまた「一度も想像しなかったようなスタジアムで、バルセロナと対戦するためにスペインにいるなんて、自分は幸運だと思う」と続けた。(c)AFP

http://www.afpbb.com/articles/-/3138505
ヤフコメ民を追加すると

世界一のクラブと記念とはいえ試合できたことで少しは傷も癒えただろう。
精神的に立ち上がって、プレーする勇気をもらった。必ず、立ち上がってくれ。応援する
精神的なショックももにすごかっただろうし、あの事故からよくサッカー選手として復帰できましたね。こういうニュースも大きく取り上げて欲しい。
71の星と共に再びピッチに立った3選手の、サッカーを愛する強い心に胸を打たれる。
(GKのフォルマン選手は現在義足での復帰を目指しているとか…)

『どんな人生でも、僕は生きる』と語った、シャペコエンセ前主将クレーベルの想いと共に。





死者の家から~運命と物語の始まり~】
http://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/34443095.html

「何事も計画性大事ながら、シナリオ通り進まない事も計画に入れる」
「親は無事でも、ジジババ抱える者は常に、自分自身の危険について真剣に考えろ」
まさか新幹線で、頭沸いた爺さんがなんて、そりゃフツー誰も想像しないけど
不特定多数の乗客いるんだから、17億分の一確率でも、大惨事に見舞われる可能性は誰しも持つ
自宅にいたって、倒れて昇天する時は呆気なく逝くものよ
一歩外に出たら、全てが危険と見ていい
全てが危険の前提で、優先順位をつけ、何を極力回避するか見極める眼力が鍵よ
「他人のせいでトラブル」、それ言うなら、介護もある意味、他人のトラブル尻拭いだってのによ
世界観が一転するなど、過去とは全く異なる自分が存在するからよ

執念深いため、何度でも、ボケるまで繰り返しお説教しとく




それでもフットボール愛は続く
生還選手たちにとって、現役続ける事が、お星様となったチームメートの無念を晴らす術なんだろね
天上組が地上組の守護天使を努めてくれよう




【運命と死の戯れを乗り越え、新しい物語のキックオフ】
https://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/34489996.html

>>ふうちゃんP4さん
地上の乗り物にも言えますが、自然災害以外、避けられないミスを含め人間が原因と言えます
飛行機は1機墜落するだけで甚大な被害出る事が怖い…

ベルカンプの飛行機嫌い、あれは、アメリカW杯帰りの便が原因とか
大砲チームのオランダでの試合に、他の砲手より先に、自家用車と船で移動したなど
飛行機でどんだけ恐ろしい目に遭遇したのやら

大竹しのぶの娘IMALUのいまるは、本名です
母親は「今を生きる」から、父親の明石家さんまは「生きてるだけで丸儲け」から命名しました
さんまは、大阪MBSラジオのレギュラー出演のため、伊丹行きの日航機に搭乗予定が
直前の仕事である‘俺たちひょうきん族’収録が早目に終わり
1便早い全日空の便に振り替えたため、日本航空123便墜落事故を逃れたんです
「本当ならばあの事故で亡くなっていたのかもしれない」
ホンマ、生きてるだけ丸儲けやな、ゼータク言われへんわと思いますよ

帯同しなかったシャペコエンセ選手が引退を表明したそうです
生きてる者も死んだに等しい心境はあるでしょうね




お花畑に暮らす世俗はホント、生きてるだけで丸儲けに感謝を学べよ
頭悪いから、昨年、暦通り休める者が、三連休作りたいけど、1日前倒しの11日に「山の日」設けたんだけどね
今年は連休だと浮かれてやがるとすれば、盆で帰省したご先祖様に「一族の恥晒しがッ」と呪われとけ




日航機墜落事故から32年 遺族らによる灯籠流し(17/08/12)
日航機墜落事故 JAL123便 1985年
「以前どなたかがアップされてましたが最近見掛けなくなってしまったので
最初から最後まで通して視たい方用に」
「今年は三十三回忌の年ですね」




「全国どころか地元岩手でも雫石事故の件についてはニュースにもなりません。
御巣鷹山の事はニュースになるのに。
やはり自衛隊が関与してるからか?」
「雫石はまだ話題になる方。
1966年の全日空羽田沖墜落とか松山墜落は完全に忘却されてますよ?
特に66年2月の全日空60便墜落は当時世界最悪の航空事故でした。
 羽田沖墜落で82年の『逆噴射』しか思い出せない人が多いのが現状ですし。」
「『慰霊の森』はなんで心霊スポットとしてオカルトの興味本位で取り上げられるのか、
事故のことを知れば知るほど分からなくなる。
御巣鷹の尾根』と同じようなものと思えば、軽々しく扱えるものではないだろうに。」




四十七回忌も兼ねとく




それと




【1963年8月17日】 藤田航空機、八丈島で墜落 19人が死亡
【1964年2月27日】 富士航空機墜落 大分で20人死亡
【1966年2月4日】 全日空機 羽田沖で墜落133人死亡
【1966年8月26日】 羽田で訓練飛行日航ジェット機炎上 5人が死亡
【1966年11月13日】 全日空機松山沖に墜落
1971年7月3日 ばんだい号墜落事故(日本の主な航空機事故まとめ
1982年日航機事故



 
…1971年7月だけで函館と雫石かよ、アタシ誕生した1966年の3回以上に(怖)
1966年2月と8月の動画コメントに
「この事故も発生当時は世界最悪の航空事故だった。
自分が知るかぎり、日本の航空事故が世界最悪の記録を更新したのは過去に三回。
1回目がこの全日空機羽田沖墜落事故、死者133人。
当時世界最悪。」
「昭和41年といえば羽田にまつわる飛行機事故が三度も起きてしまった年だけど、
これは忘れ去られたもうひとつの事故だったんだな。
しかもこの頃にはビートルズも羽田から来日している。
よくぞご無事でと今更ながら思いたくなるよ。」
「何事も計画性大事ながら、シナリオ通り進まない事も計画に入れる」
=どんだけ最先端技術とて、ミス、不可抗力は起き得るので、過信するな




現代は、検索していろいろ調べられるネット時代なのよね
ネットも無論、過信せず、情報の取捨選択する頭が求められるものの
若いから生まれる前の話だから何も知りませんが通用しない意味わかった?