mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

化け猫の季節真っ盛り

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ジジィ従兄夫婦が初盆供え物持って来てくれた
みっちゃん(ウチの鬼婆)に嫌われてるも、アタシゃそれほどじゃない
貰える物は有り難く頂戴しとく(水菓子なんて、高いので自分では買わない)





従兄爺さん:「おい、庭に、池なんてあったか?」






縁側に立つアタシの向かい側に、昔からあるわ
後に、丸っこいのから長方形に変わったが、昔は金魚泳いでた




従兄嫁婆さん:「あるがな」
爺さん:「そおやったかの?ワシ、餅つきしたわ」
アタシ:「餅つき?シラネが、いつの話??ジジババ仰山、家に出入りしてた頃???」
爺さん:「ワシが、12歳か13歳の頃や」

アンタ、昭和ヒトケタ生まれ、確か昭和6年
中坊いうたら、戦争中の話やんけ
アタシが現場知っとったら怖いわッ

ナンボ交通の便悪い地域に住んでるいうたかて
いつ徘徊おっ始めても不思議やない80何歳を考え
エエ加減、運転免許返納したらどお?




ま、本家と分家ともに、ボケ老人とは限りなく無縁に近い
ウチの総領娘と末妹、つまり祖母さんと大叔母さん、軽いウツ程度に留まり、頭は最期まで無事やった
ウチの数軒隣に住んでた元雑貨屋婆さん、祖母さんとは従兄妹である入り婿祖父さんの姪がボケとったものの
ボケても尚、株式の鉄人で儲けまくりした猛者やったしな
従兄爺さんもダイジョブやろ
祖母さんと血縁じゃなく、大叔母さんと血縁である、そんなアタシもダイジョブと少しは信じたいわ




昨日の夕方、これから1時間くらいで汚宅まで行くわと連絡来た
下階のクーラー役立たずのため、クソ暑い中、大アクビしながら待ってると





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青いトタン乗せてる下が、池ね
一昨年夏、雨吹き込んでボウフラ湧いてるのを見た便利屋さんが乗せてくれたものよ
ちなみに、物干し台と階段についても、従兄爺さんに記憶無しだった




ウチには昔から、ノラネコどもがよく入り込んで来る
アタシ棲息する本間三畳の窓開けると、屋根に寛いでた猫からフンガー(メ゚皿゚)された事あった
子供たちと母子団欒中?不法侵入しといて、生活保護不正受給ボッシー並みにド厚かましいわ!
「オラの仲間の声聞こえるのに、姿見えない、(゚Д゚≡゚Д゚)ドコドコ?(゚Д゚≡゚Д゚)ドコドコ?」
別のノラに、汚部屋内から猫の鳴き声を真似して、泣かせてやり、スッキリしたもんだ~




画像のノラネコ、最近やたら、入り込んで来る上に、網戸開けようと必死になる
庭に日陰部分多いを見て、涼を取るうち、「屋内の方が、もっと涼しい?」
食費と家賃納めてくれるんなら、毎日シャワー浴びる条件で、番猫に就職可能だけど、サテ?




…まさか、ジジィ、猫に化けて帰って来たんちゃうやろな
そんなん嫌だ~
「昔泣く泣く別れた彼女が亡くなり、彼氏の所へ白猫として現われ、ラブラブ暮らした」
と違って、夢も色気もヘッタクレも無いじゃ~ん




(おまけ)


東宝映画‘病院坂の首縊りの家’(1979年)
佐久間良子の母親で天井裏かに寝かされてる病気の婆さんを演じた
娘の回想場面での、若作り白塗り顔が、メッチャ怖かった
でもやっぱ、化け猫女優真っ盛り時代が一番怖いわ




猫映画でのエピソード

入江によると、戦後出演した時代劇と言えば「怪猫映画」で、五本しか撮っていないが、盆・正月の興行で大当たりしたせいもあり、大変イメージが強かったという。もともとは大映の永田雅一社長が「入江にやらせると面白い」と考えたものだというが、「いくら大当たりしても、そりゃあいやでした。みなさん三流映画というのですが、私は引き受けた以上、しっかりとやろう、手を抜いちゃいけない、とずいぶんと猫の研究をしました」といい、京都の有名な鮨屋に出かけ、猫の動作を覚えたり、「階段からポーンと飛び降りたとたんにもう歩いている」という動きをどう演技するか苦心したと語っている。

第一回目の『怪談佐賀屋敷』では、荒井良平監督から「そこで、すごみをだすのに、口の周りをペロッとなめるといい」と言われ、本番で紅ガラをなめたところ、含有成分の鉛、ヒ素の急性中毒を起こしてしまった。入江は喉の渇きを覚えて苦しみだし、注射をしながら最後の立ち回りをした後、とうとう倒れてしまった。医者から「もう一度なめていたら、つまり本番でNGをだしていると、あるいは死んでいたかもしれなかった」と言われ、「ゾッとしたものです」とこのときの様子を語っている。

またスゴミをだすため、夜中に池の鯉をつかまえ、パクッとかじるシーンがあった。「リアルさをだすためにホントにガブッとやった。とたんに鯉の内臓のニガリがプシューとでてきて何とも気持ちが悪くって、撮り終えると“早くバケツを頂戴”と叫んでしまったことも忘れられません」と述懐している。いろいろな因果話があったというが、「今となってはどれも懐かしい思い出です」と当時を振り返っている。

Wikipedia入江たか子より引用 )

没落したとはいえ華族の姫君にとか、大言壮語の永田ラッパくらいしか思いつかね?
本物の気品が備わってればこそゲテモノに終わらせないを見抜いてたとすれば尊敬するわ
「昭和の妖怪」、すなわちアベちゃん=平成のモノノケの祖父さんが盟友いうのが、怪談だけど~