mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

1BVBファンからバツケCEOへの公開返信

まず、昨日出来なかったネタをば(つまり、今日も連続更新)




 2017.5.31
バツケCEOから全BVBファンへの公開書簡
 
ハンス=ヨアヒム・バツケCEOが、ボルシア・ドルトムントのすべてのファンとクラブ会員宛てに公開書簡をしたため、「私は常に何よりもBVBのためを思ってきた」と書いた。
 
親愛なるクラブ会員の皆様およびボルシア・ドルトムントのファンの皆様
 
我々は言葉では説明のしにくい、数文ではとても振り返れないシーズンを終えたばかりです。我々に深い、深い影響を与えたシーズンでした。先週土曜日にベルリンで収めた最高の勝利によって最高潮に達したシーズンでしたが、説明が必要なことがいくつかあります。私が公開書簡で皆さんに直接語りかけるという、通常とらない手段を用いているのも、そのためです。
 
マッツ・フンメルスイルカイ・ギュンドアンヘンリク・ムヒタリアンの喪失。若く驚異的な才能を持つ大勢の選手たちのチームへの統合。経験豊富なチームの主力として、この激動期に我々のプランの中核となるはずだった数選手の長期離脱。こういった苦難だけでも、十分に大変なシーズンでした。冬季中断期間直後にRBライプツィヒを迎えたホームゲームでのサポーターの衝突と、それに続く南スタンドの閉鎖は、我々にとって衝撃的な出来事でした。そしてチームに対する卑怯な爆破攻撃で、我々はモナコとのチャンピオンズリーグの試合を迎えるまでの間に、想像をはるかに超える経験をしました。加害者の狙いは、チームバスの乗員を殺害することでした。ボルシア・ドルトムントの歴史上、最大の奇跡、なおかつ最大の贈り物は、その日誰ひとりとして命を落とさなかったことです。このことに対する我々の感謝は実存的なものであり、タイトルを取れたことに対する感謝とは、はなから比べられないものです。
 
こういった状況を鑑みると、我々の競技成績は一層際立って見えます。2016-17シーズン、BVBは欧州カップ戦への出場権を8年連続で獲得しました(うち6回はチャンピオンズリーグ出場権)。シーズンの終わりに、ブンデスリーガで3位を確保しました。最終節ではベルダー・ブレーメンを相手にスリルあふれる勝利を収めました。DFBポカールでは4年連続で決勝進出を決め、大会記録をつくりました。そしてベルリンからポカールを持ち帰り、日曜日の優勝パレードで皆さんにお見せしました。街道に並ぶ25万人もの人々と一緒に勝利を祝えるというのは、誇らしくもあり、ありがたくもあります。我々は鳥肌が立ちました。この体験ができたことについて、皆さんにお礼を言わせてください!
 
この苦難の時期を乗り越える上で我々を支えてくれたクラブの1人1人に感謝したいと思います。もちろん、感謝と最大のリスペクトが向かう先は、何と言っても選手たちです。彼らはこの状況に打ちのめされることなく、毎回前よりも強くなってはい上がってきました。このチームは歴史をつくりました。しかし、これは言うまでもないことですが、トーマス・トゥヘル監督と彼のコーチングスタッフにも感謝しています!
 
それにもかかわらずボルシア・ドルトムントとトーマス・トゥヘル監督がたもとを分かつことになったという事実は、一部のファンによる批判と理解不足を招いています。役員会、クラブ委員会、およびKGaAに責任を負う我々は、この状況を理解できます。トーマス・トゥヘル監督の下、BVBは2シーズンにわたり成功を収め、サッカーでの目標を達成しました。しかしながら、我々、つまりスポーツディレクターのミヒャエル・ツォルクと私は、この協力し合うべき期間に、コーチ陣と常に意見が一致していたわけではありませんでした。リーダーとしての責任という面では、問題になるのは結果だけではありません。その意味では、ボルシア・ドルトムントは他のスポーツクラブや企業と何ら違いはありません。信頼や敬意、チームとして意思疎通をし合い協力する能力、言葉の確かさ、帰属意識という基本的な性質、そして信頼性や忠実な姿勢も問題になってきます。
 
残念ながら、信頼に基づく望ましい協力関係の基礎を現在のコーチング体制が今後提供してくれると、我々はもはや信じることができませんでした。それゆえ、率直な話し合いと度重なる議論の末、コーチングスタッフとの協力関係を2016-17シーズンの終了時を越えて延長しないのが最良の方策であるという最終決定に至りました。この共同決定は、クラブの全委員会およびKGaAに全会一致で支持されました。現段階においても今後も、これ以上の説明を行うことはできず、行う予定もないということを、ご理解いただきたいと思います。私がこのクラブに在籍した10年以上の間、信頼を守ることが常にリーダーシップの根幹にありました。
 
私にとっては大事なことなのではっきりとさせておきたいのですが、これは決して、2人の人物がビールやカードゲームを共に楽しめるかどうかといったことを軸に導き出された結論ではありません。そのように物事を矮小に捉えてしまっては、無責任でダメな意思決定者となってしまいます。私はクラブの人事決定者とチームの監督が必ずしも親友同士でなければならないとは考えていません。我々、特に私とミヒャエル・ツォルクはユルゲン・クロップ前監督と非常に特別な人間関係を築きましたが、そのときの関係性を基準にしてトーマス・トゥヘル監督との協力関係を判断しようと考えたことはありませんし、将来のBVBの監督たちについてもそうするつもりはありません。
 
もう1つ、明確にしておきたいのは、ボルシア・ドルトムントの責任者としての立場から、私は常に何よりもBVBのためを思ってきた、ということです。それはミヒャエル・ツォルク、トーマス・トレース、ラインハルト・ラウバル会長、そして全委員会のメンバーも同じです。ボルシア・ドルトムントは経営破たんの一歩手前までいった2004-05シーズンの過ちから学んできました。我々は自分たちの行動を厳しく分析してきましたし、クラブより大事なものがあると考えている者も、ボルシア・ドルトムントの利益より個人的な虚栄心のほうが上だと考えている者も、ここにはいません。
 
親愛なるクラブ会員、そしてボルシア・ドルトムントのファンの皆様は、つらい日々を過ごしたこの数カ月の間も、無条件のサポートでクラブを支えてくださいました。そのことについて、ここに改めてお礼を申し上げます。最後にミヒャエル・ツォルクと私、そしてボルシア・ドルトムントでクラブとしての責任を負う立場にいるすべての人物に、これからも引き続き全幅の信頼を寄せてくださるようお願いいたします。皆様がここ数年、常にそうしてくださったように。
 
アキ・バツケより

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アラ、そーですか





混乱と低迷

チャンピオンズリーグの優勝は、その後のクラブの混乱と低迷の始まりでもあった。また、ドイツのクラブでは初めて株式上場を果たし、これによって大物選手獲得が可能になった。

1997-98シーズン、ヒッツフェルトは数人の主力の放出を含めたチームの刷新をクラブに望んでいたが、結局放出候補の主力選手は残留、ヒッツフェルトはスポーツディレクターに降格、新監督にネヴィオ・スカラが就任し、1997年にはトヨタカップも制したが、主力のザマーが選手生命に関わるほどの大怪我をしたことや大半の主力選手がピークを過ぎたこともチームの低迷に少なからず影響し、国内リーグでは低迷した。CLでは準々決勝でバイエルンとの対戦を制して準決勝へ進出したが、準決勝でレアル・マドリードに敗れる。

1998-99シーズン、ミヒャエル・スキッベが監督に就任したことで当時のクラブ史上最年少監督となった。ヨルク・ハインリヒをフィオレンティーナへ放出、クリスティアン・ネルリンガー、セルゲイ・バルバレス、デデ、トーマス・ヘスラーを獲得、シーズン途中よりイェンス・レーマンを獲得したが、既にチームは2チーム分のオーダーを組める陣容になっていた。これに起因する選手の不満が続出、シュテファン・クロスやシュテファン・フロイントなどはこれが原因でシーズン途中でチームを去っていった。最終的に4位に入りCL予備予選出場権を獲得。

1999-2000シーズン、クリスティアン・ヴェアンス、フレディ・ボビッチ、エヴァニウソン、ヴィクトル・イクペバを獲得。CL一次リーグ敗退、一次リーグ3位によりUEFAカップ戦に回るも敗退し、リーグ戦でも勝てなくなったことでスキッベを解任。ベルント・クラウスが監督に就任するも1勝も出来ずに途中で退任し、チームは2部降格の危機を迎えることになった。シーズン終盤には、監督にウド・ラテックが、ヘッドコーチにマティアス・ザマーがそれぞれ就任し、チームを立て直して1部残留に成功した。シーズン終了後にラテックは辞任した。

一瞬だけの栄光

2000-01シーズン、マティアス・ザマーが監督に就任。これによりザマーは、1998年に就任したミヒャエル・スキッベの最年少監督記録を更新し、クラブ史上最年少監督となった。監督に就任したザマーは、人員整理とチームの立て直しに着手する。長年チームの中心メンバーだったアンドレアス・メラーがライバルのシャルケ04へ移籍したが、サンデー・オリセーが加入、ヨルク・ハインリヒをフィオレンティーナから連れ戻すなどした。シーズン途中よりトマーシュ・ロシツキーが加入。チームの再建に成功し、3位というまずまずの成績で就任1年目を終了した。

2001-02シーズン、マルシオ・アモローゾ、ヤン・コレル、セバスティアン・ケールを補強して戦力アップが図られたことで、1995-96シーズン以来のリーグ優勝を果たす。CLでは一次リーグ敗退したが、一次リーグ3位によりUEFAカップに参戦して決勝戦へ進出したが、フェイエノールトに敗れて、UEFAカップウィナーズカップUEFAチャンピオンズリーグに続く3つ目の欧州のタイトルを逃した。この試合限りで現役引退したユルゲン・コーラーはレッドカードにより退場した。

2002-03シーズン、マルシオ・アモローゾが不振に陥ったことでチームは低調したが、CL予備予選出場権を獲得。CL一次リーグ最下位で敗退してリーグ戦に専念したバイエルンに連覇を阻まれた。

2003-04シーズン、守護神のイェンス・レーマンアーセナルへ放出。CL予備予選は敗退、リーグ戦でも低調なパフォーマンスによって、最終的にCL出場権を逃した。レーマンの放出に端を発した一連の出来事によって、クラブ経営が火の車であることが明るみになった。ザマーは監督を退任し古巣VfBシュトゥットガルトの監督に就任した。シーズン終了後シュテファン・ロイター、ハイコ・ヘルリッヒが現役引退。

経営危機

21世紀に入るとクラブの株式を上場する経営戦略が裏目に出て巨額の損失を抱え込み、2004-05シーズン途中には債務超過による破綻寸前にまで追い込まれ、€120,000,000と言われる借金を残し、ゲルト・ニーバウム会長、現場最高責任者のミヒャエル・マイヤーがクラブを去ることとなった。

2006年になってホームスタジアムの命名権売却に至る。各金融機関へ融資を頼み込むなどして財政は上向き、増資を株主総会で発表できる状態になった。その間、優秀な若手選手が下部組織から出てきており、それなりに新しい方向を見いだし始めている[独自研究? ]
しかし、低迷期にあっても数多くのサポーターがドルトムントに対する情熱を保ってスタジアムに通い、スタンドからの声援でドルトムントを後押しした。

再建へ

クラブの経営危機により前任者らは去ったが、クラブに残ったミヒャエル・ツォルクや、CEOに就任したハンス・ヨアヒム・ヴァツケらが中心となって経営再建を進めることになった。また、2008年に引退したラーシュ・リッケンがユースチームを担当し、チームは若手育成中心の体制となった。

クロップは、2008年にドルトムントの監督に就任して以降、「ゲーゲンプレッシング」と呼ばれる特徴的なプレッシングと選手の平均年齢が若いことを踏まえ、走力と速度を活かす戦術を創りあげ、その結果、7年間で3つのタイトル(ブンデス2度、ポカール1度)を得る結果をもたらすなど、チームの「復興」を印象づける功労者といえる存在だった。しかし、クラブの厳しい財政事情により、成長し活躍する選手を強豪チームに売却するというクラブの方針から、チームのやりくりには都度工夫を強いられた。

Wikipediaボルシア・ドルトムントより引用 )





ボルシア・ドルトムントは経営破たんの一歩手前までいった2004-05シーズンの過ちから学んできました。我々は自分たちの行動を厳しく分析してきましたし、クラブより大事なものがあると考えている者も、ボルシア・ドルトムントの利益より個人的な虚栄心のほうが上だと考えている者も、ここにはいません。」




弁護士上がり元会長への嫌味に思えるわ
ニーバウムが会長に就任した事でクラブに大きな変化が訪れた
海外のリーグへの適応に追われ疲弊したドイツ代表選手を次々に獲得して戦力を充実させ
バイエルン・ミュンヘンと毎年優勝争いを演じるようになる
UEFA杯にも出場して好成績だったかしら?
たかだか数年での成果である
20年前ヒッツフェルトがサポーターに激怒したように
本物の強豪や名門って数年で一丁出来上がりじゃない
勘違いしたら悪夢を見るよ
CL放映権料当て込んだクラブ運営=CL出場当たり前じゃん…アホかの一言に尽きる
2004-2005の一時、「FCドルトムント」に改名?みたいな状況まで追い込まれるほどだった
ボンクラの後始末は本当参ったでしょね
…クロップも、クラブの方針が生んだ後始末に本当参ったでしょね




「私にとっては大事なことなのではっきりとさせておきたいのですが、これは決して、2人の人物がビールやカードゲームを共に楽しめるかどうかといったことを軸に導き出された結論ではありません。そのように物事を矮小に捉えてしまっては、無責任でダメな意思決定者となってしまいます。私はクラブの人事決定者とチームの監督が必ずしも親友同士でなければならないとは考えていません。我々、特に私とミヒャエル・ツォルクはユルゲン・クロップ前監督と非常に特別な人間関係を築きましたが、そのときの関係性を基準にしてトーマス・トゥヘル監督との協力関係を判断しようと考えたことはありませんし、将来のBVBの監督たちについてもそうするつもりはありません。」




トゥヘルだろうが、お次の監督だろうが、俗世間は、クロップ時代の成果と比較しちゃう
ついつい比較したくなるくらい、再建に成功収めたいうこっちゃ
クロップの亡霊退治に成功まで、何年要するでしょか

バツケCEO:「次のタイトルがまた5年後とはならないように」
ま、気長に頑張って~




取り敢えず

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埼玉の赤組を泣かせてよ
ロイスは十字靭帯の部分断裂
これ以上、泣かされたくないわ