mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

有名無実の冠

先週土曜日、ヴィッセル神戸vsFC東京まで飛んだ
地下鉄三宮・花時計駅近くの喫茶店内で、乳母様と、東ドイツの話が出た




欧州最大!ドイツ3部のフラッグが凄い
2015/11/01 17:00

『whoateallthepies』は「ドイツ3部リーグに所属しているディナモ・ドレスデンのサポーターは、欧州最大規模のフラッグをお披露目した」と報じた。

旧東ドイツの古豪として知られるディナモ・ドレスデン。現在は3部リーグで戦っているものの、熱狂的なファンに支えられていることで有名であり、2万人を超える観客が詰めかける。

本拠地スタディオン・ドレスデンは3万2000人以上を収容する大きな会場であるが、素晴らしい雰囲気に包まれるとして高い評価が与えられている。

そのサポーター達が土曜日に行われたマクデブルク戦で見せたのは、なんと合わせて幅450メートルという超巨大フラッグ!

サポーターの発表によれば、これは欧州最大のサイズであるとのことだ。

使用されている糸の全長はなんと70キロメートル。制作に必要だった金額は2万5000ユーロ(およそ341万円)であったという。

https://qoly.jp/2015/11/01/dynamo-dresdens-supporters-performed-big-flags
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現在は、2部のようね




ドレスデンには、1898年に創設されたドレスナーSCがあり、ドイツの強豪クラブとして市民に愛されていた
しかし、第二次世界大戦後に共産党政権が成立すると、スポーツにまで国家の厳しい統制下に置かれ
レスナーSC(SCフリードリヒシュタットと改称)は1950年に解散させられた
この後、ドレスデンに出来たクラブが、ディナモ・ドレスデン
ディナモ」とは、国家秘密警察に関連したスポーツクラブに冠されたクラブ名である
各地から17名の強豪選手が集められ、1953年にDDRオーバーリーガ(東ドイツ1部リーグ)で初優勝を果たした




東ドイツのクラブは、国家の統制下に置かれていた
言い換えれば、国家の名を借りて、高級官僚がクラブを私物化する事が出来た
ディナモ・ドレスデンの成功に不満を抱いたのが、国家保安省の中心人物エーリッヒ・ミールケであり
ベルリンに強豪クラブを設けたいとの私情から
ディナモ・ドレスデンのレギュラー格の選手をベルリンへと連れ去り
こうしてディナモ・ベルリンが成立し、ディナモ・ドレスデンは3部リーグにまで降格した




紆余曲折を経て、ディナモ・ドレスデンは1970年代に全盛期を迎えるまでに復活する
しかし、1980年代、ベルリンの不振に不満をもった秘密警察の要人が、更なるディナモ・ベルリンの強化を図った
審判までが国家権力の恐怖に怯え、レッドカードやPKの判定でベルリンの優勝に貢献し
こうした中、ディナモ・ドレスデンは万年2位の地位にあった




東西ドイツの統一に伴い、DDRオーバーリーガの最終年2位だったディナモ・ドレスデン
ブンデスリーガ1部へと編入された(1位と2位のみがブンデスリーガ1部へ編入された)
資本主義原理で動く旧西ドイツの各クラブは、旧東ドイツの優秀な選手を次々と引き抜き
VfBシュトゥットガルト移籍したマティアス・ザマー
バイヤー・レヴァークーゼン移籍したウルフ・キルステン(ちなみに、彼は、16歳にして諜報活動を命じられた)
ディナモ・ドレスデンも痛手を被った
それでも、ディナモ・ドレスデンは4シーズンにわたって1部に留まり続けたものの…




ベルリンの壁が崩壊した際の、東西ドイツの市民が抱き合う姿は、一瞬の熱狂でしかなく
旧東ドイツのクラブに差別的な野次が飛ばされたり、確執が生まれる
ディナモ・ドレスデンは資本主義的な経営のノウハウをまだ心得ていなかったため
優秀な選手を引き抜かれた際の移籍金もすぐに底を尽き、クラブは巨額の負債を抱える事になった
1995年、遂にブンデスリーガ1部の最下位となり
経営問題からブンデスリーガ在籍のためのライセンスを剥奪され
2部ではなくレギオナルリーガ(3部)への降格を命じられた
2000年以降も、3部と2部を行ったり来たりに近い
しかしながら、旧東ドイツ時代以来の熱心なサポーターは健在であり
如何なる政治的変動や在籍リーグにも関わらず、今も街のクラブに熱心な声援を送っている




…熱心過ぎて、10年ちょい前には、アウェイ・サポーターに大怪我させた事あったよ
ザンクト・パウリ御一行様バスに投石だの、ドレスデン市中を追いかけ回すだの、1人が味覚失うほど凹られた
その後、ちっとは大人しくなったのかいね




同じ頃、ディナモ・ベルリンはというと
ベルリナーFCディナモとして生まれ変わったクラブは2004年のVerbandsliga(5部リーグに相当)で優勝し
オーバーリーガ(当時4部リーグに相当)に所属、以後、2007-08シーズンまでの4シーズン所属した
関西テレビ深夜番組で、旧東ドイツ地区サッカー取材した映像を観たら
東ドイツ時代は「フリードリッヒ・ヤーン・シュポルトパーク」(Friedrich Ludwig Jahn Sportpark)を使用していたが
ドイツ再統一後の経営難により使用料が支払えなくなり手放しており
ショボイ環境で、ザマー、ウェイン・ルーニーみたいな人相悪いスキンヘッドが大声援送っていた

DDRオーバーリーガ:10回
1979, 1980, 1981, 1982, 1983, 1984, 1985, 1986, 1987, 1988
秘密警察・諜報機関を管轄する国家保安大臣の庇護を受ける「いかさまマイスター」
東ドイツが現在もあるとして、ミールケが退いたら、後任者の御意に召すか次第でしょ
何かと苦戦強いられるような実力というかクラブ力というか?





スタジアムは良くなった模様
2013-14シーズンにオーバーリーガ優勝を果たし、4部相当のレギオナルリーガ・ノルトスト(北東部)に昇格も




東ドイツ時代の映像を探すと


アラま驚いた…チャンピオンズカップ準々決勝まで進出して、ようやっと負けちゃってる




相手が、ノッティンガム・フォレスト…いかさま野郎が、欧州制覇に貢献したワケか!
1978年、リーグ初優勝を果たしているノッティンガム・フォレスト
(これ以降2016年にレスター・シティが優勝するまでの38年間初優勝チームは無かった)
んで、1978-1979、1979-1980と、欧州連覇を飾ると来た
現在、どのカテゴリに所属?
Football League Championship、最上位であるプレミアリーグの一つ下のディヴィジョンである
また、フットボールリーグの中では、最上位に位置している(実質2部相当)
…国内に於いても、ディナモ以上の位置にいるようで良かったね




世界中、国際大会無縁は無論、国内でもパッとしないフットボールクラブが圧倒的大多数を占める
頂上まで登り詰めたって、落っこちる時は絵に描いたような没落っぷりを晒し、なかなか再浮上叶わない
前記事に登場する有名どころを基準にフットボールを考えたらイケマセンいうこっちゃ




カテゴリ違いの余談をば





ベートーヴェン唯一の歌劇フィデリオより「囚人の合唱」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%87%E3%83%AA%E3%82%AA




この歌劇をだね、アタシゃ10何年も前から、演出してみたいと願ってる
刑務所長ドン・ピツァロを東ドイツ国家保安大臣に見立てるのよ
囚人たちは、反ディナモ・ベルリン及び同類
東西に分かれていた時代、隠れ西ドイツ好き多かったからね
アタシと同年齢の東ドイツ男子中学生なんて、カミングアウトしたせいで、出世の道が絶たれたという
(カール=ハインツ・ルンメニゲ、元西ドイツ代表&現バイエルン・ミュンヘン代表取締役、責任取れ)




1990年夏のザルツブルク音楽祭フィデリオ新演出が登場したら、ま~普通の演出であった
時期的に東西ドイツ統一を扱えという声が聞かれたけど、無茶言いなさんな
オペラ上演準備に何年掛かると思ってるの?1年足らずに出来るわけねーじゃん!
ベルリンの壁崩壊を始めとする東欧革命についてジックリ考察する年月も必要とする
30年近く経つ21世紀の現代に、悪い面での時計の針を逆回しする時世柄に、打ってつけのテーマでは?