mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

陽の当たる場所への赤い迷路

暇なもんで、二本立て




すっかり忘れてた、今年の欧州CL決勝
ユーベvs白組マドリーが、日本時間6月4日午前3時45分キックオフですか
どっちも嫌いだけど、白組優勝だと現行大会初となる連覇を飾るのが腹立つから、ユーベ頑張っといて




UEFA日本語サイトを見ると

イメージ 1
リバプールが初の欧州制覇を果たしてから40年
2017年5月25日(木)

通算5回の欧州制覇を誇るリバプールが初めて欧州チャンピオンズカップを制したのは1977年5月25日。ローマで行われた決勝で、メンヘングラットバッハを相手にテリー・マクダーモット、トミー・スミス、フィル・ニールのゴールで勝利した。このときの優勝メンバーのその後をUEFA.comが探った。

前年に2度目のUEFAカップ制覇を成し遂げていたボブ・ペイズリー監督率いるリバプールは、その1年後の1977年、1972-73シーズンのUEFAカップ決勝で倒した相手、ボルシア・メンヘングラットバッハに3-1で再び勝利。今度は欧州チャンピオンズカップの優勝杯を手に入れた。イタリアの首都での決戦は拮抗した展開だった。
序盤にライナー・ボンホフのシュートがクロスバーをたたいたメンヘングラットバッハに対し、リバプールはテリー・マクダーモットのゴールで先制。メンヘングラットバッハアラン・シモンセンが決めて追いついたものの、トミー・スミスのゴールで再びリードを奪ったリバプールが、最後はフィル・ニールのPKゴールで優勝を確実にした。リバプールはスター選手だったケビン・キーガンが退団した翌年も王座を守り、最初の優勝がまぐれではなかったことを証明した。

1 スティーブ・ハイウェイ
政治学と経済学の学位を取ってからサッカーの道に入ったウインガーは、1977年の決勝では違うタイプの知性を見せた。まず相手守備陣を切り割くパスでマクダーモットの先制点をアシストすると、スミスの2点目に結びつくCKも蹴った。引退後はリバプールのアカデミー運営に携わり、ジェイミー・キャラガーロビー・ファウラースティーブン・ジェラードスティーブ・マクマナマンマイケル・オーウェンらを発掘した。

2 ジョーイ・ジョーンズ
「ピッチ上でのファンの1人に過ぎなかった」と話した北ウェールズ出身の左SBは、1975年にレクサムから、子供のころのあこがれだったリバプールに加入。ローマでの優勝により、欧州チャンピオンズカップを制した史上初のウェールズ人選手となった。しかしトレードマークの拳を握りしめるポーズは、その後に復帰したレクサムチェルシーハダースフィールドで有名になった。1992年に37歳で引退したあとは、レクサムにとどまり、若手の指導に当たった。

3 レイ・ケネディ
グラットバッハ戦でのリバプールの3点目は、ケネディへのファウルで得たPKをニールが沈めたものだった。元アーセナルの選手で、ペイズリー監督によってストライカーからスタイリッシュなMFにコンバートされたケネディは、1974年から1982年までアンフィールドで過ごした。しかし1984年にパーキンソン病と診断され、今はイングランド北東部で静かに暮らしている。

4 エムリン・ヒューズ
前線への果敢なダッシュから“クレイジー・ホース”の愛称を賜る。1977年の決勝ではCBを務めたものの、左SBでも中盤でもプレー可能だった。尽きることのないスタミナと精力的なプレーで、リバプールでは1967年から1979年まで公式戦665試合に出場。引退後はテレビの人気タレントとなったが、2004年に脳腫瘍により57歳でこの世を去った。

5 テリー・マクダーモット
ローマではリバプールに先制点をもたらしたマクダーモットだが、この試合のスターはキーガンだったと話している。「彼はドイツ代表だった経験豊富なベルティ・フォクツをズタズタに切り裂いていたからね。まるで電気ウナギのようだった。近づくと危険なんだ」。のちにニューカッスルで、リバプール時代のチームメートだったそのキーガンケニー・ダルグリッシュのアシスタントとなり、今は4部でプレーするブラックプールでアシスタントコーチを務めている。

6 ジミー・ケイス
リバプール生まれのタフなMFは、若いころからリバプールでの練習と電気技師としての修行を両立させていたが、最終的にはサッカーを選ぶことになる。レッズ(リバプールの愛称)には1973年から1981年まで在籍。キャリアの終盤はイングランド南部に移り、1996年の引退後もとどまって短期間だけブライトンの監督を務めた。「あの1977年の決勝は最高の戦いだったね。互いに攻め合い、多くの得点チャンスが生まれた」とのちに振り返っている。

7 フィル・ニール
1974年にノーサンプトン・タウンから加入した右SBのPKがグラットバッハにとどめを刺した。“ミスター・コンシステンシー(調和)”と呼ばれたニールは、リバプールでリーグ優勝を8回経験したほか、欧州チャンピオンズカップを2回、UEFAカップを1回、UEFAスーパーカップを1回制覇。1985年にリバプールを去ってボルトンで選手兼監督となり、その後コベントリー、カーディフマンチェスター・シティーを指揮したが、今は監督業を引退し、メディアで働いている。

8 レイ・クレメンス
1967年、ビル・シャンクリー監督に故郷のクラブ、スカンソープから引き抜かれたGK。プロキャリアで1000試合以上に出場し、リバプール(1967-81年)とトッテナム(1981-88年)で欧州のタイトルを手にした。1977年の決勝では、いくつか好セーブを披露。その後、長らく代表チームのGKコーチを務め、その豊富な経験で未来のイングランド守護神たちの指導に当たった。






mathichenさん誕生年である1966年カップウィナーズカップ決勝、持って来ないのがイイよね
初の欧州タイトル争奪戦に、BVBが勝利収めちゃった
アタシゃ0歳児時点で、半世紀後Wの悲喜劇に陥る決定ってか~




欧州頂上決戦での戴冠だけで、40年間に5回
一見、効率良い
実際には、10年足らずで4回、その次は世紀を跨いだ20年後と気の長い話である
1985年決勝、ユーベに勝利収めたとしても、ヘイゼルの悲劇による国際大会出場停止が続いた
処分が解けた後も、国際タイトルには手が届かない
BVBが欧州制覇した1996-1997まで、CLは国内王者のみ大会も関係している
リーグでは依然として上位の常連であり続けたが、優勝から遠ざかった
現在に至るまで1989-1990ディヴィジョン1制覇が最後のリーグ制覇であり、プレミアリーグ移行後は無し




前半だけ観たら優勝が冗談に思えるイスタンブールから、早くも12年
アタシ存命中、出来れば認知症発症する前に、もお一度くらい感動させて欲しいんですけど、無謀?
だって…




先日、バルサが、初の欧州制覇から25周年を祝った


チャンピオンズカップ最後の大会ね
クライフが指揮して、クーマンが得点決めて、シャツがオレンジ色で…オランイェに見えてしまうがな!
愚痴はさておき

国内タイトル
プリメーラ・ディビシオン:24回
1928-29, 1944-45, 1947-48, 1948-49, 1951-52, 1952-53, 1958-59, 1959-60, 1973-74, 1984-85, 1990-91, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1997-98, 1998-99, 2004-05, 2005-06, 2008-09, 2009-10, 2010-11, 2012-13, 2014-15, 2015-16
コパ・デル・レイ:28回
1909-10, 1911-12, 1912-13, 1919-20, 1921-22, 1924-25, 1925-26, 1927-28, 1941-42, 1950-51, 1951-52, 1952-53, 1956-57, 1958-59, 1962-63, 1967-68, 1970-71, 1977-78, 1980-81, 1982-83, 1987-88, 1989-90, 1996-97, 1997-98, 2008-09, 2011-12, 2014-15, 2015-16
スーペルコパ・デ・エスパーニャ:12回
1983, 1991, 1992, 1994, 1996, 2005, 2006, 2009, 2010, 2011, 2013, 2016
コパ・デ・ラ・リーガ:2回
1982–83, 1985–86

国内タイトル(カタルーニャ
コパ・カタルーニャ:6回
1990-91, 1992-93, 1999-00, 2003-04, 2004-05, 2006-07

国内タイトル(非公式大会)
コパ・エバ・ドゥアルテ:4回
1945, 1948, 1952, 1953

国際タイトル
スモールワールドカップ:1回
1957
FIFAクラブワールドカップ:3回
2009, 2011, 2015
ラテン・カップ:2回
1949, 1952
UEFAチャンピオンズリーグ:5回
1991-92, 2005-06, 2008-09, 2010-11, 2014-15
UEFAカップウィナーズカップ:4回
1978-79, 1981-82, 1988-89, 1996-97
UEFAスーパーカップ:5回
1992, 1997, 2009, 2011, 2015

国際タイトル(非公式大会)
インターシティーズ・フェアーズカップ:3回
1955-58, 1958-60, 1965-66

わかる?
チャンピオンズカップ始まったのは、1955-1956
バルサ初の決勝進出は、1960-1961
この時の勝者ベンフィカ、その翌年、白組マドリーも食っての連覇を飾り、さぞかし満腹でしょっての
敗者バルサはといえば、リーガ・エスパニョーラ制覇もなかなか叶わず
1985-1986欧州頂上決戦に至ったら、ステアウア・ブカレストに共産圏初(唯一)の優勝持ってかれる始末
FIFAクラブワールドカップ:3回
2009, 2011, 2015の前、2006年、インテルナシオナルに敗北したよね
(個人的には、その前年、リヴァプールサンパウロに…のため、負の連覇を喫した)
サンパウロいうたら、1992年トヨタカップ優勝だ…つまり、バルサが泣かされた
クラブ以上のクラブでさえ、初の世界制覇から10年経ってないんよ
バルサが凱歌揚げた2005-2006CL決勝、ヴェンゲルさんが泣いて当たり前(本音過ぎる)





だったら
Bayern v Dortmund: 2013 UEFA Champions League final highlights
16年ぶり2回目の決勝進出、負けたかて準優勝だし、いつまでもトラウマ引きずるな?
バルサが決勝進出して、セスクに泣かされたのであれば、不承不承ながら黙ってるわよ
極悪非道KYバイエルン王国なんて、この間、DFBポカール準決勝で片付けといたけどさ
(明朝、フランクフルトとの決勝にも勝利してやる!FAカップ決勝のヴェンゲルさんは、チェルシー倒せよぉ)




結局、何が言いたいかって?



一等賞獲得は何でも、経験者とて、至難の業いう事です
UEFAFIFAが絡めば、裏でゴソゴソ操作行い、民主主義=実力主義じゃないでしょう
100%そうとは申しませんがね
魑魅魍魎を退治出来るとすれば、図抜けた実力と少しの運が備わっているいう事と思われます

地区予選突破直後とか、本大会前とかに、マイク向けられ、お花畑な夢を語る
頭イタイので止して下さいよ、青いフナ侍大応援団の皆様方




リヴァプールに戻ると
CL予選プレーオフ突破なんて、義務ですよ
本大会グループステージ突破、最終節ギリギリで許す、絶対お願いします
来季、ヴェンゲルさん介護係として遊べないのが寂しい
指揮官の前職場がどっかで当たれば、もお嬉しいの何の、2015-2016ELの雪辱果たしてやる~
CLがダメでもさ、いい加減、悲願のプレミア制覇果たしてクレ

取り敢えず、それで満足するとしよう