mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

わかっちゃいるけどやめられない…けど





チョイと1杯の つもりで飲んで♪
いつのまにやら ハシゴ酒♪
気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝♪
これじゃ身体に いいわきゃないよ♪
わかっちゃいるけど やめられねぇ♪




歌っている本人は、下戸だった
両親、嫁、皆下戸だった
ある年の正月、チョイと試してみた結果、4人で徳利1本なのに、全員グ~タラ寝込んだという
「(酒に)お呼びでない?…お呼びでないね。こりゃまた失礼致しました!」
https://www.youtube.com/watch?v=omaWAZ7cY_U




「本当は責任感のカタマリのような人だったそうですね。」
「最近で言うところの『真面目にふざける』『真剣にバカをやる』をキッチリとやり遂げた人だったんですね。」




父の影響  

 植木等の父親である徹誠(てつじょう)は、かつて徹之助と名乗っており、若い頃はキリスト教徒であった。後に浄土真宗の一つである真宗大谷派常念寺の住職となる。たいへんな社会的正義感の持ち主で、被差別部落出身ではないが「自分は部落民ではないと思うことが、すでに相手を差別していることだ」と述べて、水平運動に参加した。治安維持法違反の罪に問われて何度となく投獄をされても、積極的に反差別と反戦を貫いて運動、戦後は日本共産党に入党し、60年安保のデモ隊にも参加するというような「行動する僧侶」だった。ただし父は「謹厳実直」なだけの人物ではなく、息子・等から見ると「支離滅裂」で、義太夫語りになろうとしたこともあり、「いわば蕩児でもあった」という。

自身の性格


 映画やドラマで演じた役柄の性格とまったく異なり、自他共に認めるたいへん真面目な性格で、中尾ミエが「毎日同じおかずでも不満を言わないくらい」と例えるほどであったという。『植木等デラックス』ではゲストのさだまさしが、「無責任男」を「植木さんが無理矢理お作りになったキャラクター」と述べたところ、植木は「そうなんだよ、世間はあれが地だと思っているんだよ」とニコニコしながら語っている。

   そんな真面目な性格であるから「スーダラ節」の楽譜をはじめて渡された時には、「この曲を歌うと自分の人生が変わってしまうのでは」と真剣に悩んだ。父親に相談すると「どんな歌なんだ?」というので植木はスーダラ節を歌ってみた。激しい正義感の持ち主の父の前で歌ったあまりにふざけた歌詞に激怒されると思いきや、父は「すばらしい!」と涙を流さんばかりに感動した。唖然とする等が理由を尋ねると、「この歌詞は我が浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の教えそのものだ。親鸞さまは90歳まで生きられて、あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけない、そういうことを最後までみんなやっちゃった。人類が生きている限り、このわかっちゃいるけどやめられないという生活はなくならない。これこそ親鸞聖人の教えなのだ。そういうものを人類の真理というんだ。上出来だ。がんばってこい!」と諭され、植木は歌うことをついに決意した。このエピソードは、植木が歌手として生きていく上での生涯の支えになったという。

   ただし、交友があった小林信彦による評伝『植木等藤山寛美』によると、あの独特の高笑いは「植木本来のモノ」であったという。また、生真面目ながらも独特の雰囲気があり、日常の座談も「無責任男とは別種のおかしさ」があったという。

   また、「貧乏人の倅」を自称し、「どん底でも平気だ」と語っていた。成功前の貧乏時代から性格は非常に明るく、「私生活がわからなかった」という。

   植木自身は「男は道を自分で切り開け」という気持ちから、長男が「植木浩史」の名で歌手デビューをした時は一切のバックアップをしなかった。その長男は後に作曲家に転向、「比呂公一」名義で活動している。NHK-BSハイビジョン特集で放送された『スーダラ伝説 植木等 夢を食べ続けた男』では終盤に比呂が、クレージーのメンバー、犬塚弘谷啓桜井センリにも参加してもらい、『スーダラ節』のインストゥルメンタル曲を収録し、父・植木に贈呈する場面が登場するが、試聴後には「嬉しいねぇ・・・」と一言呟き、目を潤ませている。

   その一方で末娘の植木裕子がバレリーナとなり、ドイツを中心に活動して日本で娘が公演する時は舞台をよく見に行ったり、娘と一緒に舞台を見に行くことを関係者に語ったりしていたという。

Wikipedia植木等より引用 )





オレはこの世で一番 無責任と言われた男♪
https://www.youtube.com/watch?v=Dna-edAuFGg
‘ニッポン無責任時代’(1962年)に歌われる
小林信彦が当時、新しいタイプのコメンディアン登場と大絶賛していた
同じ本に、「中身の軽い者に喜劇は演じられない」との主張が見られるけど、植木等も含まれると思う
お父さんが、若い頃はキリスト教徒であり、後に住職
スーダラ節に感動出来るセンスの持ち主といえど、根が至って真面目で知的を受け継いだんでしょ
見た目は真面目、裏では尻の軽いといった、フザケた奴にゃ不可能の高尚な芸術を理解出来るセンスをね




この記事、あくまで17分後に登場する次記事の前座よ