mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

限りある一品を贅の限り尽くす逸品に変える東京物語






笠智衆:1904年5月13日 - 1993年3月16日
東山千栄子旧字体:千榮子):1890年9月30日 - 1980年5月8日
爺さん、1953年公開の‘東京物語’当時、アタシよか1個下の49歳だぜ(信じられん)
14歳姉さん女房、63歳と並んで様になる、もっと信じられん
なお、婆さんは…
司法官で後に貴族院議員を務めた渡辺暢の次女で、10人兄妹の3番目
生家は代々佐倉藩城代家老を務めていた
母方の伯父である法学者の寺尾亨の養女となる
「外交官夫人になって欲しい」という養父母の希望で、輸入業者のモスクワ支店長だった河野通久郎と結婚
河野の任地のモスクワへ向かった
その間にリヨンへ語学留学したが、買い物で滞在費を浪費したため、モスクワへ連れ戻されている
また、夫に連れられて、モスクワ芸術座の舞台‘桜の園’を観るうち、その魅力の虜となった
1917年、ロシア革命の影響で夫と共に日本に帰国した
夫はすぐに海外勤務に就いたが、ロシアの政情不安から一人日本に留まった
…大学は実家の寺を継ぐために進学すると両親には告げていたが、実際にはその気は無かった爺さん
経歴に於いても、浄土真宗本願寺派来照寺住職泣かせの息子に勝る




長い枕部分は↑で終わって




2010-09-14 05:51:17 アメブロ別荘【どんな贅の限りよりも、一品の逸品】

尾道暮らしのジジババが、花のお江戸暮らしの子供たちをたずねたら
長男も長女も毎日仕事や生活に追われ、ろくに構ってくれず

戦死した次男の嫁さんが、わざわざ仕事を休んで義父母を東京観光に連れていった

自分のアパートに招き、急に近くて用意無いので丼物を出前で頼み
ジジにはお酒をと思い、お隣さんへ一式借りに行ったら
隣の嫁さん、「これ美味しいのよ♪」とピーマンの煮たのを持たせてくれた

…どんな味付けか知りませんが、60年近く前のお話、凝った調味料使用してないでしょ
醤油にちょこちょこ何か足した程度?
それでも…

子供たちに構ってもらえないのを慰められたも然ることながら
本当に孤独なのは、長い先行き不安で一杯な若い後家さん。それが心を込めて笑顔でもてなしてくれる

ジジババにはご馳走に等しかったと思いますね

1. ピーマンの煮たの
mathichen、はじめまして。

ピーマンの煮たの、おいしそうですね。
カツオブシの出汁が利いているのかな、と思っています。

ではでは

oduyasu 2011-02-16 07:56:21
2. >>oduyasuさん
初めまして

出し汁で煮込んで醤油を香り付け程度、そんな感じでしょうか

素朴な味の、一杯酒の肴やご飯のもう1品に合うと思いますね

mathichen 2011-02-16 08:31:43





コメント欄開放してた頃だからね(アメブロはMyBlog宣伝がウザイんですよ)
ちなみに、このお客さん間違いなく、乳母様のお庭から飛んでいらっしゃった
内容忘れたけど乳母様記事にアメブロURLペタリしたもんで
アタシより先にコメント残し、返信を見に来た時にURLクリックしたのでしょ




それはさておき
ピーマンの煮たの、正確なレシピ、どなたか御存知無い?
何十年も悩んでるんですよ!





教えたら、炊事に興味無い、難しい事×なのに、作るのかってか?
生命の危険に晒すメシマズ嫁、そこまで酷くないから一緒にしないで下さいまし!
セスクが作れってんなら、ドーナツ作りますよっての(味の保証はしない)




東京物語に戻ると




63年前に姻族関係終了届が存在したかは知らん
昔から存在したって、旦那の遺影飾る後家さんとあっては、戦死の知らせを手に役所へ駆け込まないわよ
また、嫁イビリなんかしない義父母だからこそ、嫁が後家さんになっても優しくして貰えたのよ
天丼だっけ親子丼だっけ玉子丼だっけ、豪華料理じゃないものの
後家さん一人暮らしアパート、いくら戦後10年経ってないとはいえ、ボロっちいを見れば
婆さんにお小遣いあげたり、おもてなしに大奮発したに違いない

2chに毒された目には、一服の清涼剤として映るわ。・゚・(ノД`)・゚・。





あ、小津監督で思い出した





‘お茶漬の味’(1952年)
https://www.youtube.com/watch?v=XaWnZPKw0QQ




まだまだ戦後の滋養強壮必要な時代だったのねと看板掲げといて
鶴田浩二津島恵子が、ラーメン食べる場面、あれをヌーハラどーの騒ぐ連中に見せたい
彼が胡椒パッパッ振りかけたら、彼女も真似して振りかける
彼女は上流階級出身だから、立ち食いは無論、ラーメン自体、人生初と見る
素直でよろしい
ラーメン屋の行列をアゴで彼に指し、「人間じゃないわよ」と言う似非ドグサレ中流小娘とは大違い
何より、庶民の彼にも言えるが、ツルツルスルスルと綺麗に食べる姿に感動する
パスタをズズズ~音立てて吸い込むくせに、日本文化ガーと小賢しい、島国根性の雑魚には不可能だもの
主人公の佐分利信木暮実千代が、最後和解して、お茶漬サラサラもね
亭主はワンコイン弁当、自分は1500円以上ランチの嫁が跋扈する現代が情けなや




麦秋’(1951年)かな、原節子が一人、台所で食事する場面が見られる
御飯・味噌汁・香物の素朴なメニューだったかしら
三角食べが出来る、綺麗な姿が様になっていた
お猪口を手にする時には、箸を置くなど、小津作品の食事場面は上品だね




東京市深川区万年町の生まれ
伊勢商人『小津三家』の一つ小津与右衛門分家である新七家の六代目を父に持つ監督だけある
1963年に亡くなった事が興味深い
前の東京五輪開催を目前に、急速に近代化して変わり行く日本
小津監督の作風が、五輪成功後のイケイケドンドン高度成長期に適合するか?
三丁目の夕日とは異なる世界ではあるが、現代日本人が失った素朴さ
二度と取り戻せない価値観と一緒に去って行った気がしてならない