mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

納豆が、糸を引くような長命を全うする健康食品なのやら

リヴァプールサンダーランドに勝利収めた☆
試合時間が被るフランクフルトvsBVBは録画放送なので助かった




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豆腐が食べきりサイズと小さいため、見た目ブッサイクで申し訳
納豆を豆腐の上にブチまけるだけ、それだけで酒何杯か飲める
もっともココの所、あまり調子いくないもんで、頭ボケ気味の朝に食べる
他に何も食べなくても意外と腹持ち良く、昼までしのげる




「納豆」「納豆汁」などが冬の季語であることや、「納豆時に医者要らず」という諺があったように、納豆の時期は冬である。一方、7月10日が「納豆の日」とされている。これは1981年、関西での納豆消費拡大のため、関西納豆工業協同組合がなっ (7) とう (10) の語呂合わせで制定したものであり、1992年、全国納豆工業協同組合連合会が改めて「納豆の日」として制定した。 近年では健康食品としても注目を集めている。

「世界の臭い食べ物」にもしばしば選出されており、納豆が持つ臭いとねばねばした食感に対して、欧米人からは「かなり食べにくい」との声が聞かれるが、納豆を好む欧米人も多く、かつ増えつつあり、類似した発酵食品がほとんどないセルビア出身のドラガン・ストイコビッチのような熱烈な納豆ファンも生んでいる。

・ヒマラヤ麓のネパールおよびブータン、インドの西ベンガル州とシッキム州、中国雲南省からベトナムをはじめとする東南アジアにかけた地域に見られる。タイ・ラオスではトゥア・ナオという加工食品を作る。
朝鮮半島: チョングッチャン(清麹醤、청국장)。
インドネシアなど東南アジア諸国: テンペ。大豆などをテンペ菌で発酵させる発酵食品。

Wikipedia納豆より引用 )

ピクシーは名古屋グランパス時代に覚えたんでしょなはさておき
7年ほど前、某所にて、「関西人が納豆とは~アワ*1ワワ!!」と泣かれた
近年まで糸引き納豆の普及率が低かった近畿地方では、単に納豆と言えば甘納豆を指す場合もある
そーいえば、ジジィ従妹が昔、毎日食卓に出す納豆のせいで困ってたわ
旦那がね、秋田県出身、んで、納豆をフツーに食べられる
子供たちも幼児期から慣れており、母ちゃんの目前でコレ見よがしに納豆かき混ぜる
いまでこそ匂い控えめ納豆が何種類もスーパーに並んでる時代じゃなく、さぞかし辛かったろうよ
アタシとて、生まれて初めて食べた時には参った
1985年、19歳の時、心斎橋パルコ8階にあった、昼間:ラーメン含む定食屋、夕方以降:居酒屋にバイトへ
ある昼の賄いで食べた
正確には、自分が選んだ
ガラスケース内のおかずを2品、客が選び、白飯・味噌汁・香物が付く、よりどり定食
その売れ残ったおかずの中から食えと言われ、何を血迷ったか納豆を取ったの
大阪人は納豆なんてまず選ばないから大量に売れ残ってたのね
初体験の感想?
「厨房内の『止めとけ』に従っとけば…うあ゙ぁあ ・゚・(´Д⊂ヽ・゚・ あ゙ぁあぁ゙ああぁぁうあ゙ぁあ゙ぁぁ」




転機が訪れたのは、11年後、1996年10月13日の日曜日、午後6時~6時30分の間であった




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まず、当所恒例の脱線として
家でウダウダ酒飲むとか巨人戦観るためTV独占するとか、そのイメージばっか浮かぶ親父のヒロシ
何の仕事してるのか謎なんですけど、どなたかご存知?
さくらももこは、八百屋の娘だっけ、庶民の世界漂う食卓描くのが上手い
それでいて、スパゲッティ(パスタとは言わない昭和時代)をフォークだけで食べるのも立派ざます
余談ながら
さくら家の後に放送される磯野家って、フグ田家を含む家族は、ま~エリートの部類に入るよ
長谷川町子が、福岡県のま~イイ家に育った
現代ではなかなか買えない世田谷区の庭付き一軒家をサラリ描けるを見んしゃい
(父親の死去に伴っての一家揃って上京後、東京のお屋敷町に憧れてたのか???)




本題:「ちびまる子ちゃん第91話:『納豆を食べよう』の巻」
キートン山田の、「まる子はトマトと納豆が食べられない」に始まる
静岡県民なら食べられるだろうに、ま、キツネうどん嫌いの大阪人いるから大目に見て
ちなみに、まる子の好物は、プリンとハンバーグである
納豆が苦手なのは他にもいて
・神経性胃腸炎のため、緊張やストレスで胃腸が痛くなる
・冷たい飲み物や食べ物を口にする事でもすぐお腹イタタタ起こす
・好きな食べ物はカステラ、バナナ、海苔の佃煮
まる子と同級生である山根君が、納豆を食べられなかった
さくら家の居間でだと記憶するけど、まる子と二人して納豆克服しようとする
まる子が先に食べ、ウゲ~と蒼ざめながらも、「山根、意外とイケるよ」
山根も頑張って食べ、納得し、メデタシメデタシに終わった



おバカなまる子に食える物が嫌いなんて、恥晒しじゃ

悪魔に魂売ってでも、好きになったる

まる子と同じ昭和49年の小学3年生が一大決心した次第よ




江戸時代には、京都や江戸に於いて「納豆売り」が毎朝納豆を売り歩いていた
昭和のいつ頃まで、豆腐、納豆などの物売りが?


1969年1月6日から1970年10月26日までの放送当時には、まだフツーに見られたと思う
ハァ~ア~ァ~納豆♪
用も無いのにじゃなく、団地での需要があるから納豆を売りに来る
(納豆売りがイケメンのため、艶っぽい団地妻、北川景子でなく白川和子の方からの需要を含め)
校長先生でなくたって、勉強やれぃ~




お暇なら来てよねワタシ寂しいのぉ♪(コレは、五月みどり=かまきり夫人)団地妻ついでを備忘録して〆とく
「タイ、もしくは、インドネシア、その辺り全体だっけ少数民族だっけ
妙齢BBAに更年期障害が見られない
納豆と似た成分持つ発酵食品のおかげ様だってよ」
早けりゃ30代か40歳ソコソコで閉経するオナゴ意外と多いのに、ヘルシー志向大好きという矛盾抱える日本
オトコにだって更年期障害は見られるから、発酵通り越し、くさや&フナ寿司級の加齢臭に要注意
食わず嫌いの関西人を筆頭に、アレルギー以外は積極的に、納豆を日常食にしてみてはどお?

*1:゚゚дд゚゚