mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

貴方を讃える光栄のために~José Carreras - Per La Gloria D'adoravi~

2009年11月7日記事をイジリ回した結果よ





セスクの誕生日に、強引に引っ張り出されたホセ・カレーラス
王子と呼ばれる者、正真正銘・詐称問わず、男前・イケメンどっちも希少価値、浮き世の定め
笑われても強引に言い張る、それは、世界中探し歩いたって、チャールズとスポナビ様おうじくらい
 



1989年11月7日、27年前の今日、旧大阪フェスティヴァルホールへ

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2009年記事に画像無かったので、今回入れた




新ホールは未踏の地
舞台と密着に近い旧ホール最前列で聴くのは正直、音響の良し悪し以前に、首が痛かった
大阪ミナミにある中古レコード店主は商売柄、足伸ばせるボックス席を2枚貰っていた
首も懐も痛まず聴けた幸運な奴もう一人は、その日初めて会った、ワーグナー師匠格であった
その前日、35歳誕生日に、女にフラレタばかりのため
José Carreras. Élégie. Jules Massenet.(♪悲歌)
♪別れの歌
♪理想の女
♪君なんかもう(愛していない)
♪お前が懐かしい
♪決して忘れないで
てな感じの歌をズラズラ聴かされ、傷口に塩擦り込まれる気分に陥ったという
翌年、アタシ一人で出かけたロンドン交響楽団演奏会で、元カノとその仲間を見たという話もね




カレーラスを聴いた帰りの電車の中、前に座ってるおっさんの読むスポーツ新聞一面見出しが気になる
松田優作がどないしたいうねん?
おっさんは新聞を半分に折ったまま読んでいたため、アタシには内容が読めず
汚宅に帰った後、ニュースステーションで初めて訃報を知り、愕然ボー然…


探偵物語の最終回、刺され、BadCityから姿消すも、傘差しながら歩いてたでしょ
「工藤チャンはちゃんと蘇生して、どっかで探偵事務所開いてるわ~」
1980年も、2009年も、2016年も、生きてると信じてるけど、何か文句あっか?




1987年、キャリアの頂点にあったカレーラス白血病の診断を受けた
回復の可能性は10%であると宣言され
故郷バルセロナの病院で化学療法を受けた後、米国シアトルの病院に入院
近親者に適合する骨髄提供者がいなかったため
(一番適合率高かった息子でさえ、難しく、また、提供者にも大きな負担与えるため)
カレーラス自身の骨髄の自己移植が行われ、奇蹟的に生還、歌手のキャリアに復活する事が出来た
自らも罹った白血病の研究と骨髄提供者の登録の支援事業に財政的支援を行うべく
1988年、「ホセ・カレーラス国際白血病財団」を設立した




カレーラス白血病から奇蹟的な復活を果たし、再発せず、もうじき30年経つ
世界各地の病院を訪問して、白血病と闘っている患者を励ましている
『ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニの命日』
イタリアのメゾ・ソプラノが、1998年6月11日に51歳で亡くなった
カレーラスと同じく白血病と診断され、カレーラスと同じ病院で骨髄移植を受けた際
カレーラスはシアトルまで飛び、旦那さんと一緒に励ましたとの事
日本でも、少女患者にクマのぬいぐるみを贈って病気の克服を応援した
(クマさんの名は、ルチアーノ・パヴァロッティから取ったLuciano)




1946年12月5日生まれだから、嫌だ~、今年が古希、前期高齢者突入じゃないのぉ

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カレーラス復活した1987年に誕生したセスクも40年後、こんな爺さんになる!?
ま、その頃にはアタシがこの世にいないから、いま気に病む必要ねーか(と、強引に自分を慰める)



José Carreras - Per La Gloria D'adoravi
Montserrat Caballè and José Carreras in Bolshoi Theatre, Moscow, 1989
 

モスクワがまだ、ソ連の時代
それだけ1989年が遠い過去となったわけね
40歳を少し過ぎた頃と、いま思えば、カレーラスが年齢的に円熟期に差し掛かる時代であった
「23歳なら首痛くたって、回らなくなるほどじゃ無し、リサイタル行っといて良かった」
と述懐する、当時のカレーラスを10個近く超える年齢となったmathichenさんでやんす