mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

指揮台の神々も黄昏を迎えた、否、滅亡した

前記事から続いた





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オットー・クレンペラーOtto Klemperer, 1885年5月14日 - 1973年7月6日)は、現ポーランド(当時ドイツ領)に生まれたユダヤ系ドイツ人の指揮者・作曲家である。

20世紀を代表する指揮者の一人とされる。

ドイツ圏の古典派・ロマン派から20世紀の音楽まで幅広いレパートリーを持つ。晩年の録音で聴くことができるように、アンサンブルや音色・情緒的表現など表面的な美しさよりも、遅く厳格なテンポにより楽曲の形式感・構築性を強調するスタイルでよく知られている。1950年代初頭ごろまでの録音には、逆に新即物主義的快速テンポによる同様のアプローチが見られる。

従兄弟に、言語学者で『第三帝国の言語「LTI」』を著したヴィクトール・クレンペラー1881年 - 1960年)がいる。息子は俳優のヴェルナー・クレンペラー1920年 - 2000年)である。

Wikipediaオットー・クレンペラーより引用 )

息子のヴェルナー、親父と瓜二つの御面相を買われ、ナチス高官などの悪役を演じていたと追記しといて





マーラーとの関係

グスタフ・マーラークレンペラーと知り合った時、マーラー交響曲第2番『復活』をクレンペラーがピアノ版に編曲した楽譜を見て強く感心した。クレンペラーからの推薦依頼に応え、マーラーは自身の名刺に推薦文を書き込み渡した。以下はその内容。

グスタフ・マーラークレンペラー氏を推薦します。氏はこの若さで卓越した、充分に経験を積んだ優れた音楽家であり、指揮者として世に出ることを望んでいます。私は彼がカペルマイスターとしての職務を全うできると保証します。また私は彼に関する問い合わせについて、何なりと答える用意があります”

当時、マーラーウィーン宮廷歌劇場(現ウィーン国立歌劇場)の音楽監督であり、国内外での高い名声を誇る彼の推薦によりクレンペラーは指揮者としてのキャリアを開始できた。そのことについて、クレンペラーは後年までマーラーに感謝している。

マーラーに私淑したクレンペラーにとって、彼の作品は重要なレパートリーとなったが、すべての交響曲を演奏することはなく、一部の作品については批判的な見解を述べている。そのためか、以前は録音等でも、マーラーの直弟子だったブルーノ・ワルターに比べるとあまり評価されない傾向にあった。また、クレンペラーマーラー演奏は、煩雑な演出や主観的な感情表現を拒否した冷徹で厳しい解釈が特徴となっており、濃厚で劇的なマーラー演奏を求める向きからはあまり好まれない傾向にある。しかしながら、彼の残した演奏は確実に一定の評価を受けている。

早い話、成功収めたものの辛気臭くてお友だちいないマーラーを利用したんだわ
「あそこの劇場での仕事欲しいけど、無名の若造じゃ、マジ就活に苦労するのぉ」
そこで、マーラーの元へピアノ版復活を届け、「先生に心酔しております」
「こんな若い音楽青年が、オラの作品を評価してくれる」と、すっかり感動したマーラー先生
「ワタシに出来る事なら何なりと♪」
「あそこへの劇場への推薦状をお願い致します」
「推薦状?んなもん、お安い御用だ☆」
クレンペラー青年は成功を収め、後年、「マーラーが就職の世話してくれたからね~」と公言したという





逸話

クレンペラーは身長ほぼ2メートルの大男で性格は狷介にして不羈、加えて自他ともに認める女好きでもあることから、逸話の多さで知られる。また、自身の命や指揮者生命に関わる怪我や病気も数多い。躁鬱病アメリカ時代の脳腫瘍のみならず、後頭部からステージ下に転落して頭部を強打し背骨を骨折、モントリオール空港で転んで足と腰骨を複雑骨折するなど、様々な事故を体験しているがそのつど復活を遂げている。

そのほか、以下の逸話が残っている。

・1960年、BBCのインタビューにて「ワルターモラリストだが、私は違う、断じて!」と述べている。

・1958年9月に、クレンペラーは寝室で寝タバコのまま寝込んでしまい、火をベッドに延焼させてしまう。それを消そうとし水と間違えて樟脳(カンフル)をばらまいてしまい大やけどを負ってしまった。その後、一年近く治療に専念することになったが、前述の通り、翌1959年8月にフィルハーモニア管弦楽団との終身のレコード契約を結ぶと、クレンペラーはたちまち回復して演奏活動に復帰した。

・作曲家パウルヒンデミットが「音楽の哲学的な側面」と題する講演を開いたときのこと。質疑応答でクレンペラーが手を挙げた。何を質問するかと思いきや「トイレはどこですか?」

アメリカ時代、病気が悪化したクレンペラーは色情狂を思わせる症状を示した。友人たちの尽力でサナトリウムに入ることになったが、すぐさまそこを出てしまい、この一件は「ニューヨーク・タイムズ」の一面記事となった。タイトルは「クレンペラー逃亡す、性犯罪に走る恐れあり!」。クレンペラーは警察に逮捕され、精神病院に引き渡された。医師の見立てにより入院は回避されたものの、これら一連のスキャンダルにより、アメリカにおけるクレンペラーの評判は完全に失墜した。

・ある朝、クレンペラーの娘ロッテがホテルの父の部屋をノックした。部屋は散らかり服は散乱し、ベッドには若い女性がいた。クレンペラーはその女性に歩み寄り言った。「紹介しよう、私の娘ロッテだ。ところで君の名前をもう一度教えてくれないか?」

・ある劇場でモーツァルトのオペラ『魔笛』を上演したときのこと。クレンペラー三人の侍女・三人の少年を歌う女性歌手達といちゃつきたいと思った。そしてそのうちの1人に対し行き過ぎた行為に出た。歌手からの苦情を受けた劇場支配人は、クレンペラーに対し「このオペラハウスは売春宿ではございません」と注意しようとしたが、間違えて「この売春宿はオペラハウスではございません」と言ってしまった。それを聞いたクレンペラーは、納得してその場を立ち去った。

ブダペストで、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を指揮したときのこと。オーケストラのコンサートミストレスは、当時19歳のワンダ・ウィウコミルスカ。しかし3幕になると、ウィウコミルスカは退屈しついうとうとしてしまう。それを見たクレンペラーは思わず怒鳴った。「とっとと帰れ!ワーグナーはガキの音楽じゃねぇんだ!」

・同じくブダペストで、クレンペラーはあるリハーサルのとき激怒してしまい「タクシーを呼べ!」と叫んだ。劇場支配人はクレンペラーの激しやすい性格を知っていたので、タクシー運転手に対し、彼を乗せて劇場の周囲をグルッと一回りしたあとに戻ってくるよう指示した。タクシーは本当に戻ってきて、クレンペラーは指揮台に戻り中断した箇所からリハーサルを再開した。

ワーグナーさまよえるオランダ人』録音セッションのときのこと。ある歌手がある部分をもう一度歌い直したいと申し出た。クレンペラーは「なぜだ?もう一度やったって悪くなるだけだ」と答えた。その歌手は「今度はもっとうまく歌ってみせます」と返したが、クレンペラーはこう言って拒否した。「そんなに長い時間、待てるものか!」

フィルハーモニア管弦楽団の赤い髪の女性チェロ奏者を気に入ったクレンペラーは、自作のピアノ三重奏曲を試したいという名目でホテルの自室に誘った。クレンペラーは別の男性ヴァイオリン奏者も同時に誘ったため、彼女は安心して誘いに応じた。いざ三人で演奏するという際、ピアノの前のクレンペラーは男性ヴァイオリン奏者にぐちゃぐちゃの手書き譜面を渡して言った。「ヴァイオリンのパートはまだ出来ていないんだ。君は帰っていいよ」

クレンペラー自作の交響曲第2番をリハーサルしているとき、第1トランペット奏者が、ある箇所の音を半音上げるか下げるか分からず、隣の奏者に尋ねていた。それを見たクレンペラーは「疑問があれば私に聞いてくれ。ここでは私が指揮者であり作曲者だ」と言った。それに対しそのトランペット奏者は「私が何かを尋ねても、今まであなたは一度も答えてくださらなかったではありませんか」と返した。クレンペラーコンサートマスターに向かいこう聞いた。「おい、今あいつはなんと言ったんだ?」

プーランクが、クレンペラーの指揮で自作のピアノ協奏曲を演奏した。その際、クレンペラーコンサートマスターにこう尋ねた。「“シャイセ”はフランス語でなんと言うのかね?」

ワルターによるウィーン最後の演奏会の翌日、クレンペラーは偶然ワルターと出会った。彼は前日の演奏会でのマーラー交響曲第4番について、皮肉たっぷりに「20年前と同じ演奏ではないかね」と言った。しかし、ワルターにはその皮肉が通じず、善意に受け取られ逆にお礼を返された。

・歌手のフィッシャー=ディースカウが指揮者としてのデビュー公演にクレンペラーを招待した。そこでクレンペラー、「あいにくその日はショルティ(指揮者。しわがれ声で有名)が歌う『冬の旅』を聴きに行く約束があるので」

・同年代の指揮者と比較すると、彼の録音は膨大な数にのぼるが、彼自身はスタジオ録音に求められる完璧性を理解しようとしなかった。クレンペラーはテープのツギハギ(編集)を「ペテン」と批判し、録音時の演奏ミスを修正する際は、小節単位での部分録音ではなく、前後の連続性を重視しその部分をそっくりやり直すことを要求した[18]。また、ステレオを「イカサマ師の発明」とこき下ろしていた。

記事画面が無駄に長い理由、わかった?
追記して、もっと長くすると

・特大ミイラ状態での大火傷治療中当時のエピソードとして
作曲家ヒンデミットが、ベートーヴェン第九だっけか、クレンペラーの熱烈推薦を受けての指揮をした
英国EMIのウォルター・レッグの予想通り失敗に終わり、レッグが報告すると、「ほれ見ろ」とケケケ笑いした

バリトン歌手ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウを、「フィースカウ君」と呼んでいた
何ですか、フィースカウいうのはドイツ語では、「胸悪い」のような意味があるそうです

・口の悪さも愛情表現なのやら、ロッテ・レーマンの音程悪さをからかっていた




どんだけ性格悪い爺さんなのよと言いたい所だけど
個性有るようで無いような、態度だけ大指揮者が増えた気がしなくもない、現代クラシック指揮者界
神さんと悪魔が表裏一体的なツワモノを懐かしむわけ



「とっとと帰れ!ワーグナーはガキの音楽じゃねぇんだ!」

これを、現代のバイロイト音楽祭で怒鳴って欲しい

演奏はともかく、目を瞑って音だけ聴くのが精神衛生に良い演出が増えた
音楽面では、クリスティアンティーレマンが偉そうにしてるのが気に食わない
クレンペラーの手に掛かれば、カタリーナ・ワーグナーともども幼稚園送りにされる
…そう思うの、アタシだけだろうか???