mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

サヨナラ、ニッポン。彼らが愚かなり我が心に気づこうとも、I will not be back !

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WALTY看板を置くゆうパックの箱の中には、CDやDVDが雑然と押し込まれる
アタシ自身、「こんなもん持ってたんかい~」の物まである
今日も、物探し中にフタを開けた結果「ヘエ~」と呆れたので、更新ネタにしとく





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ナンシー梅木 アーリー・デイズ1950~1954(詳細は、Amazonでどーぞ)
Miyoshi Umeki、これは、本名の梅木美代志より
CDレビューを拝借すると
戦後、我が国のジャズ・ヴォーカリストとして一世を風靡し、その後にアメリカに渡りオスカー女優としての名声を受けたナンシー梅木さんの歌声を聴くことが出来て感慨深いものがあります。

英語で歌われる曲が多い中で、「愚かなり我が心(マイ・フーリッシュ・ハート)」の1番の歌詞は日本語で歌われました。ヴィクター・ヤングが生んだ名曲を日本語で聴けるとは思いませんでした。ビル・エヴァンスの演奏でお馴染みの曲ですのでご存じの方も多いでしょう。

彼女の代表曲「アゲイン」に顕著に感じられますが、全体にナロー・レンジの録音が1950年という時代を感じさせますので、音質に多くを期待してはいけません。彼女の声を21世紀になっても聴くことができるということに価値があるわけですから。

ただ、ラストに1曲のみ収録された「なぜ信じられないの」の音質はとても満足しています。1953年6月14日、大阪朝日会館で行われた『ジャズ・アット・ザ・アサヒ』からのライヴ録音で、臨場感が伝わってくるもので、歌唱の巧さが引き立ちます。オリジナル・テープの保存もこの曲に関しては良かったのでしょう。

16曲目の「アイム・ウェイティング・フォー・ユー(君待てども)」は、東辰三作詞・作曲、平野愛子「君待てども」の英語歌詞ヴァージョンでした。大ヒットした「港が見える丘」同様のコンビの曲を歌っているわけですが、ナンシー梅木の気だるいような歌唱が雰囲気を盛り上げていました。

このCDのリーフレットに掲載されている解説がとても詳しく、彼女の略歴や曲目解説、歌詞、「アゲイン」初出の歌詞カード、6ページにわたるディスコグラフィーなど、興味深い内容でした。出口一也氏のお蔭で彼女の活動履歴が理解できました。解説者のあり方の見本でしょう。

菊地凛子がアカデミーでノミネートされた時や、米倉涼子ブロードウェーデビューし「シカゴ」の主演でする際に、いつも『ナンシー梅木さん以来』という書かれ方をしています。それほど伝説を帯びた歌手であり、女優でしたので、その歌唱をしっかりと知ることが出来て嬉しかったです。





1957年、マーロン・ブランド主演の映画‘サヨナラ’で高美以子と共にスクリーンデビュー
この映画の演技でアカデミー助演女優賞を受賞した
これは東洋人の俳優としては初のアカデミー賞受賞であり
演技賞に於けるアジア系受賞者は、‘キリング・フィールド’(1984年)でのハイン・S・ニョールまで待つ事になる
なお、この年の助演男優賞には、戦前の大スター・早川雪洲(‘戦場にかける橋’)が候補に挙がったが
受賞者は‘サヨナラ’で梅木の相手役であったレッド・バトンズであった




SHOGUN当時、島田陽子が国際派どーたら言うとったが、TVシリーズじゃ映画に勝てん
松田聖子は映画出演したが、マイナー系じゃ、プラシド・ドミンゴとの共演CD並み価値に留まる
(聖子ちゃんの所属レーベル:CBSソニー…会社の力に決まってるじゃん)
渡辺謙菊池凛子は、オスカー候補に挙がったとな?
受賞者でさえ受賞後のキャリアが順風満帆と決まってないんだから、候補者なんて意味無し!
就活履歴書には箔が付くかもしんないけど、日本のFラン大学卒業証書と同程度よ




渡米時は女優として未知数ながらも、歌手としての経歴が、合衆国を納得させる高水準だったんでしょ
英語の発音に関して言えば、以前書いたと思うけど
変に本場を意識したものが通じず、ジャパニーズ・イングリッシュがむしろ通じるという
歌手では江利チエミ、他では英語落語で好評博した桂枝雀師匠




とにかく、狭い日本の範疇を超える、世界に誇れる華やかなキャリア・受賞歴の影で私生活には恵まれなかった
他界時の合衆国連邦政府登録名はMiyoshi Hoodというから、合衆国亭主を貰ったのかいな
調べたら
・TVディレクターのフレドリック・オピーと結婚したが、離婚
・1968年、ドキュメンタリー監督のランドール・フッドと再婚し、1976年に死別
離婚を経験、そして再婚を果たすも再婚相手に先立たれた
再婚相手の死の後は、尋常ならぬショックにより、芸能活動から遠ざかり、マスコミ取材などにも応じなかった
そのため近況は長い間不詳であったものの、合衆国の様々なサイトによると
引退後ハワイに移住し、その後はミズーリ州で息子夫婦や孫と暮らして
2007年8月28日にミズーリ州オザークのリッキングにある医療保養施設で、癌のため死去が伝えられた




何つーか…




「キャリア最後に、海外生活を切り上げ、帰国するとしても
出国時には、不退転、日本での受け皿を絶つ覚悟で臨んだ者だけが
成功と失敗どちらに転んでも、有意義な人生を過ごせよう」
歌手や俳優も、サッカー選手と同じに思えて来た

聞こえた?
mathichenさんのドルトムントに所属する、香川という名のBVB隠れエース様
そのBVB相手に開幕戦で得点決めおった、武藤という名の天才ヨッチ
あと、清武だか、原口だか、とにかく中途半端な連中もじゃ
せめて、腐ってもインテルに居座る長友くらい粘れよぉ
長友といえば
「世界一のSBになって、味スタに帰って来ます」
男に二言無い事、わかってんのかね!?