mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

蜻蛉は、秋が美しく、極楽では醜い

今日も、Yahoo!本館更新意欲薄いけど(今後も家出繰り返すんだろうよ)





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9・11に行われる、和歌山病院の親子療育案内
前々から内心、「この行事に限り、参加者は親限定にしてくれ」
中高年入院者が多いので、パパンママンはもお草葉の陰、やるだけ無駄な人数に終わると思うがね
日頃から誰一人面会来ない者なら、「勝手にすれば~」、どおって事無いだろ
親の代わりに祖父母来る幼児でもさ、近い将来、ジジババが孫と同じ姿に変わり果て、面会不可能に慣れさせよ
アタシにゃ交通費すら拒否する極悪非道の成年後見制度のため
決して金満じゃないリヴァプール年棒13億円貰ってるクロップから1億3千万円恵んで欲しい気分にある




枕部分はこの辺にして、アタシからの今日の格言
未経験を想像で補う事は可能である
しかし現実は、結局、経験しなければ理解不能



こんばんは

安全に見える家の中でさえ、老若男女問わず事故の可能性持ちます
一歩外へ出たら、どの場所だって、危険と考えるくらいが一番です

自家用車運転に留まらず交通機関も事故の可能性持つ以上
介護人等が余裕あっても遊びに行く事減るのも、貰い事故が怖いからですよ

お義母さんは、嫁にもしもの場合
少なくとも独居の間、物質的に孤立するのが怖くないですか
遠距離なので、もしもの際にどうするかの想定が要りますね




認知症トメさん持つ嫁介護人へのコメントより




嫁は週1回、納豆県から東京23区内まで自家用車を運転して、様子見と物資補充に赴いている
時々、夫婦で出かけ、昨日もそう
結果、軽い追突事故に遭ってしまい、嫁が追突したので、全面的に自分が悪いと思っていると
追突された車を運転していた男性と同乗者が、「大丈夫ですか」
対抗の右折車線にいた軽自動車が、突然飛び出して直進して来た
軽は信号無視して、尚且つ、トンズラ決め込んだ
つまり、追突した側も、被害者という事




怪我負った者が一人も出なかったのが不幸中の幸い
ただアタシゃ、トメさん、そして、こちらも独居である嫁母の、両方が気になった
嫁母は娘の姑より年長ながら、頭はダイジョブで、身体に弱った部分が見られるのよ
もっとも嫁母には、普段は娘主体だが、他にも「頻繁にチェックする目」が何組かあり、早急性は薄い
一方、トメさんへの息子夫婦以外の訪問者は、息子の兄弟の孫一家がたまに、それだけ
認知症進行して軽いスッタモンダ増えたにより、嫁、あるいは息子夫婦で、予定外の訪問あるが
納豆県と東京都心の間って、時間食うし、場所によっては遠回りとなる
また、トメさんが短期記憶出来なくなりつつの関係で、少し余裕持つ程度の現物支給と小遣い銭なので
もしも嫁に有事発生すれば、状況次第では、トメさん干上がっちゃうのが怖過ぎる




何?そいじゃ、同居すりゃイイじゃん??生活形態は別問題だ!!!
息子夫婦も同居を考えているが、夫婦の都合上、すぐに実行は無理な話
最悪の事態には予定変更してが考えられるけど
最悪の事態って、トメさん側と決まっておらず、息子夫婦側も十二分に考えられる
それに、例えばの話
介護人夫婦とジジババだけが住む家に、他の子供や孫が訪れるとして
外野の誰かが、妄想進む認知症からドロボー猫認定であれば?
同居と一口に言っても、いろいろ難関が待ち構えるを忘れちゃならない
親子とて別人格であり、人生も別であり、他人同士が暮らすに変わりなく、折り合い付けるのは困難
情に流されるのは禁物だよ
猫や犬でも一度飼ったらポイ捨て非道だから、飼うのが人間なら慎重な姿勢が求められるんだよ




「私自身もですが、夫も、私が元気で介護が出来る事しか考えていなかったですからね」
納豆県嫁の言葉を、世俗の皆様、顔洗って耳掃除してよーく読んで考えるべし
あ、この嫁は専業主婦、その点も加味してね
現状、ジジババ独居可能で、通院介助程度
介護人予定者が、近い将来に備え、知識を学習する意欲十二分
それでも、ノーテンキな無病息災組に通じる甘さがあって、蟻の穴から堤も崩れるリスク持つわけだ




ノーテンキじゃないが未経験だと、いざという時、不思議体験アンビリバボーいう意味よ
当記事にTBした【意味がわかると怖い未来社会】
「アタシゃ以前より、日本にイスラエル兵役型介護役を提唱中
上段、猫の手も借りたいまでに人手不足が深刻な介護現場から浮かんだ」
昨日、「施設介護は無論、在宅介護にも広げての敢行は?」
入れる施設には諸条件を踏まえると限りあるが、家庭は施設と比較すれば限界あってもキャパ大きいよね
現在でさえ、施設入れなくて困ってる家庭わんさか
老若問わない一人親家庭、貧乏共稼ぎ育児世代なんて、施設は夢のまた夢と観念しろやい
鼠園のシンデレラ城結婚式を叶える経済力も、時世柄、明日知れぬ世、結婚自体が夢の国かもを付記しとく
とにかく、何度でも繰り返すけど、介護無縁で無病息災に働ける者が、軽々しく苦労を口にするのは絶対許さね
天涯孤独組、正当性持つ絶縁組以外は必ずや、介護に直面する日が訪れる
あ、兄弟姉妹にジジババ丸投げして消息不明組、いわゆる宇宙人だって例外じゃないわよ
亭主が実家を捨てた何年後かに、娘甘やかした嫁親がボケまくりとか、大いに考え得るでしょ
誰であれ、ある日突然ギャ~と悲鳴上げる可能性があるの
だったら、教育及び訓練の機関と期間を幅広く設ける
赤紙ペタリして徴兵したら、兵士の条件に合わせた戦場へ配置する、どおよ




右も左もわからないド素人に出来る事なんて知れたもの
中途半端に手を出されるより自分でやった方が、確実で、早く片付く
無能な亭主や子供、ボケ姑を抱えるような者なら実感出来ると思う
ただね




おはようございます

独居ジジババ、特に借家住まいが、同居者に気遣い要らず生活続けたければ
いまの時代、年金等は家賃や生活費に大半が消え、好きに使えません
同居で、定期的な通院程度なら、小遣い銭に余裕持てるでしょう
自由と現実を天秤にかけ、どちらを選ぶかになりますね

お義母さんの生活環境から見て
美容院代や週毎のおカネが小遣い銭は当たってますよ
旦那さんが美容院はもう諦めろというなら、息子がキッチリ言い渡すべきでしょうね

そのためにも、母親を嫁任せにしないで、同居後を真剣に考えるが大事なんですよ
同居に至れば、母親だけでなく、息子も自由に出来なくなりますからね

可能なら、同居や施設は「余力ある時期に始める」が理想と思います

下に分けます

上から続きました

「介護はされる側でなくする側を優先する」

元々そういう考えで、最近ますます強まりました
施設に入ると皆元気になる勢いって、健康管理が行き届くからですけど
「介護する側の都合に、される側が合わせる」と言えますよね
介護者が安定してこそ、仕事がスムーズに運び、被介護者に余裕与えられるんです

一方、職業や契約に基づかない在宅では施設のように行かず、情が介在するので
被介護者に合わせるあまり、介護者が無理利かなくなり、いろいろ問題起きるのでしょう
認知症だから言ってもわからないと、介護者が我慢すると
わからないなりに出来る事まで出来なくなるとも考えます

親子といえど別人格、他人なので、親子ともに同居=新環境となります
弱ってからバタバタでなく、「余力ある時期に始める」が理想の意味ですよ
同居実行前に、「もう自分の好きなように行かない」への慣れが
同居実行後のトラブルを防ぐ手立てと思いますよ




上もまた、納豆県嫁記事へのコメントより




「どうせ出来ない」「言ってもやらない」と諦め、自分ひとりで背負っていれば
ボケ老人なりに可能な事が出来なくなり、ますます病気を進行させてしまい
とどのつまり、介護人へのブーメランとして跳ね返って来る
介護側が壊れたら、被介護側も壊れる
それで、構わないの?
世界的に見ると、人口増え過ぎて食料間に合うかなので、日本くらい少子化で構わんけど
少子化困るってんなら、未来の宝に負債を残さないか減らせるよう
カネ食い五輪とか、母子手当狙いシンママとかにでなく、福祉にカネを注ぎ込み
介護人の人生を壊す事無く、ジジババや障害者が逝ってくれる環境整備が何を置いても重要だ




イスラエル兵役型介護役を、皆様、本気で考えましょ
在宅介護への配置の場合、ド素人が他家に靴脱いで上がり込むため、難しい面多い
認知症の家へだと、「ドロボー猫が~」みたいな反応が考えられる
それでも家事補助、買い物代行程度には役立つし
何より、認知症の実態、ジジババや障害者の介護がどれだけ厳しいか、目の当たりにするのが有効よ
回復や成長を望めない者の世話と比較すれば、元気なガキの世話なんて、んなもん苦労に数える気は無い
子を生み育てる事は、自分自身の人生選択である
親や障害者の介護は、已む無い事である
介護は選択であろうと、被介護者は自分自身が生んだ結果じゃない

いうこっちゃ




仕事ならまだ何とかなる
ケアマネなどがデイサーヴィスの手配をしてくれ、周囲も理解してくれる

遊びになると…

ケアマネや施設職員は、「遊びに行くならダメ」とは言わない
でも、こちらからは言い辛く、何となく申し訳ない気持ちを抱く
で、遊びには行き辛い
例えば、家飲みならいいじゃないか?
被介護者がシャワー浴したり、移乗の時には体を支えたり、酔っ払いが介助するのは危険である

自然、付き合いが悪くなる
被介護者が突然不調になったりするので、約束事が出来ない
個人的な約束ならまだしも、何かの役員や幹事などは引き受けられない

その結果、世間が狭くなる

マスコミ的には、「介護している人は、孤立して、周囲に助けを求めない」
しかし、現実は、そんなものじゃない
趣味のため、被介護者を誰かに預かって貰うは可能であるものの
1,2回ならともかく、何回目かになると、疎まれ、きっと逆の意味で孤立する
趣味を敢行したらしたで、親が病院に運ばれたような際
趣味がサッカーの審判などであれば、途中で辞められるか?

いろいろ考えると、どうしても引きこもりがちになる

介護人に鼠園行くカネや時間を持つ余裕あっても
ジジババや障害者の急変、事故や事件に巻き込まれる、そういう心配もある
有事発生すれば、さて、世間的には介護人がどう映る?
「弱ってる親を放っといて遊びに行くなんてヒトデナシ」




ある記事を見て、ウェブリ休憩所にまとめたものより




自分自身が老いを感じ始める年齢である45歳や55歳になって、不勉強、わかってるつもり
旅行先の美味をノドに詰め、病院搬送されたら面白いと思える理由
「フツツカ息子やフシダラ娘の飯作ったり、孫ちゃんの世話したりの元気は持つジジババ
旅行先へ飛んだり、休職中の子供の介護したり、そっちの元気は余ってるのやら、はて?サテ?」