mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

明るい未来へ進むか、暗い人外境へ進むかは、人間自身が鍵を握る

<堺大空襲71年>忘れぬ黒焦げの母 97歳、語り継ぐ決意
毎日新聞 7月9日(土)15時33分配信

 太平洋戦争末期の1945年7月10日、堺の街は米軍機の空襲で焼き尽くされた。死者1860人、全焼家屋1万8009棟。「堺大空襲」から71年になるが、当時26歳だった汐見や寿子さん(97)=堺市堺区=は、母を捜して歩いた日を思い出す。妊娠4カ月の体をかばいながら歩き、焦土で見つけたのは、変わり果てた母の姿だった。「苦労をちゃんと知らないと、戦争はあかんと言えない」。体験を子供や孫に伝えたいと思っている。

 汐見さんは堺で生まれ、母の小種さん、大伯母と3人で暮らし、夫と結ばれてからは東京・杉並に移った。45年6月、米軍機が投下した大量の焼夷(しょうい)弾が東京を襲った。杉並の家のそばにも焼夷弾が落ちてきた。堺も空襲に遭うのではないか。心配になり、実家に帰った。

 7月10日。堺にも米軍機が襲ってきた。実家は今にも火に包まれそうだ。大伯母が「逃げなあかん」と叫ぶ。家を飛び出し、火の粉が降る中、おなかの子をいたわりつつ、布団をかぶって逃げた。その後、実家は焼けた。

 助産師の母は救護班の活動に出ていた。空襲がやんだが、消息がわからない。焼け跡を捜し歩くと、現在の堺市堺区市之町西付近の通りに、8人の遺体があった。そのうちの一体を見たとき「母じゃないか」と思った。黒焦げになっていたが、容姿が酷似していた。遺体を引き取って葬った。戦争は大切なものを奪っていった。

 45年秋、戦火をくぐり抜けたおなかの子を産んだが、息をしていなかった。その後は幸い、3人の子供、孫に恵まれた。戦争体験は語り継がれると思っていたが、若者が知らないことに驚かされる。せめて、家族には知ってほしい。汐見さんは「体験した私たちが話さなければ」と語る。

 9日、堺市堺区の一光寺では犠牲者をしのぶ慰霊祭があり、市内の慰霊碑では市民が黙とうした。【椋田佳代】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160709-00000041-mai-soci
第6回大阪大空襲 - 7月10日

1945年7月10日1時33分から3時6分の約1時間半にわたっておこなわれた。この空襲は一般的に「堺大空襲」と呼ばれ、堺市中心部に大きな被害を受けた。

中小都市爆撃作戦の一環として、サイパン島アイズレイ飛行場第73航空団の116機が、堺市中心部に約1万3000発・778.9トンの爆弾を落とした。大阪市中心部を狙った第1回空襲以来の夜間空襲で、堺市では2.64平方キロメートル・約5万5000人が被災し、死者1,370人・重軽傷者1,472人・行方不明者3人、家屋の全半焼14,797戸の被害を出した。この空襲では堺市のほか、大阪市住吉区貝塚市でも被害を出している。

Wikipedia大阪大空襲より引用 )





「現在の堺市堺区市之町西付近の通りに、8人の遺体があった」
…ジジィ勘当先付近、想像つくじゃねーか(((((((( ;゚Д゚))))))))




東京大空襲を米軍に進言したのは、ウォルト・ディズニー
千葉なのに何で東京ネズミ~ランドに浮かれ遊ぶ老若男女を嘲笑する理由の一つである
上海ネズミ~ランド、USJに客持ってかれてるらしいので、合掌しといて




【人の世の悪魔を生む親は、人間自身】(2014年4月23日)
血縁が鍵となる横溝ミステリーの後期作品‘仮面舞踏会’
ドラマは最後、「生まれて来なければ良かったんだ!」
という絶叫とともに発せられた3発の銃弾による、何とも悲哀に満ちた幕切れを迎えた
「生まれて来なければ良かったんだ!」、真犯人・笛小路美沙を撃つ田代信吉が放った言葉
原作の美沙は、金田一さんの推理を超えたトンだ食わせ者は置いといて
赤ん坊すり替え自体は条件揃えば、秘密と欺瞞が暴露される事無く
篤子夫人の我欲満たすためだけであっても、美沙の人生を左右する大きな問題とならなかった
女子には稀な色盲を背負って生まれて来た美沙
色盲自体は罪を持たず、美沙の責任も問えない
「画家の娘である千代子に、色盲の遺伝子は考えられない」
「泰久は、自動車ブローカー=運転免許を持つ
運転免許取得には、色盲検査がある=泰久も、色盲ではない」

「美沙は、笛小路泰久と鳳千代子の間に生まれた娘ではなかった」
大空襲で両親失ったにせよ、ドサクサ紛れに盗まれたにせよ、篤子夫人の目に留まったのが運の尽き
何十代も続く旧家のお嬢様として生かされる不幸
いっそ身元不明の戦災孤児として苦労する方が、良い養家に巡り合えたかも知れず、幸福だった
美沙もまた、岡山と東京どちらかの大空襲犠牲者と言える




哲平ちゃんが宮澤ミシェル似オ~ナ~圧政下、否、愛の傘下を離れ、独立し、marcel開店に当たり
昭和町選んだ理由には、通勤に便利も大きい
地下鉄御堂筋線昭和町駅は、西田辺挟んだ、哲平ちゃんの住む長居周辺のま~近所に位置する
帝塚山に程近い昭和町の利点は何より、土地柄の良さにある
先月、野田Margarita常連客HGねーさんが、「昭和町って、金持ち多いんよ」
地下鉄の北隣り駅である天王寺周辺は大体、戦災に遭った
松本清張の‘砂の器’を思い出すべし
“和賀英良”の本籍地である恵美須町が壊滅状態で、戸籍の原簿が現存しない
主人公が他人の戸籍パクれたのも、戦災が物を言った
昭和町は戦災を免れたので、代々の地元住民が主流で、それも地主みたいな富裕層わんさか
天王寺恵美須町とは徒歩移動可能な距離なのに、戦争では天国と地獄の差を見せたわけよ




海外へ目を向けて見ても
赤十字のトラック』(言うまでもなく、偽装)に乗ったがために、選別すらされず煙突からの煙もいれば
収容所への移送列車に乗り込む寸前、「友だちだから」と鉤十字に引きずり下ろされたのもいた
強制収容所移送が決まったユダヤ人の明暗分かれた話、枚挙に暇が無い
 



人間誰しも、この世のあらゆる場面に於いて、天国と地獄の境界線に立つ可能性持つんだよね
海空陸事故生存者は概ね、「何故、自分が?」と罪悪感を抱く
乗務員生存の場合、「乗客が死んでるのに、お前が生き残りやがって…」と誹謗中傷の恐怖あり




それでも生存者には、後世へ語り継ぐ義務が課せられる
Yahoo!ニュース記事の中の
「戦争体験は語り継がれると思っていたが、若者が知らないことに驚かされる
せめて、家族には知ってほしい
汐見さんは『体験した私たちが話さなければ』と語る」
体験した者が話さなければ、知らない世代の認識が、人為的に操作されて歪む
1930年代ドイツかよと思うほど、現代日本のキナ臭く物騒な思想や政治を見るまでもあるまいて