mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

責任の所在を明らかにし、罪と罰の『と』を『には』と置き換えよ

2012/06/07 17:17 ウェブリ休憩所記事を持って来た
若年性認知症予防すべく、頭の体操する大改訂版のため、ひたすら長い
スルーしてくれて結構よ




…何という豪華メニューよ
マジな話か?
病気持ちが服役したら、食事改善で健康になった
そういう話は実話なのね~
悪い奴がいい飯食えるという理不尽、しかしながら、受刑者も税金払う見返りが要ると大目に見るべ~




四半世紀ちょい前、雑学本に
ただでさえ刑務所への予算が限られている中で
豚さん×もいれば、牛さん×もいる、オラの国では○○食べたら怒られるなど
宗教の戒律や生活習慣を守る外国人受刑者への配慮が、刑務所厨房を悩ませていると書かれていた
日本人受刑者にも、身体が米食受けつけずパン食を訴えていた話があった
刑務所が訴えを却下したため、受刑者は体調壊して入院する事態に陥ったのよ
「ここは、日本じゃ!」と日本食強制や犯罪者だから文句言うなは通用しない
かといって、受刑者はお客様ではない、そうそうおもてなしばっかりは許されない




「今の日本の刑務所は苦しむところよりも
規則正しい生活を強いられるところだな。
刑務所に入る人に罰をあたえ、行った悪事を償わせるために入れるのか、
それとも構成させるために入れるのか。( * 構成→更正)
それのバランスが日本は後者に偏っているのだと思う。
個人的には、更正させる刑務所と償わせる刑務所二つの種類の刑務所を作って、
犯罪によってどちらかに入れるようにさせるのはいいのでは?と思う。
後者に行くことになっても後に必ず前者の刑務所に行かせるのもいいのでは?」

「刑務所以下の社会ってほうが問題だな
刑務所は社会福祉施設になってるな
刑務所の1人あたりの維持費は年300万かかるっていうし
生活保護は月に1人暮らしなら10万程度
国民年金なんて40年満額払っても月に6万くらい?
6万程度じゃ家賃払って終わりでしょ
この日本って国の異常さは本当に凄いな」




自分でダラダラ書くより、動画コメントより拝借をば
動画コメントといえば
「毎日同じものを作ればコスト下がる。
俺なら法を犯した者にはそれなりの対応をする。」
これを見て思い出したのが

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『冬の旅』(ふゆのたび)は1968年5月から1969年4月まで讀賣新聞夕刊で連載された立原正秋の小説。新潮社が文庫化し、ロングセラーとなっている。

1970年4月16日から同年7月9日までTBSの木下恵介・人間の歌シリーズで、1976年2月23日から同年4月16日までフジテレビのライオン奥様劇場でドラマ化。

Wikipedia冬の旅[小説]より引用 )

少年院の食堂で、1人の少年が職員に聞こえよがしの大声で、週の半分くらいは鯨肉登場にブツブツ言う
半世紀近く前の鯨さんは、学校給食にもお馴染みの食材で、公立学校予算を考えたら無理ない話ではあった
「すき焼き食いてえ~」みたいな声には、「テメエの立場を知れぃ」の怒鳴り声
その場面、30年前の初読時、本に向かって「その通り☆」と内心で拍手パチパチしたもんだ
昔々、ニュースステーションかしら、某有名刑務所の年越しソバ光景
緑のたぬき、あれ、さあ湯を沸かせ!で済むから?
受刑者は皆、美味しそうに食べていたわよ
アレルギーや戒律以外でのリクエスト出せる立場に無いからね
冬の旅の「すき焼き食いてえ~」
脱走してお屋敷町ママに随喜の涙で迎えられ、夜中に寿司食べまくり坊やの声だった
高級ホステスが仕事上がりに寄るような、廻らない寿司を、万引き坊やがつまむとはド厚かまし
いまにして思えば、アタシの高い寿司屋アレルギーの原因だと思う
廻らない寿司って、近所の大衆的な店は別にして、本来、30歳前の小娘青二才は食べられない高級料理である
寿司自体、知り合い曰く、「子供は母ちゃんの作るチラシ寿司とか、その辺から始めるもんじゃ」
廻る寿司とて、外食マナー何それ美味いんけ?の、親子で少年院送りにしたいDQNの温床でもあるしな~




1970年TBS版は観てないが(4歳児が観てたら、それこそ、更正が求められようぞ)
田村正和の、暗~いドラ息子
二谷英明久我美子の、子連れ再婚した中流上層夫婦
松山省二と大谷直子の、気の良い少年院仲間とシッカリ者嫁
西村晃の、「出来心だよね」と主人公の肩持つ刑事
どちら様もお似合いね
田村正和自身の感想として、役が難しかった、自分の柄に合わなかった、どっちか忘れたけど
「自らこういう役がやりたいと要望するのではなく
スタッフにこういう役をやらせたいと言われる役者でいたい」
修一郎に適役で、是非ともやらせたいの結果でしょがと、ツッコミ入れたくなる)

あおい輝彦が唯一人、IQ160の秀才には絶対見えず似合わない、少年院入る役なら矢吹丈の声がお似合いだ
1976年フジテレビ版での佐藤祐介も、ちと違和感覚える




全くの余談ながら、佐藤祐介といえば、1975年に問題となった『ワタシ作る人、ボク食べる人』
https://www.youtube.com/watch?v=NM9XwZqps2o
「差別・平等の問題はいろいろ難しい。一石を投じたことは確かで、歴史的に重要な資料かと。」
1975年も、2016年も、「ボク作る人、ワタシ食べる人」なら絶対、問題になるどころか賞賛される
男女どっちが作ろうと、無理難題言わなければ、作る暇と腕がある方が作ればイイ話だっちゅうの
男ならダメ、女なら当然
権利を主張しながら、都合悪くなれば、守られるべき存在よと生意気三昧
養育費は子供の権利、母親の生活費に非ずを知らない、それでいて母親には子供がいればいいと態度デカイ
差別を盾にして、何でも許されると思い上がる無知性無教養Bitchなんざ、ホント胸糞悪いわ
女性の置かれる環境があまりにも酷いのを、GHQか何か米国がお膳立てしての権利向上運動が実った
それが、日本の現実
嫌だね、フェムニズムの上っ面撫でた程度の、団塊世代以降の意識高い系オンナどもはよ




考えてみ
ワタシの権利を叫んだ世代が現在、アテクシの可愛いムチュコタン甘やかす、エネ夫の温床
娘だって、未婚で稼ぐならそれでもいいが、母親と一緒に嫁イビリする実家寄生虫小姑ならば、エネ夫と同じ
これらは詰まる所、団塊世代を産んだ母親世代にも問題多いを指す
冬の旅に登場する、脱走してお屋敷町ママに随喜の涙で迎えられ、夜中に寿司食べまくり坊やを見よ
ママは、有閑マダムで、カネで何でも解決するという思考を持っていた
劇画‘愛と誠’に登場する、早乙女愛の母親もそうだ
高度成長期、女性の権利どうの抜きに、専業主婦楽勝で暮らせたのは別に悪じゃないものを
一部のダラ奥どもが、現代の巨大掲示板住民の中の、女叩きに熱中する連中を増長させると言える
ダラ奥どもを生んだ背景に、仕事熱中症で家庭顧みなかった働きバチ亭主の責任もあるを無視するなよ




【食卓の無い家】(2月25日)

初めまして

他人に愛情を注げる人間を作る初めの一歩はどこにあるのだろうか?
家庭にあると思いますよ

個人的に古臭いタイプなので、子供持つなら、アンチ夫婦共稼ぎです
子供の教育は親が担う原則をクリア出来るなら、日中片親が家にいない状態を容認ですが
孫守りや福祉ありきで子供作るとかであれば、無責任と思うタイプです
最低限度の責任を果たせるだけの、他者への共感持たない親が増えるほど
共感力持たない新世代が生まれると考えますよ

その新世代が、晩婚化や高齢化が進む社会では、若年介護者になる可能性高いとなれば
施設でなく家庭で虐待?と薄ら寒い思いも抱いてます
再度失礼しますよ

歪みが生まれるキッカケは、1960年代の高度成長期にあると見ます
右肩上がりの時代なので、主婦が専業でも楽勝だった半面
父親が働きバチで不在多いと、ある意味、一人親家庭に近い面あったと思います
こういった環境では、情操教育に悪影響及ぼすでしょうね

一つの歪みが解消されないまま、時代が変わるにつれ、新たな歪みが生じ続ける
問題だらけの旧世代が、自分に似た問題だらけの新世代を生んでしまう
負の連鎖と言える繰り返しの結果、現状があるのでしょう


開成少年の幼少期が、高度成長期に当たる
お父さんは小学校しか卒業していないが、努力して、それなりの財を成したのであろう
トンビが鷹を生んだような息子を心から自慢に思っていたのであろう
真面目故に、暴れる息子を絶望的に思い、手をかけるまで追い詰められたのであろう
それでも、知恵袋回答にある
「低学歴とはいっても上京して自分の力で店を開いて繁盛させたのですから
父親は何も恥じる必要などなかったと思います
大衆居酒屋という職業柄息子とすれ違うの生活を送っていたようですが
時間をとって息子が小さいうちから親子のコミュニケーションを取るべきだったと思います
父親が自分がどんなに頑張って生きてきたかと言う事をちゃんと話せば
息子は低学歴であろうと父親を尊敬したと思います」
親の最低限度の責任果たせなかった事に於いて、お父さんは罪深いわけだ…




もう一つ罪深いとすれば、家庭を母親に任せる時間長過ぎた点よ
専業主婦だろうと、家庭は一人に回し切れるものじゃない
夫が家内を掌握し、必要なカネを妻に渡すのであれば話は変わるが
自分の稼ぎは自分の小遣いタイプ、家計を妻に任せっ切りで世帯の預貯金額知らないタイプの場合
「誰が食わせてると思ってるんだ」には、「オマエの稼ぎをやりくりしてオマエと子供の飯作るアタシだ」に尽きる
子供が不祥事起こすと、母親の教育が悪いと喚く父親には、「オマエが嫁の相手しないからだろ」
夫婦関係希薄が母親の子供への過干渉に影響するは、昭和の頃にも指摘されたよ
腐ったミカンの方程式シリーズの3年B組金八先生に、思春期内科が登場したね
思春期内科って、母親の過干渉に苦しむ子供も通っていたと思われる
このシリーズでは、沖田浩之が演じた松浦悟が、若い継母とギクシャクしていたのも
父親が後妻に家庭任せっ切りにしていたのが、そもそもの原因だった




女どもには、平塚らいてう時代の、自力で女性の権利向上を目指した高い知性のツメの垢煎じて飲ませたい
男どもには、一家の主を名乗りたければ家族関係を掌握し統率する目と責任感を持つべしと言いたい




冬の旅に於いても、父親が、善意の人ながらも目に見えない家庭不和を作った
修一郎の視点で見ると



立原正秋さん著の『冬の旅』、読みましたよ
少年院という隔離された環境で、色々な事を
考えてる所に心を打たれました。
深い作品です。
ちょっと気になった所がありましたので質問しますね。

主人公の行助君は、行助君のお母さんに良くない事をした
義兄の修一郎と揉み合いになり
修一郎が持ち出した刃物が修一郎に刺さり
行助君は、少年院に入る事になりますよね。
行助君が真実を話すと少年院に入る事には
ならないのに、修一郎を劣等感の中でしか生きていけない
ようにするために、少年院に入ったというような事が書かれてたのですが
これは、どう意味なのかな。
少年院に入るはずの修一郎が入らないで、改心しないで
今の生活を続ける事を指してるのかな。
どうかな。
教えてもらえませんか。

ベストアンサーに選ばれた回答

修一郎の立場で考えたとき、真に恥ずべき行為をしたのは自らであると自覚しており、しかもそのふらちな行為の結果、行助が侮蔑の思いを込めた沈黙を守ったまま少年院に入ったことになるので、悔しさと劣等感とにずっとさいなまされ続けるであろうと思った。修一郎にしてみたら周囲から「お前はなんてことをした のだ」と叱られたなら、まだ、「俺だけが悪いわけじゃない」等の言い訳もできたかもしれないのに、「君は被害者だったんだよ」と言われ、しかも実は自分こそが悪だと自覚していたので、その鬱憤は自らの劣等感にも直結する。この時点では、行助はまだ後の達観的な意識を得るには至っていなかった。行助も又、冬の旅の途中であった


父親の再婚時点で、未来の不運が始まった
修一郎、行助、どちらも一人っ子育ちで、修一郎は当初、「いい兄弟が出来た」と行助を歓迎していた
しかし、兄弟の優劣をハッキリ見るにつけ、劣等感が募る
父親は明らかに、義理の息子である行助に肩入れする
祖父母は逆に、実の孫である修一郎を猫可愛がりする
修一郎は、繊細で、自己の限界を知るだけに
継母を襲おうとしたのは、義理の長男に遠慮がちな彼女を家庭内で唯一の感情のはけ口と見ての凶行であろう
父親を殺そうとしたのは、長年軽んじられた事で積もり積もった負の感情が爆発しての凶行であろう
行助が二度目の収監後、自ら亡父の姓に戻った
修一郎の立場に好転は訪れたのか?
会社経営者である父親は、修一郎を入社させるが、平社員からと厳しい
祖父母は相変わらず、「跡取りだから」と、孫が何をしても叱らず、異常なまでの飽食で甘やかし放題
会社後継者(の懐具合)にタカる魂胆の同僚が近寄って来る
これといって以前と変化は見られなかった
父親が選んだ指導係の判断通り、庇護者であるジジババくたばるのを待つしかない
アリガタ迷惑な老害が去り、利用価値無しに近い孤立無援な状況を迎え
父親のみならず、自分と関わるあらゆる人たちに頭を下げ、ひたすら謙虚に、コツコツ叩き上げるしか
修一郎がそれなりに安泰した未来を拓く方法は無いのだから
修一郎の前途にはやはり、冬の凍てついた一本道が、最終目的地まるで見えないまま伸びる…





シューベルト歌曲集より♪菩提樹
1954年生まれのワーグナー師匠格によれば
ある夜、2階から降りて来て、母ちゃんの眺めるTVから菩提樹が聴こえたので見ると、TBS版冬の旅であった
歌手が誰か忘れたというので、当所には、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ持って来た
DFDは1965年から1967年まで、女優ルート・ロイヴェリクと結婚
このロイヴェリク、1956年の西ドイツ映画菩提樹’とその続編である1958年製作の‘続・菩提樹’の主演者
菩提樹は、マリア・フォン・トラップによる自叙伝‘トラップ・ファミリー合唱団物語’の前編(オーストリア編)が原作
トラップファミリーが米国亡命するまでを描いた
そう、米国の舞台と映画‘サウンド・オブ・ミュージック’先行作品であった
亡命後のトラップファミリーを描いたのが、続・菩提樹




トラップ大佐は、1911年1月、英国女性アガーテ・ホワイトヘッドと結婚
アガーテは、1922年、長女の猩紅熱の看病をした直後、同じ病気に罹り32歳で死去した
学校を病気で休みがちだった次女と幼い四女のために
大佐がノンベルク修道院に家庭教師の派遣を依頼したのは、1926年10月
家庭教師マリアと恋愛関係になり、ノンベルク修道院で結婚式を挙げたのは、1927年11月26日
このとき夫ゲオルクは47歳、妻マリアは22歳
子供たちは
長男ルーペルト16歳
長女アガーテ14歳
次女マリア・フランツィスカ13歳
次男ウェルナー12歳
三女ヘートウィク10歳
四女ヨハンナ8歳
五女マルティーナ6歳
ゲオルクとマリアの間にも、ローズマリー、エレオノーレ、ヨーハネスという一男二女が生まれ、12人の大家族に




ミュージカルとは随分、家庭環境異なるわね
長子が、ミュージカルでは娘、実際には息子
長子と継母が10歳も離れていないのは同じだけど、よく良好な関係築けたもんだわ
家庭教師として接するのと、継母として接するのとでは、別問題でしょ




継父や継母にも連れ子いれば、新たな子供たち誕生以上に、夫婦それぞれの子供たちの関係が難しいかも
米国の大家族映画に、ヘンリー・フォンダルシル・ボール主演の‘合併結婚’というのがあった
やっぱ10人単位の大兄弟姉妹が誕生する
皆仲良くやるものの、妻の息子が学校で、養子じゃないのに継父の姓を名乗って大騒ぎになったりもする




「親が例えば、保育園仲間と再婚して、同年齢同士の兄弟姉妹は、いろいろ難しいよ」
何年か前、保育士おねえさんが話していたを思い出しても、子連れ再婚には慎重を期するものなんだね
新規蒔き直しのトラップ家が上手く行ったのは

映画『菩提樹』、『サウンド・オブ・ミュージック』 でのゲオルクの描かれ方に不満を持った妻マリーア・アウグスタは、各々の映画製作途中で脚本を直すように映画会社に要求したが、すげなく断られた。また、 オーストリア海軍の潜水艦艦長で、マリア・テレジア勲章騎士十字章を受勲した同僚のヘルマン・リジーレ大尉は晩年、養老院で上映された『サウンド・オブ・ ミュージック』を観て、かつての親友トラップ少佐が「コケ」にされていると激怒したとされる。 なお、軍歴上、最終階級は少佐(Korvettenkapitän 、コルヴェテンカピテーン)であるが、ミュージカル映画サウンド・オブ・ミュージック」などでは大佐の設定である。

トラップ一家は映画やミュージカルで世界的に有名になったが、実際の家族は父ゲオルクの現実とかけ離れた描かれ方に対して不満を持っており、映画に対して冷めた見方をしているという。

Wikipediaゲオルク・フォン・トラップより引用 )

大佐が、一家の主能力高く、後妻貰う価値も高い男前だったからに尽きると思うわよ