mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

銀幕の向こう側に、もう一つの、男の世界、女の世界

2004年、明石家さんまWOWOW初登場時、スタジオに用意されたお客様用ジュースを見て
リーガ・エスパニョーラ放映権料高いんで、氷入れる余裕あらへん~」
WOWOWはEURO放映権も持ってるし、経済的に楽じゃない
日本でのEURO中継が2004年大会以降、TBSやテレ朝で観られるのも、放映権料の負担軽減するためよ
ともかく、カネは大事だってんで、今回のEURO、WOWOWに於いても地上波と同じようにCM流れる




アタシゃ近年ほとんどTV観ないので、CMも全くわからなくなった
Japanese CM Around 90's / (Hollywood) Stars
海外の映画スター、現代でも、日本企業CMに登場するの?
1970年代から1980年代にかけての映画雑誌を見ると、時々、その折々のTV-CM特集記事が組まれていた
ブリジット・バルド-、クラウディア・カルディナーレジュリー・クリスティなどなど
LUXは英国生まれブランドながら、日本での石鹸CMに、海外大物女優を起用していた記憶が鮮明
メーカー思い出せないが、ゴダール映画の女神アンナ・カリーナが大口開けてCurry食べていた記憶も鮮明
英国紳士デーヴィッド・ニーヴン、確か写真関係CMに登場した
王様ユル・ブリンナーが、海上で体育会アクション見せるCM、何だったかしらん
1982年には、1960年代前半に活躍した米国TVスターによるシリーズも見られた
トロイ・ドナヒュー太り過ぎ、エド・バーンズが梳る髪の毛が自前か怪しい、でも団塊世代は嬉しかった?




ウィスキーCMに登場したチャーリーズ・エンジェルシェリル・ラッドによれば
「米国でのCM撮影は1日で済むから、撮影期間3日と聞いて不思議でした
撮影現場に行って、『CMといえど、ドラマ性持つんだ』、3日かかる理由を納得しましたよ」
美人が手に持つ商品を白い歯キラキラ笑顔で、それが、米国流
ナスターシャ・キンスキーが、バレエのお稽古、生まれたて息子を抱きながら幸福なる母の笑顔の他に


これは、富裕層主婦が午後のお散歩という感じだけど
今晩食べるパスタの副菜の食材買いに一っ走りするオバハンという感じのヴァージョンもあった
旦那と一緒に脱税?いうほど裕福ながら、市井のおかみさん役が似合ったソフィア・ローレンに相応しいね
そう、商品でなくモデルが主人公みたいなのが、日本流
ま、薬罐持って踊ったアーノルド・シュワルツェネッガー、ヒヨコちゃんと風呂に入ったデニス・ホッパーなど
いくら高額な出演料貰っても末代までの恥も存在するけどぉ




太古の男優CMも出せとな?



1968年フランス映画‘さらば友よ’で共演した二人、ど~お
イケメンとブサメン両極端だが、男の好みは人それそれだからな




なつかしのCM 「レナウン ワンサカ娘」
バルタン星人やないシルヴィー・ヴァルタンの1967年出演CMね
海外スターの日本CM出演初期?
日本CM出演で画期的なのは
1970年CM マンダム 男の世界 チャールズ・ブロンソン
やっぱ、↑でしょ




マンダム

日本では、1970年に男性用化粧品メーカー「丹頂」の化粧品「マンダム」のテレビCM(大林宣彦演出)に出演し、一世を風靡した。撮影費は2000万円、ブロンソンへのギャラは3万ドル(約1000万円)であった。彼の起用を提案したのは、キャンペーンを担当した電通の西谷尚雄で、西谷はかねてから『大脱走』や『さらば友よ』などで個性的な脇役として存在感を示していたブロンソンに着目していた。男性用化粧品のCMといえばたくましいイメージからほど遠いヤサ男を起用して中性的な清潔感を打ち出すものが多かった中で、野性的な風貌のブロンソンを起用して泥臭いまでの男らしさを前面に押し出したのは逆転の発想であった。キャンペーンにあたったスタッフは当初周囲から猛批判を受けたという。

撮影は、アリゾナ州砂丘ユタ州のモニュメント・バレー、ならびに、ハリウッドのスタジオで行われた。ブロンソンは、「私の初主演映画だ」といい出演を快諾。泥水をかぶる場面も「これがアリゾナの水さ」と嘯いたという[要出典]。CM中、ブロンソンは、モニュメント・バレー周辺の荒野を馬(白馬)に騎乗して駆け、カウボーイハットで河川の水を汲み頭から浴びる。そして顎を撫でながら一言「う~ん、マンダム」。このセリフは日本中で大流行し、化粧品に縁のない幼い子供まで真似をするほどであった。当時ヒットしたCMソングは「男の世界」(歌:ジェリー・ウォレス)。マンダムの商品知名度は発売直後に98%に達した。

丹頂は、1933年に整髪料「丹頂チック」を発売した男性用化粧品業界の老舗・大手であったが、1960年代にはライオンや資生堂の攻勢を受け、経営は危機に瀕していた。しかし「マンダム」の爆発的ヒットによって年商は2年で倍増し、危機を脱した。1971年に、丹頂は社名を「マンダム」に変更している。また、このCMは海外映画スターのCM起用の先駆けともなった。ブロンソンは、1980年まで「マンダム」シリーズのCMに出演した。拳銃捌きを披露するCMでは、ブロンソンは上手く撃てなくて、西部劇ファンで拳銃捌きの上手い大林宣彦ブロンソンに教えてファニングをやらせたという。

なお、マンダム社はブロンソンの葬儀の際に献花をしている。

Wikipediaチャールズ・ブロンソンより引用 )

ブロンソンは本当、いい人だった」と大林監督は回想している
ある日、撮影時間延長をお願いに行くと、「おいおい、決められた時間通りにやらないとダメだよ」
そう言った後で、腕時計の針を逆に回し、「俺の時計では、まだ大丈夫」
プロとして基本の仕事をちゃんとしなさいを諭しながら、融通利かせるのもプロを示した
…惚れるわね、必要な残業しないでデート行く薄給青二才どもに聞かせたいぜ~
何でもホイホイ要望に応えたというジョディ・フォスターは、CMモデル経験値からだったが
伝えられる所によれば、ブロンソンは、学校へは妹の服を借りて通ったというド貧乏家庭育ちのため
現場叩き上げと本物の苦労人なればこそ、名声に驕る事無く、謙虚な姿勢が身についたんだろうね




映画では1970年代以降、奥さんのジル・アイアランドと共演多過ぎて、観客は食傷気味だった
夫婦共演する気持ちわかるんだけどね
1963年の‘大脱走’出演に当たり、共演者デーヴィッド・マッカラムから紹介され、「こ、こんな美人が…(呆気)」
んで、野獣の本性表したか、1968年、前年マッカラムと離婚したジルと再婚した
もお嬉しくて嬉しくて仕方なく、「俺の嫁見て♪見て☆」と舞い上がって当然よね
親バカならぬ夫バカやったって無理おまへん
二人の間に生まれた娘ズライカちゃん、親父ソックリと何とも気の毒だし
子供といえば、息子が、日本のCM撮影班に「ボクのお父さん知ってるかい」
ジルの何人かいる連れ子の1人なので、スタッフが答えに詰まっていると、「デーヴィッド・マッカラムだぞぉ」
…‘0011ナポレオン・ソロ’のイリヤ・クリヤキンだもんね、自慢したいよね
子煩悩なブロンソンは、家族同伴で行ける場所へは実子も連れ子も皆俺の子供たちだと引き連れて行った
連れ子は、陰で実父自慢し、ブサメン継父の面子立てる心遣いあるんだから、皆様許しましょ