mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

現代に相応しい反戦歌題名:「人間愛の手段を誤ると、誰もが戦場へ行く」

EUROグループステージ、C組のドイツvsポーランド、0-0と引き分けね
ドイツが大した事無い以上に、ポーランドも何がレヴァンドフスキじゃい、決め手に欠けていた
ドイツとポーランドでノックアウトステージ進出するつもりなのに
ドイツが確実に進出するなら、北アイルランドと一緒でもいいけど
ウクライナ相手に大金星上げた、初出場の北アイルランド、まさか、次、ドイツに勝利する気満々じゃ!?
それだけは嫌!侵略ならぬ進出を許して!!許すと言ってくれ!!!(誰に向かって絶叫を?)




ドイツとポーランドでノックアウトステージ進出したい理由?
ポーランド国内のジジババ介護施設入所、ポーランド介護士の出稼ぎ、ドイツが世話になってる御礼」
ドイツも在宅介護絶賛推奨ながら、三国同盟結んでいた国とは月とスッポン、現状改善に積極的なんだよ
それだけジジババ地獄は世界的な問題というわけだけど
日本は本当、アタシゃまた、2007年から2008年にかけての記憶が浮かんで困ったいうほど深刻だ
鬼婆が急性期病棟からリハビリ病棟移動後、向かいのベッドに寝ていたババ
アラフォーの息子夫婦が毎日夕方、就学前の孫ちゃんを連れて訪れ、皆でババに声掛けする
声掛け、小音量ラジオをババ耳元に、そう、ババの意識は残っているが、風前の灯的状態なのによ
「このババ始め、入院期限3ヶ月を過ぎたら、どうなるんだ?」
在宅介護は不可能な状態、さりとて転院先が見つからないジジババを持つ家族は皆悩んでいたので
悪運強過ぎる鬼婆が一度エラソーな口利いた際、その階の看護士全員が「な、ナ、何事!?」
陰で隠れて病院エレベーター扉に、ドイツ代表に選出しろぉ級キック力の蹴りを入れたのは、他ならぬ…




敢えて書くと、「介護は、介護する側の自己満足に基づく側面を持つ」
何日か前、90歳超えしたジジババ持つ娘の記事に、職場の上司から「90何歳生きたら十分でしょ」への怒り
上司はま~何も知らんくせにエラソーな無病息災組であろう
娘に対しては、「ボケボケや寝たきりだったら、長命は却って不幸の元」と言いたかった
・ボケボケなりに、また、身体不自由の中で自助努力する意思持つ場合には、支援の方向
・再起不能脳死で延命を拒否する場合には、自らあるいは家族が、支援を打ち切り逝く選択出来る
それが本来、理想的じゃないの?
認知症だろうとギリギリまで自立生活支援し、施設は最終段階で、寝たきりはほとんどいない
欧州の福祉先進国の目に、日本の介護現状が虐待に等しく映るのって
彼らは介護者の人生安全保証重視から、介護者を第一義に置き、被介護者は二の次にするに対し
日本は何というか、被介護者の尊厳・介護者の自己満足、その両方を守るというように捉えるからでは?
上手く言えないが、肉体的な生が必ずしも幸福と限らないを、日本人には理解出来ないと見る




話は急に飛ぶが
両親の反対を振り切ってベトナム志願兵となった、映画監督オリヴァー・ストーン
両親の反対の背景に、州兵でトンズラ決め込んだブッシュJRを例とする徴兵逃れ可能だったがあるんだよね
中流以上の若者も問答無用の徴兵してやれば、ベトナム戦争泥沼化の回避出来たと、ストーンは述べている
何となくわかる
1969年夏に行われたウッドストック・フェスティヴァル
8月15日午後から18日午前にかけての4日間、ニューヨーク州サリバン郡ベセルでの
ロックを中心とした大規模な野外コンサート
約40万人の観客を集め、アメリカの音楽史に残るコンサートになると同時に
1960年代アメリカのカウンターカルチャーを象徴する歴史的なイベントとして語り継がれている
あの映像観るたび、「約40万人のうち、18歳以上を全員、ベトナムに送り込んでやれ」
麻薬でラリって「Love&Peace」叫ぶ腐れヒッピー嫌いもあるが、「逃げ場持つクソガキどもだろ」が大きい
白人層の顔つきを見てみな、ド貧乏階級いないよ
白人でも、従軍による福利厚生を考え、家族食わせる目的で志願した貧しい兵士なんかを思うと
ストーン監督の言葉に説得力が生まれ、「ジョンソンと比べたら、ニクソンよほど偉いわ!」と絶叫したくなる




んで、本題へ





イメージ 1
https://www.youtube.com/results?search_query=johnny+got+his+gun+1971
http://movie.walkerplus.com/mv4504/




‘ジョニーは戦場へ行った’(1971年)
1970年代から1980年代にかけて作られた反戦映画の中で特筆すべき作品である
自らベトナム帰還兵であったオリヴァー・ストーン監督の、戦場そのものを描いた作品以上に
同じ帰還兵でも声上げる術を持たない者の代弁した内容が、反戦の意味合いを強めると思う




戦場で両手、両足、耳、眼、口を失い、第一次世界大戦終了後15年近く生き続けた英国将校が実在した
という事実をヒントに、ダルトン・トランボが1939年に発表した小説‘ジョニーは銃を取った’を
トランボ自ら脚本・監督した反戦映画
本作の題名は第一次世界大戦の志願兵募集キャッチフレーズ『ジョニーよ銃を取れ』に対する皮肉と思われる
ハリウッドのトップ脚本家として、キャリアは着実に積んでいたものの
第二次大戦中の米国で反戦文学と見做される事を恐れ、トランボは同書の増刷を停止するが
戦争支持派から度重なる脅迫を受け、トランボは連邦捜査局(FBI)に通報するも
逆にFBIから敵性人物として監視を受けるようになる
やがて、第二次世界大戦終結後の東西対立の激化の中
ハリウッド映画界の著名な10人の映画人(ハリウッド・テン)の中に数えられ
後にいわゆる「赤狩りマッカーシズム)」と呼ばれた運動の最初の標的となった
1947年10月20日、反共キャンペーン下院非米活動委員会による第1回聴聞会に呼び出される
当時のハリウッドにはジョン・ウェインらを筆頭に『アメリカの理想を守る映画連盟』という組織が設立され
非米活動委員会への協力が推進されていた
第1回聴聞会に出席したトランボは、「あなたは共産主義者か、あるいは、かつてそうであったか?」と問われ
アメリカ合衆国憲法修正一条(言論と集会の自由を規定した条項)を理由に証言を拒んだ
その結果、議会侮辱罪で逮捕され、禁固刑の実刑判決を受けた
実際、トランボはアメリ共産党の党員であった
‘ジョニーは銃を取った’は、戦後になってから復刊、しかし、朝鮮戦争時に再度絶版となり休戦後復刊された
戦争のたびに絶版・復刊を繰り返すこの作品を、トランボはベトナム戦争真っ最中の1971年
65歳にして自身の唯一の監督作品として原作・脚本を兼ねて製作した




<407号>、ジョーには、SOSのモールス信号を送る手段が残され、上官に
「外に出たい。人々に僕を見せてくれ、出来ないなら殺してくれ」
上官は愕然とし、そして一切の他言を禁じた
それに対し神父は、「こんな蛮行を信仰で庇いたくない。諸君の職業が彼を生んだのだ!」
一同が去った後、1人残った看護婦が、殺してくれと訴え続ける<407号>の肺に空気を送り込む管を閉じた
しかし、戻って来た上官が止め、看護婦を追い出してしまう
倉庫の窓は閉ざされ、黒いカーテンが全てを隠し、暗闇にジョーだけが残され
…僕はこれ以上このままでいたくない。SOS、助けてくれ、SOS…
その声無き叫びはいつまでも響いている




日本の小説に置き換えるなら

解説

新青年』に、昭和4年(1929年)に掲載された。編集者の要望により、掲載時のタイトルは「悪夢」とされたが、後に「芋虫」に戻された。

角川文庫の解説によると、当時は『改造』のために書き下ろしたものであったが、反戦的な表現と勲章を軽蔑するような表現があったため、編集者が当局の検閲を恐れて娯楽雑誌である『新青年』にまわされたがそれでも掲載時は伏せ字だらけだった。また、戦時中多くの乱歩作品は一部削除を命じられたが本作は全編削除を命ぜられた。

創元推理文庫の乱歩自身の解説によると本作品発表時に「左翼からはこの様な戦争の悲惨を描いた作品をこれからもドンドン発表してほしい」との賞賛が届いたが、乱歩自身は全く興味を示さなかった。

上述の戦時中の全面削除については「左翼より賞賛されしものが右翼に嫌われるのは至極当然の事であり私は何とも思わなかった。」「夢を語る私の性格は現実世界からどのような扱いを受けても一向に痛痒を感じないのである」と述べており、この作品はイデオロギーなど全く無関係であり、乱歩の「人間のエゴ、醜さ」の表現の題材として四肢を亡くした男性主人公とその妻のやりとりが描かれているにすぎない。

乱歩が本作を妻に見せたところ、「いやらしい」と言われたという。また、本作を読んだ芸妓のうち何人もが「ごはんがいただけない」とこぼしたともいう。

あらすじ

傷痍軍人の須永中尉を夫に持つ時子には、奇妙な嗜好があった。それは、戦争で両手両足、聴覚、味覚といった五感のほとんどを失い、視覚と触覚のみが無事な夫を虐げて快感を得るというものだった。夫は何をされてもまるで芋虫のように無抵抗であり、また、夫のその醜い姿と五体満足な己の対比を否応にも感ぜられ、彼女の嗜虐心はなおさら高ぶるのだった。

ある時、時子は夫が僅かに持ちうる外部との接続器官である眼が、あまりにも純粋であることを恐れ、その眼を潰してしまう。悶え苦しむ夫を見て彼女は自分の過ちを悔い、夫の身体に「ユルシテ」と指で書いて謝罪する。

間もなく、須永中尉は失踪する。時子は大家である鷲尾少将と共に夫を捜し、「ユルス」との走り書きを発見する。その後、庭を捜索していた彼女たちは、庭に口を開けていた古井戸に何かが落ちた音を聞いたのだった…。

Wikipedia芋虫より引用 )





芋虫の幕切れに救いを感じるの、アタシだけ?




「ユルス」、これすなわち、夫が意識を維持し、唯一残された眼で外界を観察し続けていた事になる
どのような感想を抱き続けていたのでしょね
妻への「ユルス」、これは、「死ぬ機会をくれて有難う」という感謝の言葉に取れるので、深い言葉よ…




以上
特養から届いた個別機能訓練計画書を眺めながら
「殺したかてピンピンしてるはず、施設の世話になれない者が先に逝く確率高いわ」
どーせ先に逝くなら…とばかり、鬼婆の年金振込確認&出金日を堪能する本日に関する感想文よ